汝の隣人を愛せよ。
汝の敵を愛し、汝を責める者のために祈れ。
愛は寛容であり、己の利を求めない。
許すということは、強さの証だ。
…etc.

キリスト教の聖書には、愛に満ちたたくさんの名言がある。
根底に流れるキーワードは「慈悲」「博愛」「畏敬」「平和」といったところか。

ところで、16世紀頃から約500年間に渡り、欧米列強諸国は南半球の国々に対してヒドいことをし続けてきた。

暴力をもって領土を占領、植民地化し、黒人を奴隷としてこき使って、侵略・略奪を繰り返して利益をむさぼった。

いわゆる南北問題であるが、ここでキーワードになるのは白人による「征服」「迫害」「搾取」「殺戮」「差別」あたりだろうか。


さて、言わずもがなだが侵略している欧米列強諸国の白人社会とは、ほぼそっくりそのままキリスト教の国々である。

判断する政治家も、命令する軍人も、現地で手を下す兵隊も、そのほとんどがみーんなキリスト教を信仰する人たちなのである。

もっと言えば、搾取のおかげで満たされた生活をしている国民だってキリスト教徒だ。末端の国民と言えど、自国の繁栄が侵略と略奪によって支えられていことに気づいてないことはないだろう。


で、どこ行っちゃったんだろうか?キリスト教の教えは。
完全に矛盾するキーワード、どう帳尻合わせてんだろう?
「何かオレたちの行動って宗教と折り合いついてなくねぇ?」と、葛藤が起こりはしないのだろうか?
崇高なる教典の数々は状況に応じて、「まぁ今はちょっとこっちに置いといて…」みたいなことが許されるのだろうか?
どんなメンタリティで500年もの間残虐な行為をくりかえしてきたのだろうか?
結局キリスト教とは、ご都合主義なのだろうか?


最後に聖書の言葉をもうひとつ。

~神はすべての人を同じ血筋から生み出した~