【気の置けない】という語は、〝遠慮したり気をつかったりする必要がなく、心から打ち解けることができる〟という意味だということをボクは知っている。
しかし言葉には「語感」というものがある。
【気の置けない】というフレーズを、厭世的な印象と受ける人も少なくないだろう。
なので本来であれば誤った解釈をしている人、「相手に気配りや遠慮をしなくてはならいこと」と理解してしまっている人に会っても、なんとなく指摘できない。
文化庁が発表した平成18年度「国語に関する世論調査」でも、「その人は気が置けない人ですね」を、本来の意味である、「相手に気配りや遠慮をしなくてよいこと」で使う人が42.4パーセント、間違った意味、「相手に気配りや遠慮をしなくてはならいこと」で使う人が48.2パーセントと、逆転した結果が出ている。
まぁ日本語なんてそんなものだ。
時代とともに揺れ動く、言語 とはそういう宿命にある。
そう思ってやるせなさを噛みしめていた先日、ふと【気の置けない】のとなりに【心置きなく】という語を並べて連想してみた。
【心置きなく】は、遠慮気がねなく・心残りなく・安心して、というほどの意味。
マイナスな印象もないし、逆さの意味で誤認する人も少ないであろう。
すんなり理解できる、非常にノド越しのいいフレーズだ。
並べてみるとどうだろう、【気の置けない】の正しい解釈が促通される気がするのはボクだけだろうか?
両者はきっと「近い親戚」みたいな関係の語と思われる。
【心置きなく】は、【気の置けない】を意味理解を補完する、【補完語】といえよう。
補完語、なんていう日本語
がないことも、ボクは知っている。