今日は8月12日ですが、
日航機墜落事故から早くも40年?
時の過ぎるのは早いですね。
僕も直接関係はないのですが、
この日になると思い出すのは、
未だに残るいくつかの疑問です。
この事故では3人の女性が助かりましたね。
何故、
女性3人だけがこの大惨事の事故から命を守られたのでしょうね。
そこには、
本当の「教訓」となるものがありますが、
誰にもその事は分からないでしょうね。
いずれは皆さんも自らの体験で、
その真実を知る日が来るでしょう。
ところでこの事故で僕には幾つかの疑問がありますが、
その1つ目の疑問とは、
今から20年以上前にインターネットのチャットで知り合った一人の若い女性から送られてきた写真の中に、
日航機墜落事故現場の麓に建てられたという慰霊碑の前の石段に杖を持って立つその女性。
もしかしたら、
墜落事故の日航機に乗っていた女性だったのでしょうか?
2つ目の疑問は、
その女性は元歌手でテレビにも出演されていた?
何故か電話で僕にだけと言って聖歌を歌って聴かせてくれました。
確かに素敵な声で歌も上手でしたが、
どこか不思議な感覚もあったのを忘れません。
そして3つ目は、
まだ、メディアでは放送されてなかったと思うのですが、(一度は放送されたかな?)
墜落事故直前のパイロットたちの通信など音声記録のデータを送ってくれたことです。
そして4つ目はこの女性のことではなくメディアの事ですが、
予期せぬ事故や戦争など大惨事が起こる度に伝えられるのが、
「この事を教訓として•••」とか、
「この事を風化させないで語り継ぐ•••」などということをよく言いますね。
このような言葉を何度繰り返せば良いのでしょうか?
これには何の効果も生じないことが理解できないのでしょうね、
例えば大惨事を語り継いだからと言って同じようなことが二度と起こらないとでも思っているのであればそれは大きな間違いであり嘘です。
それに「これを教訓に」という言葉もよく使われますが、
それで同じようなことが起きなく成りましたか?
本当の「教訓」とは、
二度と同じような大惨事を生じないように指導することではないでしょうか。
だからこそ、
「教育」が重要だと何度も伝えているのです。
そもそも皆さんは、
「教育」という言葉を勘違いしていませんか?
先人たちの功績や知識、技術を教え伝えるだけではありません。
先見の眼やあらゆる問題の解決能力、思考力、想像力、観察力•••まだまだありますが、
このような能力を引き出し、育てる事も教育なのですが、
その辺りの教育が出来ていないのは私たち大人が大人として成長しておらず責任と義務を果たしていないからです。
つまり、「教育」の「教」は出来ても、
「教育」の「育」が出来ていないということです。
少し長くなりましたが、
悲惨さを「語り継ぐ」のではなく、
悲惨さを生まない「未来を語る」ことをすべきであり、
「教訓」とは、何故そのような悲惨な出来事が起きたのか、
どうすれば防げるのかを正しく解析して伝え訓練することではないでしょうか。
飛行機事故は未だに無くなりません、
むしろ増えているようにも思います。
まあ、
現代社会でもまだまだ未熟な社会ですから、
大惨事を起こさない方法を伝えても無理でしょうね。
先ずは出来ることと言えば、
「思いやりの心」を持つことと「為に生きる」生活を実践することですね。
多くの人が、この2つを実践するようになれば多くのトラブルや問題を解決出来ます。
また、
その事が本当の「先祖供養」になることも知っておきましょう。
今後も、
一人でも多くの人が、
正しい知識を身に着け、
今後のあらゆる危機を乗り越えられることを願うばかりです。
