そもそも「義務教育」とは何なのか?
私たちが育つ過程で、
社会に出て最低限必要な知識と技術を身につけるための教育ではないでしょうか。
ところが現実には、
学校教育に於いて様様な問題が発生していて、
本来の教育目的はほとんど成されていません。
その結果は、
マナーの悪い人が増え、犯罪者が増え、愛国心などなく自己中心でわがまま、治安の悪化等の現実社会を見れば明らかです。
子育てをしている、まは、子育てをしていた皆さん、
皆さんが学校で学んできたことをどれだけ生活や仕事に活かせていますか?
学校で学んできたことをどれだけ覚えていますか?
自分に出来ないことを子どもたちに無理強いしていませんか?

ところで今回は義務教育における学校の問題ですが、
皆さんは、「学校教育」という言葉からどのような事をイメージされますか?
僕はどちらかと言えば、
良い事と悪い事半分半分のイメージがあります。
学校教育といえば「集団教育」が基本ですが、
僕も学校と同じように塾で集団教育の指導をしておりました。
また、
いろんな学校を訪問して、
時には授業も見せていただきました。
それで気付いた事について少し書いてみましょう。
先ずは個人指導と集団指導の違いですが、
僕が塾と家庭教師の両方の経験から気付いた事から言えば、
児童生徒の学力を短期に上げる事や、全体的な教育指導は、やはり集団教育の方がはるかに楽です。
一方の個人指導では、
教科指導以外の指導、例えばマナーを守ることの意味や人生に関わる事など、
本来なら親がすべき事では個人指導が適しています。
まあ結論から言えば、
教科指導に関する個人指導は不登校等の問題以外、親に任せて家庭教師など個人指導は辞めるべきですね。
また、
学校教育経験者(元教師)の多くは特に、
塾でも家庭教師でも指導力不足を感じました。
次に集団教育ですが、

限られた空間の中で複数の児童生徒を対象に一人の教師が行うのですが、
当然、一人の教師に対して複数の児童生徒ですから、
教える内容は全員に同じ事を伝えるわけですから、
ここで個人差が大きく出るのはどこに問題があるのかということですね。
根本的には教師の資質と指導力にあることが分かっていますが、
そこにはもう一つ「日教組」という教職員組合の在り方の問題があります。
むかし学校の教師といえば、
「でもしか先生」とか「サラリーマン教師」などと呼ばれていたことがありましたね。
僕の同級生のある女性が、
自分の担当クラスに不登校の生徒がいるけどどう指導したら良いか分からないと言ってきたので教師になった動機を尋ねると、
大学卒業時に就職が決まらず結局「先生になるしか無かった」という軽い気持ちでなったようだったので、
生徒の指導よりも教師を辞めるよう伝えました。
その同級生は翌年に学校を辞めて、
結婚していったようなのでその方が良かったと思いますね。
教師の中には、
授業を自習に変えて組合の活動をする者もいますが、
これは、本来の仕事(授業)を放棄することであり一般企業であれば即、クビですよ。
それから、
多くの教師の授業を拝見すると、
教科書の内容を伝えるだけに終始しているケースが目立ちます。
また、
声が小さくて後ろまで声が届かず、
後方では生徒の私語が始まることも。
成績の問題は、
その多くが教師にあるということが僕の経験や学校訪問で分かりました。
ん?
いま、テレビでは学校で女子児童の下着を盗撮していた教師グループの事件を放送しておりますが、
相変わらず教師による事件も後を絶ちませんね。
いずれしても児童生徒の学力や様様な問題の多くは、
教師の姿勢や資質、指導力不足などと日教組問題にあることが分かります。
しかし、
塾などで講師の経験をした後に学校教師になった人は、
大学卒業して教師になる人よりも指導力があるようです。
今回はこれくらいで終わりますが、
文科省がもっと確りしなければなりませんね。
一人でも多くの、
本当の「教育のプロ」が育つことを願っております。