皆さんの家にあるのは、
お仏壇ですか? それとも神棚ですか?
それともどちらもありませんか?
お墓参りはしておりますか?
先祖供養はされておりますか?
「私は無宗教です」と言う人は論外ですが、
多くの人は、
神社仏閣または教会等にお参りされているのではないでしょうか?
日本人の宗教観は異常に見えるのは僕だけでしょうか。
僕もいろんな教会(宗教)を歩きましたが、
どの教会でも、
「祈り」や「祈祷」を中心に行われます。
しかし僕が思うに、
本当の祈りや祈祷を理解できていないように思えます。
「私は無宗教です」と言う人でも、
何か困ったことがあれば神社仏閣へ出かけて祈り、
時にはお墓参りで先祖に祈り、
新しい工事現場や建築建設等でも祈祷します。
しかし、
本当の祈祷、祈願、祈りとは何であるかご存知ですか?
昔僕が大分から日田へ帰る途中、
交通事故を起こして横転した車を見ました。
翌朝の新聞にはその事故の記事やテレビのニュースでも報道されましたが、
その事故の自動車に乗っていたのは数名の高齢女性でしたが、
とある神社へ交通安全の祈願参りの帰りだったそうです。
何事もそうですが、
祈るだけで解決出来るのであれば今の世界は平和になっている事でしょう。
そもそも私たち人間には、
人生の中で果たさなければならない目的があります。
その目的に向かって歩む人生の努力の中で、
どうしても私たち人間の力や努力だけでは難しいこともあります。
また、
「祈り」とは、ある意味「親への報告」という目的も兼ねております。
つまり、
何の努力もなしにただ祈るだけでは事は成されないのが実情です。
また、
「祈り」や「祈祷」は、
自分のために祈ってはいけません。
もし、
自分のために祈ることがあるとすれば、
それは、自分の問題が解決することによって人の為に尽くせることを条件とします。
僕も昔、
翌日までに解決しなければならない重要な事で悩んだことがありますが、
時間が無いことや努力では何も出来ないとき、
深夜に1人で自動車に乗ると人里離れた山の中を走らせ、
山の中で真剣に祈りました。
すると、
不思議な事に翌日にはスムーズに問題が解決されることも多くありました。
ある時は、
宗教問題で家族から拉致監禁されたという女性を助けたくて、
毎晩女性の居る県の山の上へ行き女性が無事に解放されることを祈ながら霊感を通して居場所を探しておりました。
すると、
その年の年末から翌年の年始にかけて福岡市内のとある神社にいたとき、
その監禁されていた女性が無事に保護されたという連絡が友人からありました。
本当の「祈り」や「祈祷」というのは、
先ず行動が先であり、行動が伴わなければなりません。
それから、
「祈り」や「祈祷」は、
常に皆さんのそばにいる見えない者たちに協力を得るためのものであり報告でもあります。
また、
偶像を拝む人、悪事を祈る人(自分の欲望の為)は、
自ら地獄へ落ちていくための祈りと言っても良いでしょう。
また、
世界平和を祈る人は、
常日頃、自ら平和への思いや行動が無ければ何もなされません。
人をいじめたり、差別したり、
悪事を働く者が平和への祈りをしても何も成されません。
先ずは「思いやりの心」と「為に生きる行動」をする人が祈れば、
それは見えない者たちに通じて奇跡を起こすでしょう。
(本当は奇跡などありませんが、皆さんから見れば奇跡でしょうね)
僕は地獄への道を進んでいるようですが、
皆さんは天国への道を歩んでください。
今後のあらゆる危機から、
皆様の自由と健康と安全が守られますよう祈念しております🙏。
