今日も一日、
様々な出来事がありましたが、
一日を無事に過ごせたことに感謝です。
ところでこの世の中は、
まだまだ1つに統一されていないことが多いですね。
これでは世の中、
平和とか幸せなどは訪れませんね。
希望と絶望、生と死、善と悪は、
同じ空間には存在してはならないものですよね。
希望、生、善だけがあれば、
世の中は平和に成るのですが、
現代社会では難しいことばかりですね。
ところで「生と死」でいうと、
「死」は不要なものか?
と、いうことになりますよね。
じつはここで言うところの「生と死」とは、
肉体の生と死ではなく、
霊人体、つまり精神における生と死のことです。
例えば落ち込んで悩んでいたりすると、
「死んだ気持ちになってやり直せ」とか言いますよね、
つまり、「魂」の死を意味する言葉です。
聖書にも、
2つの死について書かれているのですが、
例えばマタイによる福音書8−22を見ると、
「死人を葬ることは、死人に任せておくがよい」
というイエスの言葉が書かれております。
この言葉の意味を正しく理解されていれば、
ここで書いてある「生と死」の死が不要であることが御理解いただけるかと思います。
僕が昔東京にいた頃の出来事ですが、
ある休日に1人で銀座へ行きました。
当日は歩行者天国で広い道路を埋め尽くす程の人出があり、
人の流れに逆らうように歩いていたときのことです。
突然周りの人達が、
突然ホラー映画に出てくる「ゾンビ」のように見えて、
ボロボロに破けた着衣に両腕ををダラリと下げて、
まるで死人の行列のように見えました。
あまりの恐ろしさに僕は、
側にあった三越デパートのトイレへ駆け込んでしばらく動けませんでした。
僕にはその時間がとても長く感じましたが、
実際のところは10分か、15分くらいだったかと思います。
外へ出てみると周りの人たちはいつもの普通の人たちに戻っていました。
ホッとして歩きながら、
ふと、空を見上げると、
左右のビルの間に見える空いっぱいの大きな悪魔のような顔が見下ろしているのが見えました。
それで怖くなって、
そのままバスに飛び乗るとアパートへ戻りましたが、
この、
銀座で見た人々のゾンビのような姿が、
その人達の霊人体ではなかったのかなと後に思うようになりました。
とにかく「私は生きている」と言っても、
魂が死んでいる人の姿はまるでゾンビのような姿ではないかと思います。
反対に本当に生きている人、魂が生きている人の姿は、
生き生きとしていて明るく光り輝いて見えるのではないでしょうか。
正直で真面目に生きる生活を心がけ、
「思いやりの心」や「為に尽くす」生き方が出来る「生きた人間」にならなければなりませんね。
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