「複雑な思い出」のレーシングドライバーで、


1と2では元F1ドライバーで外国人の2人でしたが、


3人目のドライバーは、


日本人国際レーシングドライバーです。


皆さんは、


※⬇この本の表紙にある太田哲也氏をご存知でしょうか?


太田哲也氏は国際レーシング界でも活躍されていたレーシングドライバーで、

僕がこの太田哲也氏との思い出といえば、

特に印象として残っているのが、

オートポリスで行われた約2億円のポルシェの車の試乗に同乗したときのドライバーがこの太田哲也氏でした。

この時のインタビュー記事が新聞の同じページに僕の顔写真と記事、それに太田哲也氏の顔写真とインタビュー記事が掲載されていましたが、

その新聞記事は大切に保管していたのですがいつの間にか何処かへ消えてしまいました。

※⬇この写真は僕がポルシェから降りてくるところですが、

手前にいるSTAFFと書かれたブルゾンを着た人や黄色のブルゾンを気ている人たちはテレビ関係者で、

このあと僕もテレビのインタビューに答えましたが、

その時の話が新聞の記事にも掲載されていました。

この時のインタビュー内容はこのポルシェに乗った感想です。

※⬇これはオートポリスでの試乗会前の新聞記事です。 

この新聞記事に掲載されている車は黒ですが、

実際にオートポリスで史上したのはシルバーの車でした。

助手席に乗って太田哲也氏のドライビングテクニックも拝見しましたが、

太田哲也氏のドライビングテクニックの素晴らしさは勿論でしたが、

車の完成度も想っていたより高価かったのを忘れません。

スタートして一気にカソクする時のGもすごいものでしたが、

コーナリングの安定感、音の静かさ、

どれも素晴らしかったのを忘れません。

しかしこのイベントからどのくらい後だったでしょうか?

オートポリスでのカーレースにスタッフとして参加していたのですが、

途中で他のスタッフが僕のところへ来て、

レーシングサーキットの富士スピードウェイ(静岡県)でおなじひに行われていたGTカーレースで、

太田哲也氏のドライブするフェラーリが事故で炎上し太田氏が緊急搬送差れたという知らせでした。

僕と関わったレーシングドライバーの3人が、

相次いで事故でレースのセカイから去っていきました。

園語僕も身体検査でフセイミャクが見付かりドクター・ストップがかかり、

僕もレースの世界から去りました。

せかいてきにかつ訳されていた3人のドライバーが、

墨と関わった後に次つぎと事故でレース界から去って行った事で、

あるひとからは、

「あなたの(僕のこと)身代わりとなって犠牲になった3人だから、車の運転には注意しないといけないよ。それに・・・」

等等いろいろ言われたのを思い出します。

そういえば確かに、

この3人のドライブテクニックを間近で体験したおかげで、

何度も事故の危機から救われて入るのは事実です。

太田哲也氏の事故のことは、

テレビ番組のアンビリーバボーなどいくつかの番組で特集で何度か放送されましたが、

それを見るたびに心が痛みました。

今もお元気ですごされていることを願っております。