入学式から波瀾続きのみつるでしたが、

もうすぐ小学校生活も終わるという二学期の後半、

またまた小児喘息で入院することになりました。

病院は前回と同じ病院ですが、

ダムが出来るため、かなり、山の高いところへと移転したばかりで新しく建てられた病院でした。

5年生の時にもお世話になった先生やスタッフの皆さんでしたので、

顔見知りということもあり寂しさは余り感じませんでした。

またある日から数日間、

寝相の悪いみつるは、朝起きるととんでもないことになっていました。

目を覚ますとベッドの下に上布団、その上に毛布そしてみつるが寝ており、

一番上に敷き布団という、つまり、ベッドの上に寝たときの状態をそのままひっくり返した状態でした。(笑)

それにしても、起用でしょう。(^o^;)

そしてある日には、

ピカピカの床で滑り、

お尻からドーンと床にしりもちつきました。

ところがお尻が何だかチクチクと様子がおかしいので手で触れてみると、

「あーっ! 針が刺さってる~」

慌ててそれを手で抜こうとしたのですが、

針は抜けるどころか、更に中へと入っていきました。

恥ずかしかったけど、怖くなり、直ぐに看護婦さんに伝えると、

看護婦さんも慌てて先生に伝え、結局、緊急手術で無事に針は取り除かれました。

どうやら母が、

室内で縫い物をしていて片付けるときに一本忘れていたようでした。

それからは、針には神経質になるみつるでした。

やがて冬になり正月も近くなったある日、

病院のある村の女子中学生のイズミ・Tさんが、

同じく小児喘息で入院してきました。

病気が同じと言うこともあり直ぐに友達になると、僕の病室によく遊びに来てくれました。

そんなある日、

母が病室に来ていたのですが、

そこへ突然、当時6歳だった一番下の弟が入ってきました。

僕も母も驚いたのは勿論、

こんな遠くまで一人で来たのかと訪ねると弟は平気な顔して「うん」とうなずくと、

歩いて来る途中で叔母さんに会ったことなど話してくれました。

どう考えても一人で歩いてくるには無理な距離でしたが、

お金を持っていないはずだからと、僕はその事を信じて、とにかく弟を労いました。

そこへ、イズミさんがやって来て、

彼女も弟をとても可愛いがってくれました。

それから間もなくして、

今度はイズミさんと同じ中学校の同級生だという男子のシゲオくんとヨウスケくんの二人が、

やはり同じく小児喘息で続けて入院してきました。

3人の中学1年生とも直ぐに仲良くなり、

それまで一人で寂しかったところへ3人がやって来たので病院生活も楽しくなりました。

しかし、ヨウスケくんはギターを持ち込んで、昼間はギターを弾きながら歌ってくれたり、

シゲオくんもいろんな話をして笑わせてくれたり、イズミさんはお父さんが僕の村の中学校の先生ということもあり、英語を教えてくれました。

そのような中で3人の先輩たちと仲良くなりましたが、

冬休みが終わり3人の退院が近づくと、

「中学校は、こっちに来いよ」「そうよ、こっちに来てね。待ってるから」

と、言われ、

「でも、誰も知ってる人がいないからねぇ」

と言うと、

「大丈夫、俺たちがいるから心配するな」「皆で迎えてあげるよ」

と、言われて、

「うん、分かった。じゃあ行くから宜しくね」

そう言って3人は相次いで退院していきました。

病院では再び寂しくなりましたが、

中学校へ行けばまた、皆に会えるという楽しみも出来ました。

最後に一人残ったみつるも、

卒業式間近で退院すると、不登校児童のみつるもなんとか卒業式には無事参加する事ができました。

卒業式が終わると、

家族は父の実家へと戻り、

叔父(父の兄)さんの家族と一緒に暮らすことになりました。

そして中学校は?

同級生のうち、一人は熊本県の中学校へ進学、僕と同じ集落の同級生二人(二人とも女の子)も僕と同じ隣村の中学校へ進学、

その他は通常通り村の中の中学校へ各々に進学していきました。

同じ集落の同級生の二人のお母さんからは、

「みっちゃん、これから3年間、宜しくお願いしますね」

と、言われて、心の中では飛び上がるほど嬉しいみつるでしたが、

「はい、分かりました」

とは言ったものの、複雑な気持ちでした。

これからが更にとんでもない事が続くとは、想像もしていないみつるでした。

 ーーーーーーーー 続く ーーーーーーーー