幸せになるための第一歩は、

「無知の克服」「知る」事から始まります。

善と悪、真と偽、平和と戦争、幸福と不幸・・・

これらは全て対象的で、180度真反対、同時存在不可ですよね。

皆さんもそうだと思いますが、

人類は長年い、長い歴史のなかで、

平和、幸福、真理、真実等々を求めてきました。

しかし、

実際の歴史は、

常に争いと殺戮、悪と偽りなどを繰り返してきました。

それは、

未だに続いております。

それは何故でしょうか?

現代社会は、

急激に進歩発展してきた科学によって、

世界は狭くなり、

生活も便利になってきました。

しかしその一方で、

テロの脅威、個人的身勝手な犯罪、難病、自殺、虐待、いじめ、・・・等々

科学では解決不可能な問題も沢山あります。

つまり、

そこには人間の力では不可能なことがあるということ、

まだまだ無知な事が沢山あるということを知らなければなりません。

これまで歴史は、

宗教と科学が対立するという形で発展してきました。

しかしこれからは、

その科学と宗教が更に高い次元で一つとなり、

歴史のなかで失われ、そして、探し求められてきた真の愛、真の幸福、真の平和の実現を可能にする解説書が出てきました。

ところが、

残念なことにそれを学んで、知る人でも、

それを日常生活のなかで活用することも出来ずにいます。

そこが問題です。

「知識」は「活用」するためのものであって、

人に自慢するものではありません。

キリスト教などで用いられている聖書は真理を説いた解説書ですが比喩が多く理解が難しいですよね。

それを更に現代社会に生きる人たちに解りやすく、そして更に今後の歴史の礎となる解説書が「統一原理」です。

僕はこの「統一原理」のおかげで、

子どもたちの成績を上げたり、

子どもたちの悩みを解決したり、

病気の人の完治の手助けができたりしました。

これも学校で学ぶ教科と同じで、

「分かる」「解ける」「知ってる」では、

何の役にもたちません。

実際に、

教育のプロと称する人たちでさえ、

教育問題を解決するどころか、中には更に問題を増やす人もいます。

そもそも知識とは、

あらゆる生活の中で活用して初めて、

その価値を発揮するものです。

そしてその「知識」は、常に正しく「真」なるものでなければなりません。

統一原理も全く同じで、

「分かる」「解ける」「知ってる」と言っても、

日常生活でそれを活用出来なければ問題解決はおろか伝道などとても出来ません。

統一原理はいまでは世界的に、

キリスト教は勿論、イスラム教、仏教など多くの宗教の人たちが学ぶようになってきました。

この事実が日本で知られていないのは、

マスコミの偏向報道にも責任があるでしょう。

統一原理は皆様もご存知のように、

統一教会を創設された文鮮明先生が書かれたものですが、

これは、統一教会の為だけに書かれたものではありません。

全人類の人たちが、

飢餓、疾病、殺人、事故、という4つの審判、全ての問題から解放され、

真の平和、真の幸福、真の愛を得るために書かれた解説書であることを知らなければなりません。

じつはこの「統一原理」の解説書である「原理講論」を、

知り合いの他の宗教の地域の責任者の方たちにもプレゼントさせて頂きました。

またその方々は、

僕が統一教会の名前を出しても素直に受け入れてくださいました。
(統一教会を破門になった僕が言うのもおかしいですか?)

皆さんは、

「善と悪」の違いの基準はどこにあると思いますか?

未だに「自殺」「いじめ」「虐待」「殺人」「詐欺」「病気」「飢餓」をはじめ、

多くの問題が解決出来ないのは何故だと思いますか?

一言で言えば、

「根本的原因とその解決方法」が解らないからです。

まずは、

身近な出来事について知ることから始めましょう。