2009年10月に夢を通して見せられた東北地方の大津波、
その悲惨な光景を数名の友達にメールで伝えました。
翌年2010年1月だったかな? 南米チリで起きた地震による津波が東北へ来ましたが、このときは大した影響はありませんでした。
それで、「大したことなかったじゃん」と言ってきた友達に、「あれは前兆だよ。本命はまだ先に起こる」と伝えました。
しかし、
現実にそれは、2011年3月11日に起きましたね。
実はこの日の朝、
とんでもない夢で目が覚めました。
暗い山道、杉林の中らしいところを歩いて登っている。
後ろからも数人の人たちがついて来ていました。
ふと足元を見ると布袋に入った何かが落ちているのが見えました。
すると、後ろにいた婦人がそれを拾って開けてみると弁当箱が入っていました。
それを見て婦人は、
「これは、T.Sさんの息子さんの弁当箱ですよ」
と、言いながらその後ろにいたT.S(団体の婦人部長)さんへ渡すと、
「あ、本当だ」
と言って受け取りました。
それから更に登っていくと、
やがて杉林から抜けて辺りが少し明るくなりました。
空は一面厚い雲に覆われており、
目の前には深い谷間を挟んで向こう側の山の斜面には竹林の側に数軒の家が見えます。
そこへ、雪がチラチラ降っていました。
「山の頂上まではあと少し」
そう思っているところへ、何かチカチカするので空を見上げると、
雲を通してうっすらと見えていた太陽が、
切れかかった蛍光灯のように点滅しています。
「あっ、太陽が切れかかってる」
と言いながら見上げているところで目が覚めました。
その日の午後、
団体の事務所へ出かけ、パソコンの作業をしているところへT.Sさんがやって来ました。
それで、夢の話をしながら、
「暗い道を歩いていたら息子さんの弁当箱が落ちていて・・・」
と話していると、T.Sさんの携帯電話が鳴り、元中学校教諭のT.U婦人からのようでした。
すると、T.S婦人が携帯電話で話ながら、
「えっ!? 地震? 」と言いながら僕に、「テレビをつけて」というので側にあったテレビをつけると、
街に津波が押し寄せてくる緊迫した映像が映りました。
それがちょうど14:50 過ぎくらいだったと思います。
一旦電話を切ったT.Sさん、今度は直ぐに東京にいる息子さんへ電話をかけているようでしたが、結局その日は繋がらなかったそうです。
翌日、T.Sさんが僕に、
「昨日はありがとうございました。息子は、交通機関がストップして6時間かけて歩き、夜中に帰宅したと電話がありました」
と言ってきました。
その時やっと夢の意味が分かったような気がしました。
・・・!?
今、外から中津市の訓練のサイレンが聞こえてきました。
この4年ので、まだ数回しか聞いていない訓練のサイレン。
昨日の地震で緊急に行っているのでしょうが、ま、こんなもんでしょうね。
何かが起こらなければ対応しない、これが現状です。
今後も時々、災害対策等についても書いていきますので宜しくお願いします。
皆様がお元気で2020年を迎えられますように。