10月6日
無事にベジさんをお見送りすることができました。
その際にはたくさんのお悔やみのお言葉や
励ましのお言葉をありがとうございました。
この場をお借りしてベジさんに代わり
お礼申し上げます。
そして今日は人で言うところの初七日…
早いものです。
それでも悲しさもいとおしさも
生前と比べて全く薄れることなどありません。
それほどの存在なんですね。
さて6日に記憶を戻しましょう。
ベジさんの「お見送り会」当日、
16時前になり、僕と娘と息子の3人は
会場に行く時間になっても
腰を上げるのが本当に辛くて
家を出る最後の一瞬まで
家族みんながベジさんに寄り添い、話しかけ、
家の中でベジさんがお気に入りだった場所に
連れて行ってあげたり
ベジがいつも聴いていた
息子のオリジナル曲のピアノ演奏を
聴かせてあげたり、と
出来ることはすべてやり切りました。
嫁は仕事のためお見送りに行けないので
朝、最期のお別れをしていました。
ベジの病気に関しては
ああしてあげれば、こうしてあげれば…と
後悔する事はたくさんありますが
ベジさんはその事で
決して僕たちを責めたりはしないと
信じていたいですね。
ただ寂しさや喪失感は半端ないです。
つい習慣で部屋を覗いたり、その姿を探したり
ご飯の時間を気にしたり…
昨日は抜けた爪を見つけた娘が喜びながら
見せに来てくれました。
色んな方からアドバイスいただきましたが
一番多かったのが「時間の経過」を待つこと。
これは時間が解決してくれるまで待つしかないようです。
中でもすっかり憔悴してるのが嫁で
ベジさんが元気な頃から
「我が家の次男坊」と呼んで本当に仲良くしていました。
息子はいつも素っ気なく接してたのに
ベジさんは息子が一番のお気に入りでした。
そして息子もベジさん大好きだったみたい。
過呼吸になるくらい声をあげて泣く息子の姿を見て
こんなに感受性が強く育ったんだなと
そちらでも胸が熱くなりました。
バイトから帰ると何をさておき
ベジさんに会いに行ってた娘は
これから何を楽しみにバイトから帰ればいいんだろうと困惑しています。
何と言っても、娘は
保護されたばかりの生まれて間もない
ベジさんの食事やトイレトレーニングなど
全ての「お世話係」と言う大役を担ってましたので。
僕は、と言うと
何だかこの数日で10歳くらい歳を取ったような気がします。
とは言え、ベジさんとの日々を何か形にしておきたいと思い
この2年間の日々を小説として書き上げ
投稿サイトにアップする事を決めました。
それによってペットを飼うことの意味や
向き合い方を何らかの形で伝えられたらと思います。
今回のお見送り会ではまるで
テレビドラマのような劇的な奇跡を体感することとなりました。
そんな話や
生前、亡くなる直前に感じたベジさんの不思議な行動についても
書き綴っていきたいと思います。
今もあの頃と同じようにケージの扉は開かれたまま…
あと、今月27日のNMB48山本彩卒コンは
予定通り行くことにしました。
幾つか僕の心にブレーキをかけていた事があり
それがクリアされるまでは保留にしておき、
場合によっては行くのを辞めようとも思ってました。
それは家族のメンタル面の心配と
曲への思い入れのズレ。
特に息子とは大阪に行く時は良きパートナーとして共に行っていました。
息子のメンタル面の落ち込みを考えると
行く側も残る側も辛いのではないだろうか?
なので、息子にライブは観れないけど
行き帰りやライブ以外の時間を共有しようか?と
聞いてみると
「今回はひとりで行ってきたら?オレはまだどこかに行ける気分やないし、ベジが言葉わかるなら
父さんに『行ってきたら?』って言うと思う」
なので今回は単身で大阪に行くことに…
もうひとつ、「思い入れのズレ」とは?
生前ベジの通院中に
よくBGMとして流してたのがさや姉のソロ曲だったり
セットリストを予想したオリジナルCD。
もしもこれらの曲をライブで聴くと
「卒業」に対するのと違う感情での涙が出るであろう事が
さや姉に対して申し訳ない、
その二つの事項のため
大阪に行くことを躊躇していました。
でもそれらも含めて僕はさや姉が、NMBが
そしてベジさんの事も好きなんだから
そのポイントで、その理由で
泣くことは許してもらおう、と言う結論に至り、
ようやく大阪に行く決心を固めました。
息子とはまたイベントとは別に
二人旅でも行きたいなと思っています。
ベジさんに関してはYouTubeでも
追悼動画を作成しました、
完成次第
併せてこちらも観ていただけるとうれしいです。
早ければ明日にでも…
先ほども書きましたが、今日は初七日
ベジさん、あれからもう1週間やなぁ、
寂しいぞ…