で、ありながら雄と雌がいて色で区別がつくのだそうです(笑)

その正体を知るものはいないとの事ですが、
得てして妖怪というのは
このような正体不明の「何か」
を妖怪としてとらえる、
と言うかその意味不明な感覚を
妖怪として感じる、
そんな感性が昔は息づいていたのだと
しみじみ思わされます。
特に山の奥深くなどには
得体の知れない何かが潜んでいても
不思議ではない、そんな荘厳さが漂っている気がします。
田舎育ちだけに(笑)
(講談社 日本妖怪大全より写真抜粋・・・ありがとうございます)
ところで、我らが陰陽座の曲にも「わいら」ありますよね。
これは陰陽座そのものを正体不明の「わいら」に例えることにより
「外見」や「装飾」だけに囚われて物事の本質を見抜けないような
ケチな輩は陰陽座を愛する式神の中には一人も存在しないのだ、
と言わんばかりの
兄上の熱い思いが伝わってくるようです。
だからこそ・・・
外野の雑怨を捻り潰す程の
熱い魂に気づかぬ戯け者ども
目には見えぬものを信じられぬ程度の
欠痴な魂は 此処には無いのだ戯け
この言葉が熱く響きます。
妖怪ソングのようで、実は
陰陽座と式神の「鉄の絆」を感じさせる曲なのです。
ライブでも定番曲でありながら、アルバムにもベスト盤にも収録されていない、
シングルのc/w、と言うそんな不思議な曲ですが、
これも、
「シングルやヒット曲の中だけでなく、ふと気づかないところにもこんな凄い曲があるんだよ」
そう、我々式神が胸を張れる要素でもあるような気がします。
陰陽座 『わいら』
(映像お借りしました、ありがとうございます)
・・・今まで全くこの手のサウンドに縁のなかったブロ友さんが、
僕のブログをきっかけに、今やすっかり陰陽座のファンになってくれました。
元々妖怪好き、メタル好きならともかく、今まで聞いてきた音楽は全くの別ジャンル。
まさに「わいら」を地で行く出来事でした。
ブロ友さんの心を動かした、
陰陽座の音と言葉と魂の熱さに改めて驚く今日この頃です。