【エペソ書2章】
人間の悲惨は創造主と断絶し、敵対関係に陥っていることです。生まれつきの生物的いのち(ビオス)があっても神との霊的関係に死んでいるのです。そこで神は御子を与えて罪の代価を支払ってくださり、和解を申し出られています。その罪の赦しと永遠の命(ゾーエー)を受けて、ご自身との親しい交わりを取り戻してほしいと願っておられます。
自分を神のように絶対化し、主なる神との関係を軽んじたことによって人類は死の力を持つサタンの支配下に陥りました。悪魔は日々私たちの罪を訴え、その支配権を行使して、霊的に殺し、心と体を害します。
サタンは嘘をついてだまし、盗み、殺し、滅ぼします。 【ヨハネ8・44,10・10】
「全世界は悪い者の支配下にあることを知っています」【ヨハネ第一の手紙5・19】
主イエスは罪がなく、ただ一人告訴することのできない死の必要がありませんでしたが十字架で罪ある私たちの身代わりに刑死されましたので、そこで断罪が完了しました。
主が贖いの血を流されたとき至聖所への幕が真っ二つに引き裂かれ、いと高き神の住まいへの道が開かれたのです。
死ぬべき我々への告訴が却下されて、神との和解が備えられました。
この神の側からの申し出を受け入れ信じると、聖霊なる神は、私たちのうちに内住され、栄光の宮としてくださるのです。そこで、復活の主とともに、天の永遠の命と交わりに生かされ、体もやがてよみがえらされます。神の子、神の家族にされるのです。
その信仰も聖霊の業であり、神の恵み、神の奇跡です。
10節「備えられた働き」とは、人の行いではなく、聖霊様が私たちのうちあってともになされる良い行いです。自分が主役としてなすのでなく、主が私たちに代わって私たちとともになさる業です。
聖霊は私たちを祭司として、天に引き上げ、栄光の主を仰がせ、神との交わりやとりなしの祈りに導かれます。
また、預言者として、私たちの口を開き、人々に語りかけ、人々の霊に触れ、その心を開き、慰めと救いに導かれます。同時に王の務めとして、サタンと罪と戦い勝利されます。
前方に紅海、後方に迫りくるエジプトの大軍を目前にした絶体絶命のイスラエルに対してモーセは「主があなた方のために戦われる」と宣言しました。【出エジプト14・14】
主は私たち神の子らのために、道なきところに道を開き、不可能を可能に変えてくださるのです。