前回は絶望になった話をしました。

そのつづきです。


僕は真っ暗闇の大きな部屋にポツンと1人、孤独と戦っていました。


それは、トカゲの切られたシッポになった気分でした。


本体が生き残るなら、喜んで切られようと嘘のポジティブを持とうとしても、そのエネルギーは弱く、どうしても被害者意識にならずにはいられませんでした。


「何で俺が?」


そんな気持ちから抜け出せないまま、現実は襲ってきました。


とりあえず就職しなければ、家賃も電気代も払えない状態でした。


給料までの1ヶ月の生活費はありませんでした。


必然的に、日払いでもらえる仕事といえば、日雇いのバイトでした。


そこは、半分は日払いで残りは次の月にもらえるという職場でした。


土木、建築、解体、いろんな業種の会社に人工貸しとしてビジネスにした会社でした。


毎日、会社に集まりその日の派遣先の会社と現場が決まるのです。


現場で黙々と仕事をして、家に帰り作業服を洗濯し、夕飯を作ってご飯を食べ、夜の10時には疲れと共に眠りにつく生活を繰り返していました。


今までとは違い、何も考える必要がなくなりました。


ただ、言われた事をやっていればいいのです。


何の思考も感情もない日が続きました。


しかし、たまに思い出すと悔しくて涙が溢れてきました。


「何で俺が?」


思い出さないように、無思考、無感情で淡々と生活しようとしていても、ふと思い出してしまうのです。


嫌な方向へと感情が流れ込んでしまうと取り止めが効かなくなるため、慎重に静かに呼吸をしながら生活をしているのですが、油断した隙に傾いてしまい、思い出して感情が流れてしまうのです。


その日はあるテレビ番組をキッカケに思い出してしまったのです。


抑えていた感情が一気に流れ込みました。


悔しさと悲しみと淋しさを混ぜ合わせたような強烈な感情が流れ込み、涙が込み上げてきました。


そうなったらもう我慢できないので、泣くしかありません。


頭が痛くなるくらい、感情が込み上げてきました。


そして疲れ果て、


「もういいや、今日は寝よう」


そう思った瞬間でした。


今度は、得体の知れない幸福感が襲ってきたのです。


頭はパニックになりました。


「なんで?」


頭では理解できない幸福感です。


状況をどう考えても、幸せとは程遠い現状になぜ幸福感になっているのか?


頭では納得することはできませんでしたが、確かに心は平和で幸せな感覚が満ち溢れていたのです。


僕はある言葉が脳裏に浮かびました。


「身体は病んでも心は病まない」


中村天風氏の言葉です。


「そうか!そういうことなんだ!」




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