検査入院は管理栄養士の指導する腎臓食なるものを3食、毎朝の血液検査。ただ食って寝るだけの生活でした。クレアチニン値に変化はなし。一体なんのための入院だったと文句を言っていました。
当時はとうにかく仕事が第一。仕事に復帰したいという願いしかありませんでした。入院生活のようなメシなど絶対やらないと決めて退院した覚えがあります。
当時の担当医はそんな最悪の結果を招きたくなくって、これまでの生活を改めよ、という警告の意味だったのかなあと思うことがあります。
(しかし、腎臓移植後に風邪ぎみだったので当時の病院に受診にいったら、移植患者は当病院では対応できないと受診拒否を受けました。骨折で救急車で搬送されても腎臓移植患者は専門の先生がいる病院ではしか対応できないと、応急措置と紹介状1枚で終わり。自費でタクシーで移動など、これが専門医の限界と身にしみています。よその病院でも同じことがたびたびあり東京の病院への不信を持つ発端になりました)。
「人間は本当に嫌なことがあると忘れてくれる本能がある」
そんな言葉を聞いたことがあります。本当に検査入院から緊急入院、首からの緊急透析、シャントのオペ、透析病院やクリニックの選定、自治体への身体障害者認定申請、腎臓移植希望者の公的財団への入会届などさまざまなことがあったはずなの不思議と記憶が薄れています。元の自分の生活に戻れない悔しさが、当時の記憶を風化させているとしか思えません。
手慣れた病院の患者作りのエレベーターに乗せられ、淡々と事務的に物事が進み、気がつけば人工透析患者の出来上がり。少し古いデーターになりますが2017年12月31日での日本全国の透析患者数は33万4505人(日本透析医学会発表)。実に国民の380.8人に1人が患者です。年間医療費1兆6千億円。患者は膨大な利権のただの駒と思うのはうがち過ぎでしょうか。システムの乗せられただけだったと。
気がつけば身体障害者3級の手帳一つ。