ことわざ「十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人」がある。

ここでは説明しないが、多くが凡庸な才能と性格になることを意味している。

 

否定的な意味ではなくて、多くの人が普通に育つということだ。

 

反対も然りで、幼いころに他より育ちが遅かったりしても、やはり多くが凡庸な才能と性格になる。グッド!

 

才能は生まれての特別な能力ではない。

能力は誰もがそれぞれ持っていて、如何に気付き育てるかが重要だ。

 

ただ、幼くして才能を見せると、その能力を誰もが気付きやすく親や周りがそれに投資を集中できるからに過ぎない。

そう、その能力を集中して育てることができるから、幼くして才能を見せる人は後に天才と呼ばれるような人になるのは必然だ。

 

ということは、幼いころに育ちが遅くとも、その能力に気付き集中して育てることができれば、やはり天才と呼ばれるような人になることもまた必然だ。

それが、ADHDなどで後に天才と呼ばれる人になるだけだ。

#アインシュタインやエジソンはこれに当てはまる

 

親は何もしなくても子供は育つ。

つまり、「子育ち」びっくりマーク

 

「何もしなくても」は暴論だと思われるし、自分だって実際には子供に手を掛けている。

愛情を持ち、問い掛けに答えているだけで、子供は親を信頼するだろう。

愛情がなくても、無視しなければ、十分に凡庸なまでに育つ。

で、才能に気付いたなら集中して投資してあげよう。

将来、天才と呼ばれ、家族も地球も救う偉人になるかもしれんよ。ウインク