★ネコとコドモの手をつなごぅ★~育児de育自~ -47ページ目

祈ります。

夢だったらいいのにな。 でも夢じゃなく、まぎれもなく残酷な現実ですね。


3月11日。 
私は娘たちを連れて友達と会っていたのだけど、 

家を出る少し前にパパンから連絡が入り、 
『熱あるから早退するね』ということで、 


「15時には帰ってくるようにする。病院連れてったる」と、ひとまず予定どおり待ち合わせに行き。 



そして別れ際、店の駐車場にて。 
『ん?車が結構揺れてるよね。強風…?でもなくない?』といった私。 

「………違う!!!これ地震だ!!!!!!!!」 


と友達が言った直後には、生きてきた中で感じたこともないほど大きな揺れ。 

子供、友達と手をとり、怯えるばかり。 


家に帰ると旦那が外に出てた。 
近所の瓦屋根は崩壊しちゃってるし、 
サイレンがいたるところで鳴り響いてる。 

信号が全部消えちゃってるし、運転中も揺れがわかったから、家につくまで本気で怖かった。 


それからずっと停電で、 こんな時に限って大きな懐中電灯が使えず、あるのは

★ネコとコドモの手をつなごぅ★~育児de育自~-201103122150001.jpg


パパンのチャリンコ用のライトが二つ。 
これだけを頼りに一晩過ごした。  


暗闇の中おっぱいあげて、ゴハン作れないから、ストックしてあったスナック菓子や食パンで空腹を満たして。 


暗くて怖いし、寒いよ。 
けどまだまだこんなの贅沢だ。テレビがつかないから状況がいまいちわからずだったけど、今現在もっと辛い人たちがたくさんいるはず。と思った。 


そうこうしてるうちに、実母と連絡がとれて、『こっちは今電気使えるから来れば』って。 


実家までは車で2、30分なのだけど。 
行ってしまえば安心なのかもだけど、未だ信号も点かない街灯もない中運転していくのが怖かったのと、『まろんは?まろんはどうなる?』というのがよぎった。 


結果自宅にて、ひたすら暗闇の中を過ごす。 


地震だ!!!とわかってから、『大丈夫。大丈夫よ。』って呪文のように子供らに何度言ったかな?


パパンは早退してなかったら間違いなく帰ってこれなかったでしょう。 



自分の家族は揃ったにしても、家路につけない知り合い、義兄実家の岩手の方々、たくさん心配だった。(岩手の人たちは無事がわかりました)



23時半ぐらいに、ようやく復旧して、テレビをつけるや愕然とした。 


なぜ? 
なんで? 


……恐ろしいね。 
ホントの恐怖ってこういうことだ。 


死者や行方不明者がみるみるうちに増えていくのね。 

大変なことが起きてしまったな。 
津波、凄まじいな。 
 

さすがに、海のない埼玉でよかった、とか簡単に思えるほどバカじゃないよ。


とっさになると、 
自分の命より子供の命。 
って思うけど、もし私も旦那も親戚も死んでしまったら?このコたち、どうやってこれから生きていく? 

と考えると、
欲張りにも、やっぱり私もどうにか子供たちと生き抜きたい。と思ってしまう。


これを書いてる間も何度も余震。怖いよ。 


しばらくは熟睡もできそうにないね。 



それでも、
無邪気に笑う娘たちを見ると、強くいなきゃなって思わされるよ。 


こんな時こそそうだね、 

希望を紡(紬)ごう。 
明日は実るよ。 




未来は明るいって信じたいね。