ようやく、日・月と緊急地震速報の鳴らない日が続いた。また大きな余震がこないことを願う。


自分の住む野々市市は震度4で自身の被災は無いが、金沢と旧松任の両実家が家屋一部被災。


震度7後、 職場関係、家族の安否確認、1時間半後には職場へ。 自宅から職場へは15分で到着。社員一人が里山海道に取り残されたままだが、LINEで無事は確認できた。


職場は自宅より海側に位置するが、まぁ、大丈夫だろうと出勤。が、反対車線が大渋滞。みんな津波を恐れて山側へ避難してるんだなと。


時間だけが経過するも、奥能登と連絡付かず、状況把握が出来ず、緊急招集はあるかもだが、22時に一旦解散。

大津波警報区域の社員は避難所から動けず。


相方に帰ると電話すると、帰りに翌朝のパンを買ってきてほしいとのこと。で、近くのイオンに行くと満車、なんじゃこりゃ?


よく見ると、車内にエンジンかけてヒトが乗っているのが多々。あぁ、ここで避難してるのか…。

なんとか車を駐め、店内に入ると入れ違いに大量の水、茶、食料を購入し終えた客とすれ違う。余震もあるし、今後のコト考えてか、奥能登の家族のためか…。


自分トコはまぁ、パンだけでいっか、と少し焦りながらも相方に言われた品のみ購入。買えただけ良かった。


翌日2日は動き無し。でかい余震はあったため、安否確認作業はある。3日、奥能登の施設点検に動員がかかり、朝早くに出発。点検した箇所は震度7近くの志賀町富来、全ての施設がアウトだった。点検報告だけ終え、夜に帰宅。


4日、5日は3連休の作業内容の作戦会議。6日~8日の2泊3日、車中泊で別部隊が応援に。電気はきてるが電波は届かず、断水のため簡易トイレを持参。奥能登の往復だけでガソリンが無くなるため、給油が1番不安だったが、携行缶で40リットル持って行けたので、なんとかなったとのこと。


地震後、緊急地震速報で目が覚め、すぐに安否確認をするため、気が張り、その後は朝方まで眠れない。で、現在もまだ寝付けず不眠状態。


避難所のヒトらは、もっと不眠やろうな。さらに寒いと思うし。自宅の被災が無かったことがどんなに幸せなことか…。

明日から災害復旧に向け、頑張らねば!


今年初投稿が、地震報告。

来年の正月は 、 1年前はこうだったな…と少しでも笑って過ごせてたらいいな。


今日までに多くの地域から、多くの方々の支援があり、心より感謝します。

石川県、頑張ろう!!