群盲撫象、群盲象を評すと言われます。
もとは、インドの寓話です。昔は、ナウマンゾウやマンモスいたんですけど。そんなに世界各地には、象いませんからね。
数人の盲人が象の一部だけを触って感想を語り合うということで、真実の多様性や誤謬に対する教訓となっています。
この話には数人の盲人(または暗闇の中の男達)が登場し、それぞれ象の鼻や牙など別々の一部分だけを触り、その感想について語り合います。しかし触った部位により感想が異なり、それぞれが自分が正しいと主張して対立が深まりますが、しかし何らかの理由でそれが同じ物の別の部分であると気づき、対立が解消する、というもので、それぞれの宗教で、教えが若干違うようです。
ジャイナ教では、6人の盲人がゾウに触れ、足を触った盲人は柱のようです、尾を触った盲人は、綱のようです、鼻を触った盲人は、木の枝のようです、耳を触った盲人は、扇のようです、腹を触った盲人は、壁のようです、牙を触った盲人は、パイプのようです、と答えました。
それを聞いた王様は、あなた方は皆が正しいです。あなた方の話が食い違っているのは、あなた方がゾウの異なる部分を触っているからです。ゾウは、あなた方の言う特徴を、全て備えているのです、と結論づけました。
この話の教訓は、同じ真実でも表現が異なる場合もあることであり、異なる信念を持つ者たちが互いを尊重して共存するための原則を示しているのだそうです。
ウイッキぺデア参照
これは象をではなく、象がなでるですけど。
一発屋と呼ばれる人達はたくさんいますが、その中のひとりになるのでしょうかね。
大事MANブラザースバンドのボーカルの立川さんが、しくじり先生に出ていました。
結論としては、何が大事か考えることが大事なんだということでした。
結論は、自分が決めることで、人が決めることではないです。これ以外にも、もっと大事なことがあるかもしれませんし。
その際に、大事なのは、一つの事から考えるのでは、いろんな意見が必要だと思います。
私が言ってることが正しいと思っていません。そして、あなた方が言ってることが正しいとも限りません。いろいろ言い合って、自分で考え結論をだしてください。 人それぞれで、いろんな答えが、あっていいと思います。
ただ、一つに偏るということは、問題だと思います。実際の出来事は、一つからできていることはありません。
日本の政治を見てください。自民等になれば、癒着や汚職があるのは、わかってることです。民主党なんか、細川・羽田内閣でとんでもないことになったのですから、行政担当能力のないのはわかってることです。ですから、どちらか一方に傾くのではなく、良いバランスで考えていくべきなのです。
それを一つの事を取り上げて、いい、悪いの2つでしか判断できないということが問題です。
できれば、多極的に考えていただければと。違う意見大いに結構。そうい意味で書いています。勘違いないように。
強さ一つではなく 優しさ一つではなく
いろんな自分と出会い
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