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日々闘い。


この記事をたまたま目にして読んだとき、涙が止まらなかった。


自分の中に欠けていたこと、自分自身の心理の核心に深く刺さってしまった。


誰からも信じてもらえないということが何よりも辛く、寂しく、悲しいことだったのだとそう気付かされた。



仕事でも日常生活でもなんでもそうだ。

幼い時から家族でも誰かでも信頼関係の重要性について何処か欠けていたところがあった。


今思えば誰かに信じてもらったり信じることというのは凄く大切なことで、それを自らも踏み躙り、そして他人からも踏み躙られてきた自分は、本当に何もないのかもしれないと思ってしまった。


教えてもらえなかったせいではない。
ただ、そういう関係をつくることができなかった。そしてある時から傷つきたくないがために他人との関係を遮断してしまったことも大いなる原因であるともいえる。



本来であれば快活な性格、至って普通な感じで生きていたと思う。

ただ少しだけ、気に入った子に意地悪をしてしまうような、男の子みたいな性格だったから女の子達に嫌われたのだと思ってる。
そして必然的に、少し意地悪をして泣かせた女の子のお兄ちゃんから制裁を受けたことがイジメられる人生の始まりだった。


小学生の時には、可愛げのない顔と背が高いことと、あまり懐かない性格故に、上級生から目をつけられることも増えていった。

小3から始めたクラブ活動的なものに所属したら、追い討ちをかけるように酷くなった。
気に入らないという理由で先輩や同級生にいびられ、自分の言った言葉も信じてもらえず、馬鹿にされ、理不尽な言いがかりをつけられてその場で精神をズタボロにされる日々。とてつもなく地獄だった。

友達とはうまくいくことがあっても、深い仲にはなれなかった。
価値観の違い、考え方の違いがありすぎて、分かり合えなかったからだ。

小学校高学年の後半くらいには、色んなことに嫌気がさして登校するのも煩わしくなり、休むことも増えていった。


そして中学時代。
仲良くしてた友人との衝突があった。
その後、クラスや部活で色々と嫌がらせを受けたりした私は様々なことに嫌気がさして学校へ行かなくなった。
休んでいると、その友達の親が家にやってきては慰めの言葉をかけられたりした。しかし、完全に不登校になっていると、今度は自分の子だけが全て悪いようにみられる。助けてやったのに恩知らずだという言葉や、卑怯者という言葉を投げかけられた。
また、担任や学年主任、校長まで私の家に来たことがあった。
とある先生からは、親を亡くした子と比べられ、あなたは頑張れない子だとレッテルを貼られたりした。教室に行けないから保健室に避難していたら、担任からは逃げるなとも言われた。
それがあまりにも異常すぎて気持ち悪かった。
(今思えば勝手に家に来て私の同意なく部屋に来るというのはとんでも無く異常行為だと思っている。)

何故ちょっとした衝突でこんなにも色々されたり、土下座しろと言われたりしなければならなかったのか、いまだに不明だ。
そして何故大人や生徒たちはあんなにも必死に自分自身の評価や学校の評価を気にして生きているのか、それも気持ち悪くて仕方がなかった。
それは、世間の目を気にして私の気持ちを理解できないで終わらせていた自分自身の両親に対しても思っていた。
登校しないだけで殴られ、泣かれ、罵声を浴びせられ、、
私、ただ行かないだけで犯罪も何も犯してないよ。って思っていたし、親に対しての恨みとか色んな感情が混ざり合って、そこから人に対して、どこか心を閉ざしていく傾向に陥るようになった。

諦めともいえるような、そんな気持ちで。
誰かと深く関わり合うことに恐れを抱くようになっていった。


それからはその時代を少し引き摺るように、或いは完全に忘れ去るように、高校時代は拠り所をネットにして、上京して。
違う人生を歩むのだと、幸せになるのだと考えていた。
だけどそれも夢叶わず、砕けていった。


痛みを共有する相手を失い、社会に出て少しずつ頑張ってみても、辛いことも多くあって、やっと自分の居場所を見出せる職についたと思えば頑張りきれない自分がいて、それが許せず終わった。
自分を信じきれず、どこか自信がないまま生きてしまったのが元凶だ。

実際、ぶつかり合ってもどうしようもない人間は山程いて、自信と自信のぶつかり合いに私はただ負けて、辛くなって自分を責めることでやり過ごして、結果鬱になった。


おまけに鬱をぶり返した職場で吐かれた言葉、笑えないくらい当たってた。
今まで何してきたの。何が出来るのって。

本当に、、。何してきたんだろ。。
粉々に砕けて砂や塵になるような気持ちになった。

帰ってきた場所で何もできなくて、不甲斐なくて、信頼を得ようと仕事を頑張っても報われなくて。
そして今がこんな状態で、こんな大事なことに今更気づいてる。


ただ悲しくて寂しくて、出会った人間に大事にされないのも、全部自分のせいで。
波が来てネガティブになるのを繰り返して、結局何も変わってなくて。。

だけど、心の何処かではまだ諦めずに、希望を捨てないで生きている。
だからまだきっとやり直せる。そう信じようとしている。


私のように、過去のトラウマと向き合いながら苦しんでる人は多いと思う。
辛くて今にも死んでしまいそうなくらい苦しい人、沢山いる。

ただ、生きることを諦めないでほしい。
できないことはできないで、それでもういいって思って欲しい。
今まで辛かった。我慢した。
人に認められなくても、発達障害をもっていても自分自身は生きた。
それで十分なんだってこと、気づいて欲しい。


この記事を読んで私は本当の意味で命の尊さに気づいた気がした。
だから少しずつ見つけていきたい。
色んな希望や可能性を模索しては生きてみようと思っている。

挫けそうになっても、人は皆違う別の生き物だということを思い出そうと思う。
絶対に同じにはなれないし、ならない。
そして、それが当たり前なのだと色んな人に気づいてほしい。

これこそが揺るぎない生命の真実だと思うし、もっと考えて生きていくべきだと思った。


もし仮に、この記事の親御さんのように、自分のありのまま全てを受け入れてくれる人が両親であったら私の人生は全然違っていたのかもしれない。
だけど子は親を選べないし、親も子を選べない。

この社会で生きていくということは、私の中で闘いである。

でも、もう少し肩の力を抜いて、今ある自分を受け入れて生きてみようと思えた。

自分を愛するということがどういうことなのか、この記事を通してやっとわかった気がした。