(⇒昨日の続き⇒)
無敵とは、敵が居ない状態である。
だから、無敵の人の「強さ」は調べる事が出来ない。
何故なら、ソイツが強いのかどうか、戦って調べてみた瞬間、
ソイツに敵が出来てしまうので、無敵ではなくなるから。
昨日の記事でお話しした、無敵の状態です。
「無敵である」という状態は存在するけど、
調査すると、崩壊する。
同じように、あなたもいま、完全なる状態なんですが、
インド人がよく言う、「汝ソレなり」という状態があります。
あなたは、今、その状態です。
いわゆる、悟っているし、神さまだし、完璧なる状態です。
あなたは、いま、ソレです。
でも、本当にその状態なのか、ちょっとでも調べようとすると、
その状態は崩壊します。
「お前は無敵だと聞いた、いざ、勝負」と言われた時点で、
無敵の仙人が、無敵じゃ無くなった(有敵)のと同じです。
「わたしは悟っていると聞いた、いざ、証拠を見せろ」
究極の場所に居たあなたが、究極じゃ無くなります。
「無敵」という状態に、強さや弱さは関係ないと言いました。
「悟り」という状態に、至福感や証拠は必要ありません。
それを求めたら、崩壊する。
求めるまでは、ソレだった。
強いのかどうか調査したら、無敵じゃ無くなる。
悟っているか疑ったら、悟りから離れる。
それだけです。
「無敵」を昨日、我が最愛の息子のお陰で理解出来たあなたは、
わかるでしょう。
疑えば消える、信じればソレ。
「悟り」という状態と、その他一切の現象世界に起こる事は、
無関係です。
あなたが明日以降も、
「お前は無敵だと聞いた、いざ、勝負!」
という不毛な状態になっていないことを祈ります。
↓「よっしゃ、信じるぞ!」とキバる必要も無い。
キバろうが、キバるまいが、その状態なんだから。
「無敵かどうかを調べられない、無敵の仙人」が居るなら、
「悟っているかどうかを調べられない、完全覚醒者」
インドの山奥で困る人は誰ひとり居ません。
不思議かもしれませんが、ソレは調べられません。
「疑う」という願いが、瞬間に叶っちゃうからです。
「疑う」とは、「悟っていないはずだ」というあなたの願い。
「そんなわけはない、私は悟っていないはずだ」という願い。
あなたの願いは絶対に叶えずにはいられないこの宇宙で、
自分の尻尾を噛んで、グルグル回るイヌにはならないでください。
「無敵」の境地は、尻尾を追わなくなったときに訪れます。
ワンワン。
↓今日は下の二つのボタンを押す際、
「お前は悟っていると聞いた、では、さらば!」