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先月の記事(⇒ココ) で、
どこにも無い『完成形』を探している限り、
あなたは、いまを、『未完成』だと感じてしまう。
だから、
「幸せになろうだなんて、もう、しません。」
と言えれば、ゴールですって言いましたよね。
「おう。
私は、あの記事以来、そう思うようにしているぞ。
私は、幸せになろうだなんて、もうしません。
ホラ、思ってる。
わたし、凄いでしょ?」
残念ながら、思うようにしている限り、そう思えてはいません。
『私は、幸せになろうだなんて、もうしません。』
この宣言は、真理到達への最後のキーです。
私は、幸せになろうだなんて、もうしません。
これは、どういうことなんでしょうか?
わたしは、このままで良いです。
変わろうだなんて、もうしません。
ということです。
現状を、ありのままを、全てを認める。
これは、本当に深い話しで、
『全てを認める』ということは、
『認めきれない自分も認める』ということです。
『変えようとしている自分を見つけても、変えようとしない』という事です。
何かを、変えようとする必要は無いという事は、
これまで通り、
いろんな方法を求めて、幸せになろうとしている自分がまた出てきてもOKだし、
そのメソッドで幸せになれない自分に出会っても、変えようとせず、
そのせいで落ち込んでしまった自分を、変えないように頑張っている自分に気付いても、ただ見つめるだけで、
もう、本当に、全てを認め続けるということです。
全てを、見つめ続けるということです。
これは、言うは易し行うは難しで、
なかなか、出来ない事です、
どこかで、絶対、変えようとしちゃいます。
『起こることを、起こるままに任せる。』
そう、心に決めたあなたが、
次の日、彼女に別れ話を持ちかけられたとします。
すると、あなたの自我が、
『起こることを、起こるままに任せる』ために、
普段だったら、大反対して、一生懸命行動するのに、
彼女に対して、「そっか、わかったよ。別れることを認めるよ。」って言ってしまう。
でも、これは違うんです。
『起こることを、起こるままに任せる』
んだから、
「大反対して、一生懸命必死になって説得する」
が起こるんであれば、起こるままに任せるんです。
【彼女に別れ話を持ちかけられたら、私は大反対する】
わたしというのは、そういう物理法則なんです。
「わたし」に「別れ話」をぶつけると、「大反対」という現象が起こる。
それだけなんです。
それを、見つめていればいいんです。
「ドライアイス」に「熱湯」をぶつけると、モクモクと煙立つという現象が起こる。
ホラ、上と、一緒でしょ?
「わたし」に「お金が無い状況」をぶつけると、「不安」という現象が起こる。
それを、見つめてればいいんです。
「わたし」に「そのままで良いよ」という真理を教えると、「それでも何かをしようとする」という現象が起こる。
それを、見つめてればいいんです。
現状を、ありのままを、全てを認めましょう。
喜納昌吉の【花】という歌が言うままです。
「泣きなさい、笑いなさい。」
全ての上に立ちましょう。
だから、今日、もう一度、宣言してもらえませんか?
「私は、もう二度と、幸せになろうだなんて思いません。」って。
何度も、何度も、唱えてみてもらえませんか?
あなたは、
「私は、幸せになろうだなんて思いません」というセリフを、
幸せになろうとして、唱える事でしょう。
幸せになるために、そのセリフを言うでしょう。
でも、それで良いんです。
そのままで、良いんです。
幸せになろうだなんて、もう二度と思わないあなたが、
幸せになろうとしても良いんです。
何かを変える必要なんてない。と悟ったあなたが、
次の日、
何かを変えようとしているあなたに出会っても、
それを変えようとしないでください。
何かを変える必要なんて無いんだから。
変えずに、ただ、それを見つめていてください。
「あなた」とは、そういう反応が起こる、ただの要素なんだから。
それを、見つめてください。
あなたは、ありのままで良いです。
泣きなさい、笑いなさい。
変えようとしなさい、変えようとはしまいとしなさい。
幸せになろうだなんて思わないでください、
例え、幸せになろうと思っている自分を見つけても。
起こるままに、起こしなさい。
↓宣言してもらえます?
「私は、もう二度と、幸せになろうだなんて思いません。」
って。
それは要するに、
今までのように、また幸せになろうとしている自分が出てきても、
それをそのままに起こしてあげようってことだよ。
↓今日は下の2つのボタンを押す際、
『私は、もう二度と、幸せになろうだなんて思いません。』ポチ・ポチ↓
って言いながら押してみてね。当然だよね。
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