大好きな叔父へ。ありがとう

 

今日は11/22。いい夫婦の日。

 

私には両親の他に、

とてもお世話になったご夫婦がいます。

 

7月にさくらんぼの投稿をさせていただいた

叔父叔母ご夫婦です。

 

10月に叔父は天国に旅立ちました。

 

 

人の生死に関わることは、

とても繊細な話。

 

SNSへの投稿に迷いがあり、

記事は書いたもののずっと投稿できずにいました。

ですが最近、

大切な方とのお別れの話を耳にすることが重なり…

 

そんな方たちと少しでも

悲しみを分かち合えたら…と思い

投稿させていただきます。

 

 

.。..。.:*・゜・*:.。. .。.:*・゜゜・**・゜゜・*:.。..。.:*:.。. .。

 
知らせを受けて仙台に戻ってきた日。
まるでお二人のような優しい夕陽
 
 
叔父は10/1に天国に旅立ちました。

叔父、という存在ではあったけれど、
私にとってはもう一人の父のような存在だったのだと
悲しみの大きさが
存在の大きさを教えてくれています。

なくなったと知らせを受けた当日。
お別れを終えてからの岐路。
それぞれ気持ちを綴っていました。

 
 
:.。..。.:*:.。. .。*:.。..。.:*:.。:.。:.


今朝、仙台で約2年近くお世話になった叔父が
なくなったと連絡がありました。

娘のように可愛がってくれた叔父。
実のお子さんでさえ
こわくてけんかしたことないと聞いていたのに…
生意気にも言い返して
けんかさせてもらったこともありました。


まだ何も恩返しできていないのに
あまりに早い旅立ちです。


叔父が末期がんと知ったのは8月に帰省した時。
叔父叔母に会いに行った日。
玄関前で叔母から
「あのね、みっちゃん。
ずっとだまっておくように言われていたから言えなかったんだけど、実は・・・」と
叔父の容体について聞かされました。

あんなにうきうきしていた体が
一気にこわばったのを今でも覚えています。
それから恐る恐る叔父の元へ向かうと
そこには1月に会った時とは別人の叔父がいました。


あまりの変わりように私の心は全く追いつかず…


一瞬涙があふれそうになったけれど、ぐっとこらえて
目一杯の笑顔で話しかけるのが精一杯。
叔父の体をさすり、今の私にできること、
氣の先生に教わってきたことを思い出し、
精一杯体に氣を送らせていただきました。
それくらいしかできなかった。

体のことをいくら学んできても
体が弱り、本人も延命治療したくない、
そう言われてしまっては、為す術がない。
取り入れられそうなことはお伝えしましたが、
本当に自分が情けなかった。
大切な人のために、私は何もできないのか…。

ビデオレターを送ったり、
遠隔で氣を送らせてもらったり、
氣の学び仲間にお願いして
一緒に氣を送っていただいたりしました。


9月中旬には、
だいぶ状態が落ち着いていると聞いていたので
少しほっとしていたのですが、
安堵したのも束の間
叔父は天国に旅立ってしまいました。


7月。
いつもと変わらず、私にさくらんぼを送ってくれていた頃。
本当はもう寝たきりになっていたんですね。
きっと
「7番目の娘が心配しないように、いつも通り送るように。」
そんな風に叔母に伝えていたのかなと。



本当に本当に
愛の深い人でした。



今の私は何も守るものがありません。
パートナーも子どももいません。
だけど叔父には叔母だけでなく、たくさんの子どもや孫がいる。
曾孫だって生まれたのに。
本当は私の寿命10年分と引き換えに長生きしてもらいたい、
そんな風に考えたことさえありました。


だけど、それも叶わないから。


私は叔父の分も生きるね。
生きてたくさんの人を笑顔にできるように
そういうお仕事がしたくて、こっちに戻ってきたんだから。
私には私にしかできないことをやります。
約束するね。


「やり残したことはない」
そう8月に言っていた叔父。
そう言われて少し寂しかったけれど、
そんな風に言い切れるってすごいことだなと。


私もそんな生き方をしたいと思いました。
叔父に恥じないように生きていきます。



叔父がおかえりと言ってくれているような
あたたかい晴天が迎えてくれました


:.。..。.:*:.。. .。*:.。..。.:*:.。:.。:.
 

叔父の葬儀を終えて・・・
帰路で思うこと

②へ続きます。