お久しぶりのわたくしめでございます。
今日は久しぶりに考え事ができたので、その備忘録的な書き物などしてみようと思い立った次第です。
さて、タイトルにもあるとおり、今回考えたのは「ゆとり教育って結局どうだったの?」というテーマについて。
データと私見を交えて書いていこうと思います。
まずデータから。
①高学歴者が多い。高学歴者数過去最大、大卒者院卒者過去最多、高卒率過去最多、中退率過去最低。
②塾・予備校の通学率過去最大。
③センター試験の難易度は過去最難。
④TOEIC得点率過去最高。
⑤国際学力調査で世代別トップ
との事。
うーん、どうなんですかねーこれ。
個人的な印象で言わせてもらえば、某化粧品会社の~~~第一位!~~~第一位!っていうのと同じに見えるんですよね。反論する穴が大きい、釣り針が大きすぎて素直に噛み付いていいのか不安になるレベルです。
・・・が、噛み付かないと考え事として成り立たないので、とりあえず噛み付いてみましょう。
①高学歴者が多い。高学歴者数過去最大、大卒者院卒者過去最多、高卒率過去最多、中退率過去最低。
これはゆとり教育の賜物ではなく、世間の意識の問題。
教育が改革されたのではなく、大人側の意識が改革されたことによって、子供に対する対応が手厚くなったのが最大の原因です。
ではこれがいい事かというと一概にそうとは言い切れず、対応の手厚さが過熱した結果がモンスターペアレントであり、これはまた別の問題になっていますよね。
学力的にはプラスになっていますが、コミュニケーション能力の観点ではマイナスです。
ゆとり世代の子供が、ではありません。現代の世間のコミュニケーション能力です。
とにかく我慢の限界が早い。何をされても我慢しろとは言いませんが、ある程度の我慢ができないと、理性的に生きていけませんよ?
②塾・予備校の通学率過去最大。
これも上に同じく世間の意識の問題。
ゆとりゆとりと義務教育が叩かれた世代ですから、親の立場としてはゆとり教育の指導影響を受けない塾や予備校に通わせようと思う心理はごく当たり前なんです。
なので、ゆとり世代がすごいのではなく、そういう世代の風当たりを受けた親たちが頑張った結果です。
③センター試験の難易度は過去最難。
これもゆとり教育の成果とは全くの無関係。
なぜなら、これまでも過去より難しい問題は出ているわけで、世代別で見れば右肩上がりになってるんです。
その流れに従えば、"今は"ゆとり世代が最難関世代でしょうけど、あと30年もしたらそうではなくなるんじゃないですか?
④TOEIC得点率過去最高。
そもそもTOEICがどうだこうだと騒がれ始めたのはせいぜい20年ほど前からです。
TOEIC自体の開始は1979年。英語の重要性が騒がれ始めたのが1990年代に入ってから。
そこから受験生が増加し始め、対策だなんだとビジネスに広がっていったわけですから、そもそもの歴史が浅いんです。民間注目度の問題です。
これも③に同じく、あと30年したらどうなるんでしょうかね。
⑤国際学力調査で世代別トップ
唯一認められる可能性があるのがこの項目。
但しこれも世界情勢に左右されるものがあるので、相対的に日本があがったのか、それとも相対的に世界が下がったのか、というのは俺にはわかりません。
と、ここまでがデータのお話。
次は俺の私見についてです。
社会に出て、ゆとり世代と呼ばれる人間と一緒に仕事をして思ったことを書いていきましょう。
なぜ仕事についてなのか?それは、お勉強に関する話はここまで十分しつくしました。なので、ここからは社会に出てからの話をした方が情報として重要性が高いと思ったからです。
①協調性に欠ける
まずはこれ。飲みニケーションを大切にしろ、とは言いませんが、蔑ろにしすぎです。
歓迎会というのも、先輩や上司が飲みたいから開催するのではなく、結局のところ仕事とプライベートでどんなキャラクターなのかを知りたいという面の方が重要で、それを拒否されてしまうと仕事も与えづらくなるんです。何せ信頼関係が生まれづらいのですから。良くわからない人間に重要な仕事を振るほど恐ろしいこともなく、結局自分でやるハメになり、いるだけ無意味な(これならアルバイト雇ったほうがコスト削減になるだろう的な)新入社員になりがち。
仕事も楽しんでやらなければ意味がない!と思う俺なので、そんなに金だけほしいなら誰にも関わらずに済むような仕事、工場で黙々と作業をするとか、そういう仕事したらいいんじゃないですかね。
少なくとも他の人間とコミュニケーションをとる必要がある職場であるなら、協調性がないのは大きなマイナスです。
②良く言えば大胆、悪く言えば無責任、そして管理下手
思いつくことは大胆です。年配であればリスキーすぎて最初から選択肢に入らない手法でも、メリットを考えて提案してきます。
問題は、そのリスクに対してのフォローアップができていないこと。
リスク<メリットにすることはできても、必須のリスク回避ができていないケースが多々見られます。
どんなにメリットがあっても、このリスクだけは回避しなくちゃいけないという概念がない、つまりリスクマネジメントが上手くできない。ひいてはタスクプライオリティをつけるのが苦手な人も多いです。
同時に仕事を振られると、「今これをやっているので」という返答が来るのもゆとり世代。
本来であれば重要性を考えて、何を先に片付けるべきか、という思考ルーチンが入ってくるはずです。
③気性のムラが平均的に激しい
気分を乗せてやれば、他世代よりもハイペースで仕事をする人が多いです。
但し、気分を害すると他世代よりも役に立ちません。
良くも悪くも気性が素直に出るタイプが多く、恐らく激務になると耐えられない人が多いと思います。
条件付きのハイスペック人材という印象が強いです。
と、ここまで悪い印象を書いていますが、文章全体で見ると長所と短所がはっきりすると思います。
要するに、学力的には向上していますから、成功してるはずなんです。
ただ、コミュニケーション能力の面でマイナスが生まれているので、この点を成功というか否か。
「ゆとり」という言葉通り、のびのび育った世代ですから、現代の圧迫的な社会にはすぐに馴染めないのかもしれません。
圧迫的になってしまうのにも原因があって、現代社会を引っ張っている上の世代は、体育会的な育ち方をしていますから、上が言う事は絶対という人が多いんですね。
無論、俺もそういう考え方には否定的ですが、現代社会の主流になってしまっているのもまた事実なわけです。
ここから10年20年たって、俺のような就職氷河期世代が主導権を握ってきたら、何かが変わるかもしれません。
社会の変革というのはそう簡単にできるものではなく、結果が出るのは数十年後なんです。
そして、今一番大切にしなきゃいけないのは、「今のやり方が間違っている!」という主張を鵜呑みにすることではなく、「どこが間違っているから修正する」という考えを持つことなんです。
全部間違っていたら社会は回らないんです。回っているという事は、正解項もあるという証明なんです。
時代が変わってきて、きしみ始めている部分を修正して正解項を増やしていく、というのが肝要なんです。
よく、人との付き合い方で「否定から入る人は嫌われる」なんていいますよね。
確かに賛同から入る人は好かれる傾向がありますが、それはあくまで人付き合いレベルでの話。
仕事やビジネスになると、それは単なるオウムであって、役に立ちません。
かといって、否定から入る人間は障害にしかなりません。
ではどうあればいいかというと、否定でも賛同でもなく、懐疑から入ればいいんです。
まず疑う。本当にそうなのだろうか?ベターな回答が他にあるのではないか?
とどのつまり、考えろって事なんですよ。
まず自分で答えを出したら、一度立ち止まって考える。本当にそうなんだろうか?
二度目の答えがマッチしたら、それがあなたの中の正解です。
テストではできるのに、実社会になるとできない人が多いのは本当に不思議ですよね。
皆さんもやったでしょう?テストの見直し。
そういうレベルの痛み。
数年前から抜かないといかんねといわれ続けた右下の親知らずを、とうとうぶっこ抜いてきました。
現在抜歯から5時間経過、麻酔が切れて激痛がランニングなうです。
いやはやしかしたまらん、痛みには強い方だと思っていたけど、想像以上に痛い。
というのも、計算外にがっつり切開されたのが効いてるんだろうなー・・・。
実際抜歯後の穴を埋める血栓の部分の痛みはこれくらいはあるだろうなー、という覚悟はしてました。
と言いつつも覚悟してただけであってイテェもんはイテェのは変わりませんが。
が、そこに加えて6針分(!)の歯茎の切開がプラスされて、そいつの痛みが加勢して右の口は動かせないレベルに。
そして止まらない出血。口の中が血まみれだぜぇ。ワイルドだろ~?生肉でも食ったのかと。
何よりつらいのがアルコール禁止。
血行がよくなっちゃうからね、そりゃそうだ。仕方ない、あきらめよう・・・。
お風呂も入れないの?およよ。あたししばらく誰とも会えない。ばっちいもの。
ちょっと待て。タバコは?タバコはどうなの?
特に何も言われてないんだけど、吸ってもいいの?
とかいう疑問を持ちつつ、すでに帰りに一本吸ってしまったんだけども、どういう影響が出るのか調べてみた。
「毛細血管が収縮して傷の治りがうんたらかんたら」
「ヤニで雑菌がなんたらかんたら」
「治癒中の箇所に発がん性物質がついて癌になる(何を言っているの?)」
「タバコは抜歯後じゃなくてもダメです^^(だまれ嫌煙厨)」
と、このような事が書いてあったわけです。
ひとまず傷の治りが遅いのは問題っすな・・・まずは痛みが治まるまで禁煙してみようか。
雑菌何たらかんたらは薬貰ってっから大丈夫だろ、週明けに消毒もするし。
ともあれ、地獄の週末が始まるわけです。
痛みとニコチン不足のストレスが・・・
数年前から抜かないといかんねといわれ続けた右下の親知らずを、とうとうぶっこ抜いてきました。
現在抜歯から5時間経過、麻酔が切れて激痛がランニングなうです。
いやはやしかしたまらん、痛みには強い方だと思っていたけど、想像以上に痛い。
というのも、計算外にがっつり切開されたのが効いてるんだろうなー・・・。
実際抜歯後の穴を埋める血栓の部分の痛みはこれくらいはあるだろうなー、という覚悟はしてました。
と言いつつも覚悟してただけであってイテェもんはイテェのは変わりませんが。
が、そこに加えて6針分(!)の歯茎の切開がプラスされて、そいつの痛みが加勢して右の口は動かせないレベルに。
そして止まらない出血。口の中が血まみれだぜぇ。ワイルドだろ~?生肉でも食ったのかと。
何よりつらいのがアルコール禁止。
血行がよくなっちゃうからね、そりゃそうだ。仕方ない、あきらめよう・・・。
お風呂も入れないの?およよ。あたししばらく誰とも会えない。ばっちいもの。
ちょっと待て。タバコは?タバコはどうなの?
特に何も言われてないんだけど、吸ってもいいの?
とかいう疑問を持ちつつ、すでに帰りに一本吸ってしまったんだけども、どういう影響が出るのか調べてみた。
「毛細血管が収縮して傷の治りがうんたらかんたら」
「ヤニで雑菌がなんたらかんたら」
「治癒中の箇所に発がん性物質がついて癌になる(何を言っているの?)」
「タバコは抜歯後じゃなくてもダメです^^(だまれ嫌煙厨)」
と、このような事が書いてあったわけです。
ひとまず傷の治りが遅いのは問題っすな・・・まずは痛みが治まるまで禁煙してみようか。
雑菌何たらかんたらは薬貰ってっから大丈夫だろ、週明けに消毒もするし。
ともあれ、地獄の週末が始まるわけです。
痛みとニコチン不足のストレスが・・・
お久しぶりです。久々の考え事です。
今回のテーマは下記のソースです。一度目を通して頂ければありがたく。
http://news.livedoor.com/article/detail/7550437/
ここ最近、本当にどうしようもない通報事例が増えていますね。
声をかけるのはもちろん、そこに存在するだけで通報されるような事例、事例、事例・・・
猜疑心にも程がある、というのが俺の見解です。
冷静に考えれば、矛盾しているんですよ。
一例を挙げましょう。
「地域で子供を守ろう」
こういったスローガンを掲げている自治体は多くあると思います。
では、「子供を守る」というのはどのような行動をさすんでしょうか。
具体的に、どのように子供を"守る"んでしょうか。
「地域に暮らしている人々が、常に見守ってあげよう」
これが具体的な「子供を守ろう」だと思っているのですが、今の世の中は、見守る=不審というよくわからない構図が出来上がりつつあります。
ではなぜそうなってしまうのか、それは猜疑心が必要以上に強すぎるからです。
猜疑心というのは人を疑う事。大人がその猜疑心を強めすぎて、世間が歪んでいる事に気付いている人が、どれくらいいるのでしょうか。
そして何よりも恐ろしいのは、この猜疑心を持った状態が常識になりつつある事なのです。
俺自身、人は疑ってかかりなさい、と過去に教わった事はあります。
ですが、無関係の人間を疑えと教わった事はありません。
これは、教える側の人間が正しいモラルを持っていたからこそ成り立つ教育です。
警察という治安組織の権力を個人の裁量で濫用する、という曲がったモラルがなかったから成立してたんです。
今の世の中は、ちょっとでもおかしいと自分が思えばそれは異端なのです。
過度に下がったボーダーライン、村八分精神とでもいいましょうか。
それが生み出すものは、隣人との溝を広げ、とてもじゃありませんが「地域で子供を守ろう」などという行為には結びつかないのです。
お隣付き合いが全くない家庭が増えている現代、プラスに働く要素が何ひとつない事、本当に危惧すべきはこの点なのではないでしょうか。
個人でシミュレート、つまりこの状態を維持した場合、この先どうなっていくのかを考えてみると、非常に恐ろしいことがわかると思います。
猜疑心が強くなりすぎて誰も信用できなくなる。正確には知り合い以外信用できないという事だが、そもそも入り口である「他人と知り合う」機会が大幅に削られる為、生活においても非常に偏った核家族主義となっていき、人間関係の希薄化による孤独死の増加、犯罪の増加。
今は警察が律儀に動いてくれるケースがあるからいいですが、あまりにも「疑わしきは罰せよ」の精神が横行しすぎれば、対応する警察のマンパワーが不足してくるのは明らかです。
マンパワーの不足した警察が取る行動は、警察官を増やすことではなく、通報の段階での切り分けです。
これは不誠実な行動ではなく、組織で動いている以上、リソースの問題を解決するのは第二段階の解決方法だからです。
第一段階では、現状のリソースでどこまで対応できるかの検討、なのです。
当然、切り分けが入れば本当に危険な状態も見えづらくなるでしょう。
そして、本当にまずい事が起きても、切り分けの段階で切り捨てられる可能性が出てくるのです。
さらに、地域内交流低下が進めば、犯罪者から見て「誰も自分を知らない」という状況が出来てきます。
これはつまり、犯罪者に隠れ蓑を与える行為そのものなのです。
加えて、そういった状況下で育った子供は、この状態こそ「当たり前の常識」として認識してしまい、ますます個人間の付き合いが難しくなっていきます。
そうすれば当然学校で友達を作る難易度も上がっていきますし、孤独な人間・・・いわゆる「ぼっち」が増殖していくことにより、誰もその子のことを詳しく知らない・・・つまり怪しい、という意味のわからない状態が常識化していく、という事でもあります。
人を疑ってかかるのは結構ですが、あくまで良識に沿って考える必要があるという事です。
事が起きてからでは遅いという主張はわかりますが、事に発展しない事まで潰していたら、人は一人で生きていくしかなくなってしまいます。
昔教わりましたよね、人は助け合って生きていく生き物だと。
助け合って生きてきたから自然界の淘汰に勝ち抜き、地球の覇者でいられるのだと。
行き過ぎた個人主義は他人への援助を断ち、他人からの援助を断ちます。
それがマイノリティであればいいものの、多数派になって常識化した時、他人を助ける事は異端行為であり、常識の外となってしまうのです。
こうなってしまったら、もう手遅れなのです。
今、その入り口が見えています。
この事に気付いている人間がどれくらいいるのか、俺が本当に怖いと思うのはこの点です。
無警戒に人を信じろとは言いませんが、警戒しすぎて破滅するのが当然という世の中にはしないでくれ・・・
これが俺の意見なわけです。
寝起きに書き綴っているので、乱文になっているかもしれませんが、これが誰かが何かを考えるきっかけになってくれれば幸いです。
では。
今回のテーマは下記のソースです。一度目を通して頂ければありがたく。
http://news.livedoor.com/article/detail/7550437/
ここ最近、本当にどうしようもない通報事例が増えていますね。
声をかけるのはもちろん、そこに存在するだけで通報されるような事例、事例、事例・・・
猜疑心にも程がある、というのが俺の見解です。
冷静に考えれば、矛盾しているんですよ。
一例を挙げましょう。
「地域で子供を守ろう」
こういったスローガンを掲げている自治体は多くあると思います。
では、「子供を守る」というのはどのような行動をさすんでしょうか。
具体的に、どのように子供を"守る"んでしょうか。
「地域に暮らしている人々が、常に見守ってあげよう」
これが具体的な「子供を守ろう」だと思っているのですが、今の世の中は、見守る=不審というよくわからない構図が出来上がりつつあります。
ではなぜそうなってしまうのか、それは猜疑心が必要以上に強すぎるからです。
猜疑心というのは人を疑う事。大人がその猜疑心を強めすぎて、世間が歪んでいる事に気付いている人が、どれくらいいるのでしょうか。
そして何よりも恐ろしいのは、この猜疑心を持った状態が常識になりつつある事なのです。
俺自身、人は疑ってかかりなさい、と過去に教わった事はあります。
ですが、無関係の人間を疑えと教わった事はありません。
これは、教える側の人間が正しいモラルを持っていたからこそ成り立つ教育です。
警察という治安組織の権力を個人の裁量で濫用する、という曲がったモラルがなかったから成立してたんです。
今の世の中は、ちょっとでもおかしいと自分が思えばそれは異端なのです。
過度に下がったボーダーライン、村八分精神とでもいいましょうか。
それが生み出すものは、隣人との溝を広げ、とてもじゃありませんが「地域で子供を守ろう」などという行為には結びつかないのです。
お隣付き合いが全くない家庭が増えている現代、プラスに働く要素が何ひとつない事、本当に危惧すべきはこの点なのではないでしょうか。
個人でシミュレート、つまりこの状態を維持した場合、この先どうなっていくのかを考えてみると、非常に恐ろしいことがわかると思います。
猜疑心が強くなりすぎて誰も信用できなくなる。正確には知り合い以外信用できないという事だが、そもそも入り口である「他人と知り合う」機会が大幅に削られる為、生活においても非常に偏った核家族主義となっていき、人間関係の希薄化による孤独死の増加、犯罪の増加。
今は警察が律儀に動いてくれるケースがあるからいいですが、あまりにも「疑わしきは罰せよ」の精神が横行しすぎれば、対応する警察のマンパワーが不足してくるのは明らかです。
マンパワーの不足した警察が取る行動は、警察官を増やすことではなく、通報の段階での切り分けです。
これは不誠実な行動ではなく、組織で動いている以上、リソースの問題を解決するのは第二段階の解決方法だからです。
第一段階では、現状のリソースでどこまで対応できるかの検討、なのです。
当然、切り分けが入れば本当に危険な状態も見えづらくなるでしょう。
そして、本当にまずい事が起きても、切り分けの段階で切り捨てられる可能性が出てくるのです。
さらに、地域内交流低下が進めば、犯罪者から見て「誰も自分を知らない」という状況が出来てきます。
これはつまり、犯罪者に隠れ蓑を与える行為そのものなのです。
加えて、そういった状況下で育った子供は、この状態こそ「当たり前の常識」として認識してしまい、ますます個人間の付き合いが難しくなっていきます。
そうすれば当然学校で友達を作る難易度も上がっていきますし、孤独な人間・・・いわゆる「ぼっち」が増殖していくことにより、誰もその子のことを詳しく知らない・・・つまり怪しい、という意味のわからない状態が常識化していく、という事でもあります。
人を疑ってかかるのは結構ですが、あくまで良識に沿って考える必要があるという事です。
事が起きてからでは遅いという主張はわかりますが、事に発展しない事まで潰していたら、人は一人で生きていくしかなくなってしまいます。
昔教わりましたよね、人は助け合って生きていく生き物だと。
助け合って生きてきたから自然界の淘汰に勝ち抜き、地球の覇者でいられるのだと。
行き過ぎた個人主義は他人への援助を断ち、他人からの援助を断ちます。
それがマイノリティであればいいものの、多数派になって常識化した時、他人を助ける事は異端行為であり、常識の外となってしまうのです。
こうなってしまったら、もう手遅れなのです。
今、その入り口が見えています。
この事に気付いている人間がどれくらいいるのか、俺が本当に怖いと思うのはこの点です。
無警戒に人を信じろとは言いませんが、警戒しすぎて破滅するのが当然という世の中にはしないでくれ・・・
これが俺の意見なわけです。
寝起きに書き綴っているので、乱文になっているかもしれませんが、これが誰かが何かを考えるきっかけになってくれれば幸いです。
では。
どうも、お久しぶりの酔っ払いです。
今日は、言葉についてちょっと思う事を書いてみようと思います。
考えてみると、こういう風に冷静に物事を考えるのも久しぶりですね。
設計図を一切書かずに徒然と。どこへ向かうのかは現状の俺にもわかりません。
今回のテーマは言葉について。
とは言っても、言葉という括りにしてしまうと膨大なカテゴリになってしまい、収拾がつきません。
そこで、あるひとつの言葉・・・しかも、多くの人が考えるであろう、一般的な言葉について考えてみましょう。
その言葉とは「愛」です。
まず冒頭から、とんでもない事を言います。
皆さんは、今皆さんの隣にいる相手を愛していますか?
よく、結婚式などで「互いを愛し抜く事を誓いますか」という文句がありますが、あれは本当に愛なんでしょうか?
俺の思う結論はNoです。
本当の愛というのは、基本的に親子間でしか芽生えないものだと思っています。
ただし、例外的に他人を愛する事ができる人もいますので、すべてがすべて偽物だとは言いません。
が、世の中に転がっている「愛と呼ばれる物」のほとんどは偽物、まがい物です。これは断言できます。
なぜなら、愛の定義は「見返りを求めない事」にあるからです。
皆さんは、今付き合っている人や人生の伴侶が、不貞をはたらいたとして許せますか?
浮気してました、不倫してました、これらを穏やかに許すことができますか?
できませんよね?
ならば、それは愛ではないのです。
じゃあ、愛されていれば何をしてもいいのかというと、究極的な答えはYesです。
愛されている限り、何をしても許してもらえます。
ただし、それは「愛されている側のモラルの問題」であって、「愛している側の問題ではない」のです。
それを少し長めに捉えると、「愛している人を悲しませたくないから、不貞は働かない」という事になるのです。
ならば、愛し合えているのであれば不貞は発生しない、という結論になるのであって、「愛しているから不貞を働かない」ではないのです。
つまり、何が言いたいかというと、「本当に愛しているのであれば、自分の損得は勘定に入らない」のです。
これが愛の定義だと考えているのです。
だからこそ、冒頭で「幸せに暮らしてほしい」と願う親と子の間くらいでしか、本当の愛は芽生えないと言ったのです。
「愛は真心、恋は下心」というのは、非常に良くできた名言だと思います。
見返りを求めるからこそ恋であり、相手のことだけを思うのが愛なのですね。
俺も昔は子供でしたから、軽薄に「愛している」という言葉を吐いたことがあります。
が、思い返してみると、もう十数年、本心から愛しているという言葉を誰かに言ったことはありません。
つまり、言葉の意味を考えたのは二十歳を迎える前だった、という事です。
付き合ってきた人たちに対しても、「好きだ」という言葉は言っても「愛している」とは言っていません。
なぜなら愛していないから。そこまで自分を犠牲にしてまで幸せになってほしいと思わないから。
そういう意味で考えると、俺は「人を愛する事」を知らない大人です。
ですが、俺のような人はたくさんいるのではないでしょうか。
だからこそ、異性を信じられない、他人を信じられない、そういう人がたくさん出てくるのではないでしょうか。
おそらく、の話ではありますが、俺は子供を通してでないと、女性を愛せないと思います。
これから先、結婚して子供が生まれて、愛を知るのはその後だろうなと思うのです。
『卵が先か鶏が先か』
とはよく言ったもので、物事の順序がまるでかみ合っていないのです。これを自覚してるのです。
だからこそ、ある程度の妥協で結婚して、子供が生まれてから、「愛している」と思える気がするのです。
さらに突っ込んだ話を言えば、子供が母親を求めなかったら、俺は結局嫁を愛せないと思うんですよ。
自分の子供には無償で愛を与えられます。そして、その愛を与える対象が、母を求めているなら、嫁もまとめて愛しましょう。
求めていないのであれば、それは俺の愛する対象の中に入らないのではないか。
そういう考えなわけです。
これを俺自身は欠陥だと思った事はありませんし、至って冷静に考えています。
こういう考えを薄情だと思うのであれば、自分自身で冷静に考えてみてほしいんです。
世の中に転がっている「愛している」という言葉は、本物でしょうか?それとも偽物でしょうか。
重い言葉だからこそ、軽々しく吐いてはならない。
重い言葉だからこそ、慎重に受け止めなくてはならない。
「愛」というのはあくまでひとつの例ですが、言葉が持つ意味というのは、得てして重要なものなのです。
普段何気なく使っている言葉でも、軽々しく使っていいものと悪いものがあります。
それらを意識して使い分けるのは非常に大変なことではありますが、せめて「他人を巻き込んでしまう言葉」についてだけは、十分に気をつけて使っていきたいものですね。
それがたとえ冗談であっても、本気で受け止められてしまった時、自分はどうするのか、どうすべきなのか。
それらを考えられないのであれば、軽々しく物を言ってはいけません。
太古より「言葉には魂が宿る」といわれ、これを「言霊」と言います。
これは本当で、説明のできない不思議な力が宿るものなのです。
俺は周りの人に幸せになってほしい、明るく生きていてほしいと思います。
そのために俺ができる事はとてもとても些細なことですが、せめて言葉でくらいは、思いやってあげたい。
できるできないは別の話ですが、できる範囲でそうありたい。
そう思うのと思わないのでは、天地の差があるのではないかな、と思うのです。
最後に。
ちょっと真面目な話になってしまいましたが、これを読んで何かの刺激を受けてくれたら幸いです。
それでは。
今日は、言葉についてちょっと思う事を書いてみようと思います。
考えてみると、こういう風に冷静に物事を考えるのも久しぶりですね。
設計図を一切書かずに徒然と。どこへ向かうのかは現状の俺にもわかりません。
今回のテーマは言葉について。
とは言っても、言葉という括りにしてしまうと膨大なカテゴリになってしまい、収拾がつきません。
そこで、あるひとつの言葉・・・しかも、多くの人が考えるであろう、一般的な言葉について考えてみましょう。
その言葉とは「愛」です。
まず冒頭から、とんでもない事を言います。
皆さんは、今皆さんの隣にいる相手を愛していますか?
よく、結婚式などで「互いを愛し抜く事を誓いますか」という文句がありますが、あれは本当に愛なんでしょうか?
俺の思う結論はNoです。
本当の愛というのは、基本的に親子間でしか芽生えないものだと思っています。
ただし、例外的に他人を愛する事ができる人もいますので、すべてがすべて偽物だとは言いません。
が、世の中に転がっている「愛と呼ばれる物」のほとんどは偽物、まがい物です。これは断言できます。
なぜなら、愛の定義は「見返りを求めない事」にあるからです。
皆さんは、今付き合っている人や人生の伴侶が、不貞をはたらいたとして許せますか?
浮気してました、不倫してました、これらを穏やかに許すことができますか?
できませんよね?
ならば、それは愛ではないのです。
じゃあ、愛されていれば何をしてもいいのかというと、究極的な答えはYesです。
愛されている限り、何をしても許してもらえます。
ただし、それは「愛されている側のモラルの問題」であって、「愛している側の問題ではない」のです。
それを少し長めに捉えると、「愛している人を悲しませたくないから、不貞は働かない」という事になるのです。
ならば、愛し合えているのであれば不貞は発生しない、という結論になるのであって、「愛しているから不貞を働かない」ではないのです。
つまり、何が言いたいかというと、「本当に愛しているのであれば、自分の損得は勘定に入らない」のです。
これが愛の定義だと考えているのです。
だからこそ、冒頭で「幸せに暮らしてほしい」と願う親と子の間くらいでしか、本当の愛は芽生えないと言ったのです。
「愛は真心、恋は下心」というのは、非常に良くできた名言だと思います。
見返りを求めるからこそ恋であり、相手のことだけを思うのが愛なのですね。
俺も昔は子供でしたから、軽薄に「愛している」という言葉を吐いたことがあります。
が、思い返してみると、もう十数年、本心から愛しているという言葉を誰かに言ったことはありません。
つまり、言葉の意味を考えたのは二十歳を迎える前だった、という事です。
付き合ってきた人たちに対しても、「好きだ」という言葉は言っても「愛している」とは言っていません。
なぜなら愛していないから。そこまで自分を犠牲にしてまで幸せになってほしいと思わないから。
そういう意味で考えると、俺は「人を愛する事」を知らない大人です。
ですが、俺のような人はたくさんいるのではないでしょうか。
だからこそ、異性を信じられない、他人を信じられない、そういう人がたくさん出てくるのではないでしょうか。
おそらく、の話ではありますが、俺は子供を通してでないと、女性を愛せないと思います。
これから先、結婚して子供が生まれて、愛を知るのはその後だろうなと思うのです。
『卵が先か鶏が先か』
とはよく言ったもので、物事の順序がまるでかみ合っていないのです。これを自覚してるのです。
だからこそ、ある程度の妥協で結婚して、子供が生まれてから、「愛している」と思える気がするのです。
さらに突っ込んだ話を言えば、子供が母親を求めなかったら、俺は結局嫁を愛せないと思うんですよ。
自分の子供には無償で愛を与えられます。そして、その愛を与える対象が、母を求めているなら、嫁もまとめて愛しましょう。
求めていないのであれば、それは俺の愛する対象の中に入らないのではないか。
そういう考えなわけです。
これを俺自身は欠陥だと思った事はありませんし、至って冷静に考えています。
こういう考えを薄情だと思うのであれば、自分自身で冷静に考えてみてほしいんです。
世の中に転がっている「愛している」という言葉は、本物でしょうか?それとも偽物でしょうか。
重い言葉だからこそ、軽々しく吐いてはならない。
重い言葉だからこそ、慎重に受け止めなくてはならない。
「愛」というのはあくまでひとつの例ですが、言葉が持つ意味というのは、得てして重要なものなのです。
普段何気なく使っている言葉でも、軽々しく使っていいものと悪いものがあります。
それらを意識して使い分けるのは非常に大変なことではありますが、せめて「他人を巻き込んでしまう言葉」についてだけは、十分に気をつけて使っていきたいものですね。
それがたとえ冗談であっても、本気で受け止められてしまった時、自分はどうするのか、どうすべきなのか。
それらを考えられないのであれば、軽々しく物を言ってはいけません。
太古より「言葉には魂が宿る」といわれ、これを「言霊」と言います。
これは本当で、説明のできない不思議な力が宿るものなのです。
俺は周りの人に幸せになってほしい、明るく生きていてほしいと思います。
そのために俺ができる事はとてもとても些細なことですが、せめて言葉でくらいは、思いやってあげたい。
できるできないは別の話ですが、できる範囲でそうありたい。
そう思うのと思わないのでは、天地の差があるのではないかな、と思うのです。
最後に。
ちょっと真面目な話になってしまいましたが、これを読んで何かの刺激を受けてくれたら幸いです。
それでは。
さて、二月が始まりました。
どうもおっさんです。若作りのおっさんです。つまりお兄さんです。お兄さん。おk?
知り合う人の実に9割が20代だと思ってくれる31歳の俺ですが、流石にそろそろ衰えを感じてきたというか、ついに俺も老いてしまうのか的強迫観念に駆られて、どうせならこれもネタにしてしまおう!という自虐系男子ぶりを発揮した結果。
サプリは本当に効くのか試してみることにしました自分の体で。
ついでに体に有害とされてるおなn(規制音)も一切合財やめてみよう!という、発想はアレだけども中身は一切不真面目のないごくごく真面目な計画を発動させることにしたのです。
まずはサプリ。
いろいろ調べてみたのですが、あれこれ調べてるうちにこれの効果はこれと一緒に服用しろだとか、そういう条件を追いかけていったら結局ほとんど飲まなくてはいけないことに気づいたので、面倒になってマルチビタミン&ミネラルみたいなの買ってきました。
もういいだろこれで・・・。
ひとまずはこいつをぐいぐいしながら運動して、ダイエットしてみようと思います。
というものの、去年8月から開始して、12月を迎える頃には76キロというメタボリック体重から69キロまで落としていたのですが、ここ2ヶ月、ガチで体重変動がありません。
多少の増減はあるものの、中央のラインは69キロで、そこから±2キロといった感じで、減った!というのが実感できなくなってきました。
そもそも俺の目標体重は60~63なので、まだ5キロ以上落とす必要があるわけで。
そこで別案としてサプリの投入を決めたという背景もあるわけです。
「だがしかしこれでは弱い・・・何かこう、パンチのある事をしなくては・・・」
そう思いながらネットサーフィンをしていると、面白そうな記事が。
それは「オナ禁」。
最初はバカじゃねーのwwwwwと思っていたものの、中身を読んでみると意外と真面目な事が書いてある。
つまりは、そもそもぶっ放す行為自体が体力を使うものであって、それが原因で普段の活力が失われるという事。
さらに、ぶっ放せるという事は、体が「女には困っていない」という判断をしてしまい、ホルモン的なうんたらかんたらで、男性的魅力を下げてしまうらしい。
要は、頭の中は活力が失われる事で元気がなくなるし、体は意識とは無関係に満足してしまい、現状維持から衰退への道を辿ってしまうのだとか。これはやばい。
じゃあここでオナ禁したらどーなんの?っと思って調べてみたら、結構面白い事が書いてあった。
抜け毛が減り、ひげが薄くなる。目覚めがよくなり、肌がきれいに。
明るく活発になってきて、行動的になる影響で交友関係が広がるため友人が増える。
睡眠時間が短くても体力が保てる、頭の回転が良くなり整理できるようになる。
そして顔つきが変わり、ムラムラしても運動くらいしかすることがなく、徐々にいい体つきに。
体の内部では「女にモテてない」という錯覚が起こり、ホルモン分泌が盛んになる。
いわゆる本能的なオスとメスの惹きつけ効果みたいなのも出てくるみたい。
そして最後に「ここらでやめないと無気力期が来る」・・・こえええええええ!!!
つまりは、2~3ヶ月で一回やめて再開しろってことか。
周りの同年代の友人は年を経るごとにどんどん劣化していってるので、その波に飲まれるわけにはいかんのですよ。
理想は40歳の時に顔つきは30代前半、体はソフトマッチョ。
というわけで、割と真面目な下ネタでした。
区切りのいい2月1日です。
投薬効果がすぐ出ることに定評のあるわたくしめが、いろいろ試してみようと思います自分の体で。
どうもおっさんです。若作りのおっさんです。つまりお兄さんです。お兄さん。おk?
知り合う人の実に9割が20代だと思ってくれる31歳の俺ですが、流石にそろそろ衰えを感じてきたというか、ついに俺も老いてしまうのか的強迫観念に駆られて、どうせならこれもネタにしてしまおう!という自虐系男子ぶりを発揮した結果。
サプリは本当に効くのか試してみることにしました自分の体で。
ついでに体に有害とされてるおなn(規制音)も一切合財やめてみよう!という、発想はアレだけども中身は一切不真面目のないごくごく真面目な計画を発動させることにしたのです。
まずはサプリ。
いろいろ調べてみたのですが、あれこれ調べてるうちにこれの効果はこれと一緒に服用しろだとか、そういう条件を追いかけていったら結局ほとんど飲まなくてはいけないことに気づいたので、面倒になってマルチビタミン&ミネラルみたいなの買ってきました。
もういいだろこれで・・・。
ひとまずはこいつをぐいぐいしながら運動して、ダイエットしてみようと思います。
というものの、去年8月から開始して、12月を迎える頃には76キロというメタボリック体重から69キロまで落としていたのですが、ここ2ヶ月、ガチで体重変動がありません。
多少の増減はあるものの、中央のラインは69キロで、そこから±2キロといった感じで、減った!というのが実感できなくなってきました。
そもそも俺の目標体重は60~63なので、まだ5キロ以上落とす必要があるわけで。
そこで別案としてサプリの投入を決めたという背景もあるわけです。
「だがしかしこれでは弱い・・・何かこう、パンチのある事をしなくては・・・」
そう思いながらネットサーフィンをしていると、面白そうな記事が。
それは「オナ禁」。
最初はバカじゃねーのwwwwwと思っていたものの、中身を読んでみると意外と真面目な事が書いてある。
つまりは、そもそもぶっ放す行為自体が体力を使うものであって、それが原因で普段の活力が失われるという事。
さらに、ぶっ放せるという事は、体が「女には困っていない」という判断をしてしまい、ホルモン的なうんたらかんたらで、男性的魅力を下げてしまうらしい。
要は、頭の中は活力が失われる事で元気がなくなるし、体は意識とは無関係に満足してしまい、現状維持から衰退への道を辿ってしまうのだとか。これはやばい。
じゃあここでオナ禁したらどーなんの?っと思って調べてみたら、結構面白い事が書いてあった。
抜け毛が減り、ひげが薄くなる。目覚めがよくなり、肌がきれいに。
明るく活発になってきて、行動的になる影響で交友関係が広がるため友人が増える。
睡眠時間が短くても体力が保てる、頭の回転が良くなり整理できるようになる。
そして顔つきが変わり、ムラムラしても運動くらいしかすることがなく、徐々にいい体つきに。
体の内部では「女にモテてない」という錯覚が起こり、ホルモン分泌が盛んになる。
いわゆる本能的なオスとメスの惹きつけ効果みたいなのも出てくるみたい。
そして最後に「ここらでやめないと無気力期が来る」・・・こえええええええ!!!
つまりは、2~3ヶ月で一回やめて再開しろってことか。
周りの同年代の友人は年を経るごとにどんどん劣化していってるので、その波に飲まれるわけにはいかんのですよ。
理想は40歳の時に顔つきは30代前半、体はソフトマッチョ。
というわけで、割と真面目な下ネタでした。
区切りのいい2月1日です。
投薬効果がすぐ出ることに定評のあるわたくしめが、いろいろ試してみようと思います自分の体で。
