若く見えますね、若いですね、20代だと思いました、エトセトラ。
どうも、若作りが趣味のぼくです。
最近になって頭が若干薄くなってきた・・・ような気がします。
とは言うものの、もともとが美容師が驚愕するような髪の量なので、多少減っても人並み以上には毛髪があるんですが。
別にハゲそうなわけではないのだよ、フフフ。
で、何でそんな事を気にしだしたかというと、ここ最近髪の毛をいじめすぎているから。
記憶している限りでは、ストパー3回にカラーリング2回行ってます。
そりゃ髪も痛むわ・・・というわけで、最近の俺のヘアケアについて走り書き。
現在、主に後頭部から襟足にかけてすげー痛んでます。
近くで見ると毛先がチリチリに・・・これはまずい。
美容師さん曰く、しばらくアイロンとか当ててれば死んだ髪は切れていくのできれいになる、との事ですが、死んだからと諦めていたのでは、いつまでたってもロングヘアになりません。
そもそもいい年の社会人がロングヘアなんか目指すなって話ですが、幸い今の職場は髪の長さに関しては何も言われないので、どうせなら今のうちに伸ばしたれ的な俺の意志があるわけで。
シャンプーの後には念入りにトリートメント・・・。
ダメージリペアです。本当に効いてんのかこれ?と思う事も多々ありますが、そう簡単に治るものでもないだろうし、地道にリペアリペア・・・。
そしてお風呂から上がったら、かるーくブローして半乾きにした後、一度ブローを中断。
ストレートアイロンを加熱し始め、その間にヘアオイルを塗り塗り。いわゆる洗わないトリートメントです。
で、ヘアオイルを痛んだ部分を重点的に塗ったら、ブロー再開。
完璧に水気を飛ばした後に、アイロンで即座にまっすぐに。
これで翌日のセットがやりやすくなーる!
そして時々思い出したかのようにオイルを塗り塗りしておけば、多少は痛んだ部分もマシになる・・・はず!
相変わらず男子のくせに女子じみた事をしてますが、これも若作りのためなんや・・・
次は顔周りを永久脱毛したい。
皆様、今年もよろしくお願いしますね。
というのも、俺の場合昨年は祖父が逝去するという事がございまして、喪中なのでございます。
というわけであけまして…とは言えないんですね、申し訳ない。
さて、新年のご挨拶も早々に、早速考え事とかしてみます。
今回のテーマは「不謹慎」というキーワードについて。
某人物が「年明け早々に酔っ払ってどんちゃん騒ぎ、福島の方々の気持ちも考えず不謹慎だ」という発言をしたそうです。
さて、これ本当に不謹慎なんでしょうか。
昨今、明るいニュースが何一つ出てこないこの国で、新年を迎えることを祝って何がいけないんでしょう?
そもそも、福島の方々に対して、「何かをしてあげたい」と思う事は大切だと思いますが、「自分たちはこれをしてはいけない」というのは、聊か行き過ぎた考えでは?と思う今日この頃なのです。
去る大震災、3月11日から、関東以東では輪番停電など電力的な節制状態下におかれました。
その時、関西でも節電しようとか、関東があんな状態なのにバカ騒ぎは自粛しようとかやってました。
俺は関東人ではありますが福島の人間ではないので、新年を祝う事をどう受け止めるかは正確にはわかりません。
しかし、震災の時、関西での自粛運動については「いい迷惑だ」と思っていました。
何かしらの支援を頂けるのは非常に有り難い、助かる事です。しかし、我々が出来ないからと普段の楽しみを削ってほしいなんてこれっぽっちも思いません。
なぜなら、消費することで経済が回るのですから、消費を自粛してしまったら、この国の経済はますます冷え込むことになります。
ただでさえ関東で正常な消費が行われていないというのに、関西までそれに便乗してしまっては元も子もないのです。
今回の新年祝いを自粛しろというこの状況、そっくりだとは思いませんか。
俺は今回、目いっぱい正月を満喫しました。
散々お金も使ったので、今月は大ピンチです。
が、福島の方々に悪いなんてこれっぽっちも思ってません。
経済を回して、出来るだけ早く復興が進むことの方が重要だと考えているので。
俺は経済に明るくはないですが、不景気だからと財布の紐を締めてばかりでは回るものも回りません。
一度きりの人生ですよ、楽しく自分が納得できるように生きていきたいものです。
そういえば占いで「自己犠牲が強すぎる」とか「博愛主義者」とか言われてものすごい違和感を感じていたのですが、こう考えてみると、自分が追い込まれてもそれで誰かが助かるならいいのかな、とか思っちゃうあたり、あながち外れているわけではないのかもしれませんね。
自分のことが一番よくわからないなー、と思った新年一発目でした。
というのも、俺の場合昨年は祖父が逝去するという事がございまして、喪中なのでございます。
というわけであけまして…とは言えないんですね、申し訳ない。
さて、新年のご挨拶も早々に、早速考え事とかしてみます。
今回のテーマは「不謹慎」というキーワードについて。
某人物が「年明け早々に酔っ払ってどんちゃん騒ぎ、福島の方々の気持ちも考えず不謹慎だ」という発言をしたそうです。
さて、これ本当に不謹慎なんでしょうか。
昨今、明るいニュースが何一つ出てこないこの国で、新年を迎えることを祝って何がいけないんでしょう?
そもそも、福島の方々に対して、「何かをしてあげたい」と思う事は大切だと思いますが、「自分たちはこれをしてはいけない」というのは、聊か行き過ぎた考えでは?と思う今日この頃なのです。
去る大震災、3月11日から、関東以東では輪番停電など電力的な節制状態下におかれました。
その時、関西でも節電しようとか、関東があんな状態なのにバカ騒ぎは自粛しようとかやってました。
俺は関東人ではありますが福島の人間ではないので、新年を祝う事をどう受け止めるかは正確にはわかりません。
しかし、震災の時、関西での自粛運動については「いい迷惑だ」と思っていました。
何かしらの支援を頂けるのは非常に有り難い、助かる事です。しかし、我々が出来ないからと普段の楽しみを削ってほしいなんてこれっぽっちも思いません。
なぜなら、消費することで経済が回るのですから、消費を自粛してしまったら、この国の経済はますます冷え込むことになります。
ただでさえ関東で正常な消費が行われていないというのに、関西までそれに便乗してしまっては元も子もないのです。
今回の新年祝いを自粛しろというこの状況、そっくりだとは思いませんか。
俺は今回、目いっぱい正月を満喫しました。
散々お金も使ったので、今月は大ピンチです。
が、福島の方々に悪いなんてこれっぽっちも思ってません。
経済を回して、出来るだけ早く復興が進むことの方が重要だと考えているので。
俺は経済に明るくはないですが、不景気だからと財布の紐を締めてばかりでは回るものも回りません。
一度きりの人生ですよ、楽しく自分が納得できるように生きていきたいものです。
そういえば占いで「自己犠牲が強すぎる」とか「博愛主義者」とか言われてものすごい違和感を感じていたのですが、こう考えてみると、自分が追い込まれてもそれで誰かが助かるならいいのかな、とか思っちゃうあたり、あながち外れているわけではないのかもしれませんね。
自分のことが一番よくわからないなー、と思った新年一発目でした。
日々我々が暮らしている生活の根幹には、必ず何かしらの規律・・・つまりは法律がある。
しかし、この法律というのは全世界共通のものではなく、国家それぞれの価値観により、罪状の重さであったり、刑罰の重さが異なっている。
と、今回このような事を書こうと思ったきっかけは、何気なくwikiサーフィン(要するにwikiの中の単語を特に意識せずにふらふらする事だね)をしていた時に、「ピトケアン諸島少女性的暴行事件」という項目を見たから。
そもそも論、何でこんなものを見たのかというと、バウンティ号の反乱という1700年代の海事事件?があったわけだが、ピトケアン島にはその子孫たちが住んでるというのだが、その島民たちが起こした事件という事でちょっと興味がわいて調べてみたという次第。
細かいことは解説すると長くなるので、各自ググっていただけると助かる。
出来るだけ要点のみをかいつまんでお話ししようと思う。
ひとまず、強姦事件に関しては有罪である事は概ね同意するので、ここでは特に言及はしない。
俺が疑問を抱いたのは、12歳の少女と性行為を行う事への問題性について、である。
ピトケアンは、領域としてはイギリスの支配下にある。
しかし、距離的なものを考慮すると、イギリスからは遠く離れたタヒチの方にあるわけだ。
そして、この島では12歳になると結婚が可能であり、島民の多くは12歳~15歳で出産を経験する。しかし、この状況はイギリスの法整備の下では適合されていない。
はじめに断っておくが、俺自身は少女愛好趣味はない。実際女子高生を見ても子供過ぎて相手するのが面倒という感想しか抱かないレベルである。しかしそれはさておき。
小さなひとつの島という閉鎖されたコミュニティにおいて、外部の大コミュニティが外から干渉した挙句、島民の中では常識であった事柄について犯罪として糾弾する、というのはいかがなものだろうか、と思うのだ。
12歳~15歳というのは少女である、大人が庇護する必要がある・・・というのは、あくまで我々が良く知るコミュニティの中での常識であり、彼らの常識とは乖離している、というのが現実である。
冷静に考えてみてほしい。
過去、我が日本でさえ、幼少時代に結婚した例は腐るほどある。まだ刀を振り回していた時代までさかのぼれば、いくらでも前例はあるのだ。また、若年出産の例も同様だろう。
少し考えれば、我々だって同じような道を歩んできているのだ。
しかし、そもそもの平均寿命が短いため、現代のように悠々と婚期を先延ばしにする余裕がなかった、という事情もあるので、一口に同じではないかとは言い切れない。
いずれにせよ、現代の常識というのは、現代の時代背景に沿った形で、最も効率的な形で形成されている、または試行されている、と考えるべきである。
話を戻そう。
前述した事柄は、あくまで国家単位、大コミュニティでの話である。
サンプルが多く、平均値を求めていけば統計が安定して取得できる、そういった環境化での話だ。
小さな島では、統計というものが出せない。つまり、10年も経てばそのまま10年前から隣の項目にスライドするだけなのだ。新たな出来事が起こりにくいのである。
それを踏まえて、外部から無理矢理にルールを強制してしまうのは、横暴なのではないか、と思ってしまうのである。
仮にそういったルールを適用させたいのであれば、概要や倫理観など、すべてを説明した上で、島民に納得してもらうというプロセスが必要なのではないか。
しかし、そうは言っても英国領である以上、何かしらの英国からの庇護はあるだろう・・・という反論もあるだろう。
そこはあえて反論させていただくが、島民のコメントは「我々は英国民ではない」と記載されている。
つまり、庇護も糞もないのだ、島民が認めていない。そう考えていくと、話はどんどんややこしくなる。
そしてややこしくなればなるほど、力技で解決した方が早い、と考える人間も増えてくる。結局は数の暴力によって、少数派が黙殺されてしまう、そういった流れになってくる。
ここからが今日の記事の本題になる。前置きが長くなってしまい申し訳ない。
多数決が完全に間違った採決の取り方であるとは言わない。
しかし、多数決の正当性を示せといわれたら、これほど正当性を証明できない方法もないのだ。
本当に正当性を証明するのであれば、どちら側でもない、むしろ話を聞いてすらいない人間を不特定多数集めて行うくらいでなければ、成り立たないのだ。
だからこそ、少数意見だからと無碍に扱わず、要点を整理し、メリットとデメリットを重々理解したうえで打開案を出していく、というプロセスが必要になる。
それを放棄してしまったら、0と1ですべてを判断するコンピュータとまるで変わらない。つまり、人である必要がないのだ。
本日、我が日本でも衆議院選挙が行われているが、この選挙に対して、どれだけ正当性を感じる事が出来るだろうか。ルールだから従いはするが、心から「この候補は自分の代弁者だ」と思っているだろうか。少なくとも俺は思っていない。
大体、議員というのは数百人も必要なものなのだろうか。
それこそ、多くなればなるほど多数決の意味合いが薄れてくるのではないか?
採決前の抱え込みが公然と行われている状況で、何をもって正当性を証明するというのか。
これほど日本のシステムに疑問を抱くことはない。
しかしならが、俺個人では打開策を出せるわけでもないので、そのままルールに従うしかないのだが、これはつまり俺には何かを提案する権利はない、という事である。悔しいが自身の力不足である以上、現状では仕方がない。
とにかく、決まりだからと一言で片付けてしまうのはバカでも出来る。コンピュータでも出来るのだ。
我々は人間である以上、可能不可能は別として、可能性を考えることをやめてはいけないと思う。
植えつけられた固定観念をどうひっくり返して考えるのか、それが出来る人が発明家になったり、新たなシステムの発案者になったりするのだ。
そして新たなものを生み出せる人間というのは数が限られている。つまり、凝り固まった部分に自然と疑問を持てる人間、さらにはその打開策を見出せる人間に限られているのだ。
これは才能の問題ではない。
あくまで「気付き」を求めているのか求めていないのか、その違いでしかない。
誰しも簡単に「気付く」ものではない。長い時間をかけて、一連の流れの中にある種の淀みを感じた時、初めて考えて、そして「気付く」のである。
社会に出ると、学校で学んだことのほとんどは不要になる・・・という考えを持っている人がいる。
しかし、「なぜ不要になるのか」に意識を向ける人はほとんどいない。
きっとこういう話をすると、「不要になるから」とか「ほとんど使わないから」とか、そういった答えが返ってくるのだろうと思う。
そこであなたなら何と返すだろうか。
俺ならば「そもそも不要ではない、なぜなら物事を考える基盤として持ち合わせるべき知識であり、それを持って判断を行う事で周りの同意を得る力になるからだ」と答える。
テーマは何だっていい。
何かに疑問を抱くこと、そしてそれについて考えること。そして最後に自分の意見としてまとめる事。
これを習慣的にやっておけば、いざ何か事が起きた時に、他人よりも早く反応し結論を出すことが出来るようになる、と俺は信じている。
やっていることは「疑問を抱く=インプットする」、「結論を出す=アウトプットする」という作業だ。
筋道立てて物事を整理する能力、というのはコンピュータでは出来ない。あくまで人の倫理観や判断力が必用になってくる。
であれば、この能力を暗算で出来るようになっていけば、それはひとつの武器になる。
要するに、頭の回転が速い人というのは、この「頭の整理」が上手な人だよ、という事です。
俺ももっと頭が早く回るように訓練していこうと思います。
と、最後はやんわりと。このあたりで。
しかし、この法律というのは全世界共通のものではなく、国家それぞれの価値観により、罪状の重さであったり、刑罰の重さが異なっている。
と、今回このような事を書こうと思ったきっかけは、何気なくwikiサーフィン(要するにwikiの中の単語を特に意識せずにふらふらする事だね)をしていた時に、「ピトケアン諸島少女性的暴行事件」という項目を見たから。
そもそも論、何でこんなものを見たのかというと、バウンティ号の反乱という1700年代の海事事件?があったわけだが、ピトケアン島にはその子孫たちが住んでるというのだが、その島民たちが起こした事件という事でちょっと興味がわいて調べてみたという次第。
細かいことは解説すると長くなるので、各自ググっていただけると助かる。
出来るだけ要点のみをかいつまんでお話ししようと思う。
ひとまず、強姦事件に関しては有罪である事は概ね同意するので、ここでは特に言及はしない。
俺が疑問を抱いたのは、12歳の少女と性行為を行う事への問題性について、である。
ピトケアンは、領域としてはイギリスの支配下にある。
しかし、距離的なものを考慮すると、イギリスからは遠く離れたタヒチの方にあるわけだ。
そして、この島では12歳になると結婚が可能であり、島民の多くは12歳~15歳で出産を経験する。しかし、この状況はイギリスの法整備の下では適合されていない。
はじめに断っておくが、俺自身は少女愛好趣味はない。実際女子高生を見ても子供過ぎて相手するのが面倒という感想しか抱かないレベルである。しかしそれはさておき。
小さなひとつの島という閉鎖されたコミュニティにおいて、外部の大コミュニティが外から干渉した挙句、島民の中では常識であった事柄について犯罪として糾弾する、というのはいかがなものだろうか、と思うのだ。
12歳~15歳というのは少女である、大人が庇護する必要がある・・・というのは、あくまで我々が良く知るコミュニティの中での常識であり、彼らの常識とは乖離している、というのが現実である。
冷静に考えてみてほしい。
過去、我が日本でさえ、幼少時代に結婚した例は腐るほどある。まだ刀を振り回していた時代までさかのぼれば、いくらでも前例はあるのだ。また、若年出産の例も同様だろう。
少し考えれば、我々だって同じような道を歩んできているのだ。
しかし、そもそもの平均寿命が短いため、現代のように悠々と婚期を先延ばしにする余裕がなかった、という事情もあるので、一口に同じではないかとは言い切れない。
いずれにせよ、現代の常識というのは、現代の時代背景に沿った形で、最も効率的な形で形成されている、または試行されている、と考えるべきである。
話を戻そう。
前述した事柄は、あくまで国家単位、大コミュニティでの話である。
サンプルが多く、平均値を求めていけば統計が安定して取得できる、そういった環境化での話だ。
小さな島では、統計というものが出せない。つまり、10年も経てばそのまま10年前から隣の項目にスライドするだけなのだ。新たな出来事が起こりにくいのである。
それを踏まえて、外部から無理矢理にルールを強制してしまうのは、横暴なのではないか、と思ってしまうのである。
仮にそういったルールを適用させたいのであれば、概要や倫理観など、すべてを説明した上で、島民に納得してもらうというプロセスが必要なのではないか。
しかし、そうは言っても英国領である以上、何かしらの英国からの庇護はあるだろう・・・という反論もあるだろう。
そこはあえて反論させていただくが、島民のコメントは「我々は英国民ではない」と記載されている。
つまり、庇護も糞もないのだ、島民が認めていない。そう考えていくと、話はどんどんややこしくなる。
そしてややこしくなればなるほど、力技で解決した方が早い、と考える人間も増えてくる。結局は数の暴力によって、少数派が黙殺されてしまう、そういった流れになってくる。
ここからが今日の記事の本題になる。前置きが長くなってしまい申し訳ない。
多数決が完全に間違った採決の取り方であるとは言わない。
しかし、多数決の正当性を示せといわれたら、これほど正当性を証明できない方法もないのだ。
本当に正当性を証明するのであれば、どちら側でもない、むしろ話を聞いてすらいない人間を不特定多数集めて行うくらいでなければ、成り立たないのだ。
だからこそ、少数意見だからと無碍に扱わず、要点を整理し、メリットとデメリットを重々理解したうえで打開案を出していく、というプロセスが必要になる。
それを放棄してしまったら、0と1ですべてを判断するコンピュータとまるで変わらない。つまり、人である必要がないのだ。
本日、我が日本でも衆議院選挙が行われているが、この選挙に対して、どれだけ正当性を感じる事が出来るだろうか。ルールだから従いはするが、心から「この候補は自分の代弁者だ」と思っているだろうか。少なくとも俺は思っていない。
大体、議員というのは数百人も必要なものなのだろうか。
それこそ、多くなればなるほど多数決の意味合いが薄れてくるのではないか?
採決前の抱え込みが公然と行われている状況で、何をもって正当性を証明するというのか。
これほど日本のシステムに疑問を抱くことはない。
しかしならが、俺個人では打開策を出せるわけでもないので、そのままルールに従うしかないのだが、これはつまり俺には何かを提案する権利はない、という事である。悔しいが自身の力不足である以上、現状では仕方がない。
とにかく、決まりだからと一言で片付けてしまうのはバカでも出来る。コンピュータでも出来るのだ。
我々は人間である以上、可能不可能は別として、可能性を考えることをやめてはいけないと思う。
植えつけられた固定観念をどうひっくり返して考えるのか、それが出来る人が発明家になったり、新たなシステムの発案者になったりするのだ。
そして新たなものを生み出せる人間というのは数が限られている。つまり、凝り固まった部分に自然と疑問を持てる人間、さらにはその打開策を見出せる人間に限られているのだ。
これは才能の問題ではない。
あくまで「気付き」を求めているのか求めていないのか、その違いでしかない。
誰しも簡単に「気付く」ものではない。長い時間をかけて、一連の流れの中にある種の淀みを感じた時、初めて考えて、そして「気付く」のである。
社会に出ると、学校で学んだことのほとんどは不要になる・・・という考えを持っている人がいる。
しかし、「なぜ不要になるのか」に意識を向ける人はほとんどいない。
きっとこういう話をすると、「不要になるから」とか「ほとんど使わないから」とか、そういった答えが返ってくるのだろうと思う。
そこであなたなら何と返すだろうか。
俺ならば「そもそも不要ではない、なぜなら物事を考える基盤として持ち合わせるべき知識であり、それを持って判断を行う事で周りの同意を得る力になるからだ」と答える。
テーマは何だっていい。
何かに疑問を抱くこと、そしてそれについて考えること。そして最後に自分の意見としてまとめる事。
これを習慣的にやっておけば、いざ何か事が起きた時に、他人よりも早く反応し結論を出すことが出来るようになる、と俺は信じている。
やっていることは「疑問を抱く=インプットする」、「結論を出す=アウトプットする」という作業だ。
筋道立てて物事を整理する能力、というのはコンピュータでは出来ない。あくまで人の倫理観や判断力が必用になってくる。
であれば、この能力を暗算で出来るようになっていけば、それはひとつの武器になる。
要するに、頭の回転が速い人というのは、この「頭の整理」が上手な人だよ、という事です。
俺ももっと頭が早く回るように訓練していこうと思います。
と、最後はやんわりと。このあたりで。
たまには真面目に考え事をば。
というか久しぶりの更新ですね、申し訳ありません。
今日の考え事は「魅力って何?」という事。
おそらく「魅力」と一言で言われると、一般的には性的魅力や愛的魅力のようなものが挙げられてくると思います。
男らしい、女らしい、たくましい、かわいらしい…いろいろありますが、そのすべてに共通しているのが「自分が欲しているもの」という点です。
つまりは、万人に共通して好印象を与えるポイント、これ即ち魅力という事になります。
ここまでは落ち着いて根源を考えればできる事。
ここから先がちゃんと考えないとわからないポイントです。
では何のために魅力を得ようと思うのか。
とどのつまりは他者から与えられる評価を高めたい、その一点なのです。
中には「いやいや自己満足のためだから」と言う人もいるかもしれません。
ですが、自己満足であるならば「自分らしく」あればいいわけですから、「ああなりたい、こうなりたい」というのはそもそも矛盾が生じてしまうのです。
ですから「なぜそうなりたいのか?」という問いに対して「自己満足のため」というのは、根本的な回答として不適切なのです。
話を戻しましょう。
他人がほしがる能力、それが魅力だという事はお話ししました。
では、生きていくにあたり、どういう魅力を持てばいいのかという話に移ります。
この世でもっとも優秀な魅力とは何でしょうか。
性的魅力でしょうか。愛的魅力でしょうか。金銭的魅力でしょうか。
もっとも不変で安定した魅力とは?
それは、人柄や雰囲気、その人が持っている空気。そういった類のものです。
これは誰にも真似できませんし、そして何よりよほどの事がなければ不変なものです。
外見的魅力は経年変化しますし、金銭的魅力は立ち回りひとつで上がりも下がりもするジェットコースターのような魅力です。
では、そういった人柄や雰囲気、個人が持っている魅力をどうやって引き立たせるのか。
ここで「周りを蹴落として」と考える人もいますが、最終的にプラスになるかというと疑問が残ります。
そうなると、周りを蹴落とさずに自分を高めていく必要があるわけですが、具体的にどうする、という方法は今のところ確立されていません。
ですが、周りを見てみると「好かれやすい人」「嫌われやすい人」というのは必ずいると思います。
その中で「好かれやすい人」の特徴を探せばいいわけです。
社交的であるとか、分け隔てないとか、明るくムードメーカーだったりとか、気遣いができたりとか。
その中で、俺自身が何より重要だなと思うポイントがひとつあります。
それは「笑顔である事」。
何でも笑って済ませという話ではありません。
何をする時でも、たとえ真面目なシーンであっても、少しずつでも笑顔を混ぜて接する人。
こういう人を見ると、この人はできる人だなと思ってしまうわけです。
逆に、普段笑顔の多い人でも、シーンによって全く笑わなくなってしまったりす人に対しては、見下すわけではありませんが、警戒はしません。
これはあくまで俺のような腹黒い人間の考え方です。普通の人であれば、警戒されるという事はないでしょう。
例えば怒られている時、笑顔になってしまう人は頭がおかしいと思われます。
なので、怒られている最中は真顔でいる必要があります。
そして、次からはこうしますという打開案を発言する時、ここで真顔か笑顔かで相手が感じる印象が変わるのです。
真顔でこれを実行した場合、前向きに捉えるのであれば「真面目だな」となるでしょう。
しかし、別の捉え方をすると「余裕が見えない」にもなるのです。
そこで、軽く(不敵に?)笑いながらそれを実行した場合、態度に余裕が見えるわけです。
後は突っ込まれる事に対して、軽快に答弁していけばいいだけなんです。
そうする事で「この人は余裕があるし、内容もしっかり理解している」という印象に変わります。
あくまで一例ですが、こういう笑顔の使い方ができる人は「出来る人だな」と感じるわけです。
次点の重要ポイントと考えているのが「話し方」です。
この「話し方」についてはいろいろな本が出ていますが、実は一冊も読んだ事がありません。
というのも、何が重要なのかは理解しているので、読む意味が感じられないからです。
話し方について悩んでしまう人というのは、個人で考える能力が不足しているかもしれません。これは馬鹿にしているわけではなく、警鐘として発言しています。
では、話し方をどうしたらいいのかについて述べましょう。
直球で表現してしまえば「相手が話しやすい人間」こそが上手な話し方を出来る人なんです。
ではどうしたら相手が話しやすくなるのか、そのコントロールについてお話ししましょう。
言葉というのは、緩急をつけることで表情を持たせることが出来ます。
ゆっくりふわふわと話せば「眠そう」と感じたり、早口でまくし立てれば「機嫌が悪そう」など、言葉の意味そのものが会話そのものではありません。
ですから、話の内容はともかく、重要なのは話のリズムやペースなのです。
相手にしっかり理解してもらう必要がある時、つまり自分への信用を勝ち得なくてはならない場面では、必ず文章に区切りを入れて、相手が頷いたり納得したりする部分を作る必要があります。
もちろん、そこで突込みが来る場合もありますが、それはあくまで信用を得るためのプロセスですから、回避していたらいつまでも信用は得られません。
会話に呼吸を持たせ、相手に理解してもらう事が重要なのです。
理解すれば必ず会話は成立します。相手からの切り返しが来るのは、逆に考えればそこまでのプレゼンが成功しているという事の証明でもあるのです。
さて、無事信用を得られたら、言いにくい事をさらっと回避する事も可能になってきます。
「この部分につきましては時間の都合上割愛させて頂きますが、不明な点などございましたら後ほど私まで問い合わせて頂けたらと存じます」程度にまとめてごまかす事も可能になるかもしれません。
そしてこの会話方法の何よりの利点は、相手の心境を逐一確認しながら進められる事にあります。
相手の印象が悪そうであれば、それを探る行動に移ることも可能なわけです。
つまりは、攻防一体の理想的な話し方であるという事。
過去、この話し方をする人を観察・研究し、それを模倣することで今の俺の話し方があります。
これについては俺の武器のひとつだと思っていますし、別に隠すことでもありませんし、むしろたくさんの人に知ってもらいたいのであえて書きました。
これを実行することで得られたものは、相手に与える印象操作だけではなく、常に自分に対して冷静を促すようになった事というのがあります。
もちろん人間ですから、限界を超えれば逆上はしますが、それでもその限界点は遠くなった気がします。
と、ここまで2点のポイントで書いてきましたが、これらは変わりづらい、それぞれ個人が持つ魅力なのです。
一言で言ってしまえば「人間的魅力」です。
そして、この人間的魅力こそ、評価の安定した自分の魅力であるという事。
今回はそれが言いたくてこれだけ長い文章を書きました。
俺もまだまだ稚拙な人間ですが、死ぬまでずっと人間的魅力を高め続けていけるよう、精進せねばなりません。
長文乱文で非常に申し訳ないですが、何かしらのプラスになってくれたらこれ幸いです。
それでは。
というか久しぶりの更新ですね、申し訳ありません。
今日の考え事は「魅力って何?」という事。
おそらく「魅力」と一言で言われると、一般的には性的魅力や愛的魅力のようなものが挙げられてくると思います。
男らしい、女らしい、たくましい、かわいらしい…いろいろありますが、そのすべてに共通しているのが「自分が欲しているもの」という点です。
つまりは、万人に共通して好印象を与えるポイント、これ即ち魅力という事になります。
ここまでは落ち着いて根源を考えればできる事。
ここから先がちゃんと考えないとわからないポイントです。
では何のために魅力を得ようと思うのか。
とどのつまりは他者から与えられる評価を高めたい、その一点なのです。
中には「いやいや自己満足のためだから」と言う人もいるかもしれません。
ですが、自己満足であるならば「自分らしく」あればいいわけですから、「ああなりたい、こうなりたい」というのはそもそも矛盾が生じてしまうのです。
ですから「なぜそうなりたいのか?」という問いに対して「自己満足のため」というのは、根本的な回答として不適切なのです。
話を戻しましょう。
他人がほしがる能力、それが魅力だという事はお話ししました。
では、生きていくにあたり、どういう魅力を持てばいいのかという話に移ります。
この世でもっとも優秀な魅力とは何でしょうか。
性的魅力でしょうか。愛的魅力でしょうか。金銭的魅力でしょうか。
もっとも不変で安定した魅力とは?
それは、人柄や雰囲気、その人が持っている空気。そういった類のものです。
これは誰にも真似できませんし、そして何よりよほどの事がなければ不変なものです。
外見的魅力は経年変化しますし、金銭的魅力は立ち回りひとつで上がりも下がりもするジェットコースターのような魅力です。
では、そういった人柄や雰囲気、個人が持っている魅力をどうやって引き立たせるのか。
ここで「周りを蹴落として」と考える人もいますが、最終的にプラスになるかというと疑問が残ります。
そうなると、周りを蹴落とさずに自分を高めていく必要があるわけですが、具体的にどうする、という方法は今のところ確立されていません。
ですが、周りを見てみると「好かれやすい人」「嫌われやすい人」というのは必ずいると思います。
その中で「好かれやすい人」の特徴を探せばいいわけです。
社交的であるとか、分け隔てないとか、明るくムードメーカーだったりとか、気遣いができたりとか。
その中で、俺自身が何より重要だなと思うポイントがひとつあります。
それは「笑顔である事」。
何でも笑って済ませという話ではありません。
何をする時でも、たとえ真面目なシーンであっても、少しずつでも笑顔を混ぜて接する人。
こういう人を見ると、この人はできる人だなと思ってしまうわけです。
逆に、普段笑顔の多い人でも、シーンによって全く笑わなくなってしまったりす人に対しては、見下すわけではありませんが、警戒はしません。
これはあくまで俺のような腹黒い人間の考え方です。普通の人であれば、警戒されるという事はないでしょう。
例えば怒られている時、笑顔になってしまう人は頭がおかしいと思われます。
なので、怒られている最中は真顔でいる必要があります。
そして、次からはこうしますという打開案を発言する時、ここで真顔か笑顔かで相手が感じる印象が変わるのです。
真顔でこれを実行した場合、前向きに捉えるのであれば「真面目だな」となるでしょう。
しかし、別の捉え方をすると「余裕が見えない」にもなるのです。
そこで、軽く(不敵に?)笑いながらそれを実行した場合、態度に余裕が見えるわけです。
後は突っ込まれる事に対して、軽快に答弁していけばいいだけなんです。
そうする事で「この人は余裕があるし、内容もしっかり理解している」という印象に変わります。
あくまで一例ですが、こういう笑顔の使い方ができる人は「出来る人だな」と感じるわけです。
次点の重要ポイントと考えているのが「話し方」です。
この「話し方」についてはいろいろな本が出ていますが、実は一冊も読んだ事がありません。
というのも、何が重要なのかは理解しているので、読む意味が感じられないからです。
話し方について悩んでしまう人というのは、個人で考える能力が不足しているかもしれません。これは馬鹿にしているわけではなく、警鐘として発言しています。
では、話し方をどうしたらいいのかについて述べましょう。
直球で表現してしまえば「相手が話しやすい人間」こそが上手な話し方を出来る人なんです。
ではどうしたら相手が話しやすくなるのか、そのコントロールについてお話ししましょう。
言葉というのは、緩急をつけることで表情を持たせることが出来ます。
ゆっくりふわふわと話せば「眠そう」と感じたり、早口でまくし立てれば「機嫌が悪そう」など、言葉の意味そのものが会話そのものではありません。
ですから、話の内容はともかく、重要なのは話のリズムやペースなのです。
相手にしっかり理解してもらう必要がある時、つまり自分への信用を勝ち得なくてはならない場面では、必ず文章に区切りを入れて、相手が頷いたり納得したりする部分を作る必要があります。
もちろん、そこで突込みが来る場合もありますが、それはあくまで信用を得るためのプロセスですから、回避していたらいつまでも信用は得られません。
会話に呼吸を持たせ、相手に理解してもらう事が重要なのです。
理解すれば必ず会話は成立します。相手からの切り返しが来るのは、逆に考えればそこまでのプレゼンが成功しているという事の証明でもあるのです。
さて、無事信用を得られたら、言いにくい事をさらっと回避する事も可能になってきます。
「この部分につきましては時間の都合上割愛させて頂きますが、不明な点などございましたら後ほど私まで問い合わせて頂けたらと存じます」程度にまとめてごまかす事も可能になるかもしれません。
そしてこの会話方法の何よりの利点は、相手の心境を逐一確認しながら進められる事にあります。
相手の印象が悪そうであれば、それを探る行動に移ることも可能なわけです。
つまりは、攻防一体の理想的な話し方であるという事。
過去、この話し方をする人を観察・研究し、それを模倣することで今の俺の話し方があります。
これについては俺の武器のひとつだと思っていますし、別に隠すことでもありませんし、むしろたくさんの人に知ってもらいたいのであえて書きました。
これを実行することで得られたものは、相手に与える印象操作だけではなく、常に自分に対して冷静を促すようになった事というのがあります。
もちろん人間ですから、限界を超えれば逆上はしますが、それでもその限界点は遠くなった気がします。
と、ここまで2点のポイントで書いてきましたが、これらは変わりづらい、それぞれ個人が持つ魅力なのです。
一言で言ってしまえば「人間的魅力」です。
そして、この人間的魅力こそ、評価の安定した自分の魅力であるという事。
今回はそれが言いたくてこれだけ長い文章を書きました。
俺もまだまだ稚拙な人間ですが、死ぬまでずっと人間的魅力を高め続けていけるよう、精進せねばなりません。
長文乱文で非常に申し訳ないですが、何かしらのプラスになってくれたらこれ幸いです。
それでは。
さて、ダイエットを始めて4ヶ月目です。どうも俺です。
一応今の段階で6.5キロ減なので、一応成功中かな?
今回は計画性を持ってじっくりやっているので、いかんせんペースが遅いですが、まぁよしとしましょう。
やり方ですが、食事制限と軽いトレーニングでざっくり2~3キロ落とします。
その後1キロほどわざとリバウンドさせ(ここ重要)、食事制限なしでマイナス1~2キロをキープできる身体になるのを待ちます。早ければ2日、遅ければ2週間くらいかかります。
あとはそれを繰り返すだけ。
今ちょうど慣らし終わりのタイミングなので、月曜日からまた食事制限ですねー!とほほですよー!
週末に忘年会が予定されているので、そこのリバウンドも計算に入れないといけません。
ますますとほほ。
個人的なトレーニングのお奨めはロングブレスとスクワットと軽い筋力トレーニングです。
よく、ウォーキングがいいといいますが、あれは「継続的に少しずつ消費する」やり方なので、体重は落ちても身体は締まりません。
なので、プライオリティとしてはトレーニング>ウォーキングです。ほんと時間のある時に歩くぐらい。
あと、冬は脂肪を溜め込む季節とよく言われますが、これもやり方次第だと思います。
寒いという事は、筋肉の収縮回数が勝手に多くなるという事。なので、完全にぬくぬくと暖かい環境を避ければ、問題はないわけです。例年通り、俺の部屋には暖房器具が一切ないので、好都合。
懸念していた食べすぎについても、食事制限で満腹中枢が調整されてきたのか、食べたくても食べられないという身体になりつつあります。ひとまず去年と同じような食事は取ろうと思っても取れないのが現状。おなかいっぱいなんですよね・・・。
というわけで、継続的に絞る体制がいい感じに整ってきました。
目標体重はマイナス13キロだったので後半分。あと7キロ、頑張るぞー!
一応今の段階で6.5キロ減なので、一応成功中かな?
今回は計画性を持ってじっくりやっているので、いかんせんペースが遅いですが、まぁよしとしましょう。
やり方ですが、食事制限と軽いトレーニングでざっくり2~3キロ落とします。
その後1キロほどわざとリバウンドさせ(ここ重要)、食事制限なしでマイナス1~2キロをキープできる身体になるのを待ちます。早ければ2日、遅ければ2週間くらいかかります。
あとはそれを繰り返すだけ。
今ちょうど慣らし終わりのタイミングなので、月曜日からまた食事制限ですねー!とほほですよー!
週末に忘年会が予定されているので、そこのリバウンドも計算に入れないといけません。
ますますとほほ。
個人的なトレーニングのお奨めはロングブレスとスクワットと軽い筋力トレーニングです。
よく、ウォーキングがいいといいますが、あれは「継続的に少しずつ消費する」やり方なので、体重は落ちても身体は締まりません。
なので、プライオリティとしてはトレーニング>ウォーキングです。ほんと時間のある時に歩くぐらい。
あと、冬は脂肪を溜め込む季節とよく言われますが、これもやり方次第だと思います。
寒いという事は、筋肉の収縮回数が勝手に多くなるという事。なので、完全にぬくぬくと暖かい環境を避ければ、問題はないわけです。例年通り、俺の部屋には暖房器具が一切ないので、好都合。
懸念していた食べすぎについても、食事制限で満腹中枢が調整されてきたのか、食べたくても食べられないという身体になりつつあります。ひとまず去年と同じような食事は取ろうと思っても取れないのが現状。おなかいっぱいなんですよね・・・。
というわけで、継続的に絞る体制がいい感じに整ってきました。
目標体重はマイナス13キロだったので後半分。あと7キロ、頑張るぞー!