こんにちは、波野 翠月(はの みつき)です。
フォーカシングで学んだこと
ゲシュタルト療法と同時期にフォーカシングのワークショップにも参加しました。
一番最初はゲシュタルトとフォーカシングのコラボのワークショップだったかもしれません。
参加申し込みのときはフォーカシングの先生の本を読んで
この人に会いたい!ってことだったように思います。
憧れ!ファン!みたいなもの
行ってみたら、ゲシュタルトのワークのクライアント役を希望したので
その当時は何かを解決したい感が強かったのだと思います。
フォーカシングのあのジェントルな感じに物足りなさを感じたんだと思います。
フォーカシングももちろん?有名な先生に教わりました。
創始者であるジェンドリンから学んだ方です。
大阪にいた時、ゲシュタルト療法にハマっていた期間は
フォーカシングからは遠のいてしまって、ゲシュタルト療法がいったん落ち着いてから
フォーカシングを学びなおしました。
そこで学んだことは
まず“気づき”です。
ゲシュタルト療法では“気づいて、未完を完了する”
“完了”しないまでも“どうする?”てなことまでいく感じを受けましたが
フォーカシングでは
『まず、気づいておきましょう』
そこでいったん終わる感じです。
そこから先、変化するかどうかはそこでは何にも決めない。
無理やりにでも変化させてどうにか解決!!!ってのを望んでいたんだけど、そうするとより戻し?的な何かを感じていたんだと思います。
俗にいう『玉ねぎの皮』
剥いても剥いてもまたあるエンドレス感
フォーカシングは“気づく”だけ
そしてそれを数値化するだけだったりしたので、より戻し感が少ない気がしました。
この優しくてあいまいな感じは日本に通じるものがあるなぁって思いました。
日本人には合っている感じ?とでもいいますか、なんていいますか。
今は“気づく”感じに物足りなさを感じるどころか
“観る”だけで十分で、その時や後になって“気づき”が起きたりしています。
さらにさらに簡単です。
自分からがつがついく感じではなくて
ただ観る
それだけでいいので
気負いせず、緩みやすいのかもしれません。
何かをしようとする感じがないので緊張感がないんですね。
そんな感じです。
フォーカシングを学んで“無理に何かをしようとしない”の入門編に触れていたんだなと思います。
ありがたい
波野 翠月