せっかく良い気分で
登山から帰ってきたのに…

実家のブロック塀に車を擦る

という…
ありえない失態を
犯してしまいました

道路から実家の庭へ、
車を入れようと
緩めにハンドルを切って

スルスルと車体を進ませたところ
「ザリザリザリ…」
という何かが削れるような音

車の左後ろに鈍い抵抗を感じ、
心臓をギューッと掴まれた
ような締め付け感

と共に
頭からサーっと血の気が引感覚

絶望感というか罪悪感というか
「あぁぁぁぁ…やってしまった」
という気持ちと

「嘘であって欲しい、何かの間違いかも」

という一縷(いちる)の望み
を握りしめて、
車を止めて座席を降り、

右後ろに回ってみると、
まぎれもなく見事に擦り傷が
しっかりと車体に刻まれていた

という…

交差点で前の車にぶつかりそうになったり、
車線変更で危うく衝突の場面を切り抜けたり、

今までもそういう「ヒヤッ」
とした場面に遭遇するたびに

「おーーーーっ。ヤバかった~」
と命拾いをしてきました。

そのツケが回ってきた
ってことなのかな

だとしたら、
私ってばどうして
そういう場面に遭遇するワケ?

すると、私の端っこ好き、
ギリギリ好き、
スレスレ好きが

どうやらそれらを
引き起こしている
かもしれないと…

 



旅行へ行くと「海と陸の境目」の、
半島とか島とか灯台があるような
「端っこ」を好んで回るし、

登山ではピークハント
(頂上へ行く)が好きだし

船に乗れは舳先や
甲板の端っこの方へ必ず行くし、

駅は終点に行ってみたくなるし、
最北端とか最南端と聞くと
必ず足が向いてしまうし…

それらを踏まえて
道路を車で走る(徒歩で歩く)時も、
効率よいコース取りを常に考えている

そして

そんなに「端」に
寄らなくても良い場面で
ギリギリを攻める

そんなに「寸止め」
しなくても良い場面で
スレスレを攻める

ということは、

「効率=ギリギリ・スレスレ」
「余裕=余らせる・もったいない」

みたいな概念が
私の中に固定されているようだ
と気づきました。

今回の件では、

効率を優先するのも良いけれど、
程度問題で、必要以上に追求すると
予測を外れて痛い目に遭う

ということを学習したい
と思います

待ち合わせの時間も
出掛ける時の財布の中身も
間に合うかどうかのギリギリ攻めてる~(笑)

と、笑っている場合ではなく…
 

車を擦ったことが私に知らせた

その意味を読み取ると、

 

様々な局面で

「大人の余裕」を持ちなさい

と受け取りました。


心がけます✨