2番目の妻古川丁未子(とみこ)
は英文科を出てすごい美人で⬇️
文藝春秋の記者
料理は苦手
和樂からお借りしました⬇️🤔
最初の妻と婚姻中に古川丁未子とお付き合いしていたとのことでびっくりします。
ワタシの推測ですが
とことん1人はイヤ~😱なひとなのねって感じ
まあわからんでもない
ワタシもひとりはイヤ~なので
古川丁未子が妻になったら
今度は、
人妻だった松子さんとゲスなダブル不倫😱
しかし松子の場合夫はかなり素行が悪かった。
松子は一人目の妻の婚姻中出会っていた。松子は芥川龍之介に憧れていたけど、人に会わせてほしいと二人が会っているときに谷崎が居合わせた。
ウィキペディアより⬇️
清太郎は根津商店という大阪の綿布問屋の御曹司であり、彼とのあいだに一男一女をもうけたものの[1]、夫は末の妹と駆け落ちするなど素行が悪かった。1927年、関西移住中の谷崎潤一郎と知り合う。芥川龍之介のファンであった松子は、夫・清太郎の行きつけであるお茶屋の女将に引き合わせを頼んでいたことから来阪中の芥川と、それに同行した谷崎と面会したのをきっかけに、谷崎に根津家の寮や別荘を提供するなど交流を深めて行った[2]。
1930年谷崎は最初の妻を佐藤春夫に譲り古川丁未子と再婚するが[3]、松子との関係が深くなり、丁未子と別居[1]。1932年に根津商店が倒産し、神戸市魚崎町横屋字川井に転居すると、谷崎もその隣に転居[2]。1934年、松子と清太郎離婚。松子と谷崎は芦屋で同居するようになる。当時、松子は谷崎の崇拝の対象であり、『盲目物語』『春琴抄』その他の女人崇拝の作品は松子を念頭に置いて書かれ、谷崎は「松に倚る」という意味で倚松庵を名乗った。
松子が妊娠し、谷崎が、芸術的な雰囲気を壊したくないと言って堕胎させたことは、谷崎が晩年の『雪後庵夜話』に書き、松子も書いているため広く信じられているが、戦時中の谷崎の随筆『初昔』では、健康上の問題から三人の医師に中絶を勧められたことが書いてあり、『雪後庵夜話』に書いてあることは虚構であると小谷野敦『谷崎潤一郎伝』は指摘している。戦後高血圧に悩んだ谷崎を支えたが、1965年初の随筆を発表した後谷崎が死亡し、以後随筆家として活動した。
細雪は美しい物語だと友人が言っていた。
春琴抄は切なくて美しい物語だと思った。春琴が横恋慕男から顔をやけどを負わされてどうしても見せたくないと恋人に言った。
彼は健康な目を針で潰した。
見るなと言うから
そこまで犠牲にしてはイカンと思う
でも美しい物語だと思ってしまう。
あと痴人の愛と卍を読んで
とてもじゃないけど細雪を読む気力はなかった
サイトによっては谷崎はヘン○イだとサラッと書いてある
え?いいの?
たぶん松子さんへのお手紙で
ワタクシのことはおいじめくださってけっこう
とかなんとか
ものすごーく変わってるけど
自分のつらい経験も物語に昇華できてスゴイです
松子さんで色々書けたのは松子さんが運命の人だったのかな
読んで下さってありがとうございます😊