今日はよくこのブログの中でも時々書いている

今は亡き父のことをとても書きたくなりました。
(近くにいるのかな?びっくり

このブログの一番最初の記事にも書いたのですが、
私は父にある時期から
良くない感情ばかりを持つようになっていました。

母からの愛情は
私は愛されている?
なんてことをいちいち考えなくても、
自然にちゃんと感じられていました。

それとは逆に父からの愛情というものは…
憎んだりするようになった、多分もうその前から
あったのだとしても、
もうよくわからなくなっていたんだと思います。


今となっては、
父の良かった部分がいっぱい浮かぶようになりましたが、
父は生前よく怒ったり「自分が正しい」を

主張する人であったり、意見を曲げなかったり
家族がうんざりすることも沢山あったが為
愛されているのかどうかなど、
わからなくなっても仕方がなかったんですよねショボーン

☆゚+。☆。+゚☆゚+。☆。+゚☆


でも、ある日こんなことがありました。


父が天国へ逝ってしまってから、
しばらく経ったある日、

私は父が遺した日記を目にしました。



父は亡くなる少し前まで、
病を抱えながらでしたがまだ仕事をしていました。
建築業をしており、
そこには現場の流れなどが主に記してあった。
大変だったんだなぁ…と感じながらも
パラパラめくっていたら、ふと...



私に対する父の思いなどが書いてあり
一瞬「……??」と

時間が止まったかのような
なんとも言えない感覚になり、
とてもとても驚きました。。



そこには


私への、ありがとうの言葉であったり、

もういい年齢になっている娘のことを
子供のときのままのように心配してくれていたり、

応援してくれていたり……



とにかく私の知らない父がそこにはいた。



その無骨な文字から、
私は忘れていた父からの愛情を思い出し、
涙がとめどなく溢れました…
あぁ…こんなに私は愛されていたんだと。。

(人の文字、というのは上手い下手など関係なくて、

その時のその人の確かな気持ちがとても伝わりますね…)

 


私はいつの頃からか
父を勝手な思い込みの色眼鏡で見ていた。


特に私が大変だったことは

借金問題を自ら解決しようとはしなかった人なので、
私がどうにかしていくしかなかったのですが、
それはホントに正直大変なことでした。
それでも色んな方にお世話になり…それが有り難くもあり。
見方を変えればそれはある意味勉強にはなりました。

でもその辺りから
どうして子供にこんなことをさせて平気なの?
この人(父)は自分さえ良ければよくて、
愛なんてものはないのではないか?
とさえ、正直思っていた。

私はその頃冷静ではかったので、
父が何気なく話す言葉でさえ、歪んで受け止めてしまっていた。
捉え方、前提がおかしくなっていたんですよね。

☆゚+。☆。+゚☆゚+。☆。+゚☆

こうして書きながら過去を振り返ると
あの頃はその世界がすべてだとおもっていたけれど…

父の遺した有難い日記のおかげもあり
思い込みの色眼鏡はいつの間にか外れ、
だんだんと辺りがクリアになってきたように思います。

そして今は、
冷静な時の父の言葉や行動を思い出すと
不思議なことに父から学ぶことばかりなのです。

それは
やりたい、と思ったことは恐れずやる勇気。
好きなこと、自分が楽しいと思うことを
たくさん見いだし人生を楽しむこと。

 

借金はもちろんない方がいいけれど、
それでも人生は何があっても何とかなるものだと教えてくれたこと。
まだまだたくさんあります。

自分があのころ苦しんだ過去に
後悔や悔いも除々になくなり

(これはすぐには消えなかったけれど…)
何だか新しいチケットを父からもらったような、そんな気持ちでいます。

そして
愛されていたことをすっかり忘れていた私でしたが、
自分の捉え方や思い込みで、
その愛をただ私は忘れていただけなんだと気づきました。


愛ってミスチルの曲の歌詞にあるように
「気がつけばそこにあるもの🎵」で、
普段は当たり前すぎて意識しないものだと思うのですよね。

(※これは私個人の解釈です)


そんなこんなで…
お父さん、ありがとうね!ニコニコ

あんなに憎んだりしたけれど、
父は今、私の誇りでもあります。
あ、もちろん母も。ウインク



終わり飛び出すハート




長々と拙い私の文章を最後まで読んで下さった方クローバー
最後まで読んで下さりどうもありがとうございましたピンク薔薇照れ