前回からずいぶんと時間が空いてしまいました。最早、お前誰だよ、なんの話?、と思っている方も多いと思うのですが、途中で投げ出すわけにはいきません。オタク特有の(特有の?)義理堅さで、最後まで書いていきたいと思います。。
さて、なんの話をしていたかということですが。
前回書いた記事。我ながら長すぎだったと反省しております・・・・がっ!今回もその記事の続きで。
「Misty Frosty Lobe(ようりこデュオ)」の考察です。
まだやるのかよ、はい、まだやります。前回途中掛けで終わってしまいましたもんね。はい、まだまだ続きます。と、いうことで!さっそく始めていきたいと思います!よろしくお願いします!どうか最後までお付き合いを!
はい。
はいはい。
はい。ここまで読んでいただいた方に謝らなければいけないことがあります(察しがついてる方もいるかもしれませんが)。それは。
現在、2021年2月です。はい、ということは、こちらのライブ映像が観られた、「ラブライブ!サンシャイン!! Aqours COUNTDOWN LoveLive! ~WHITE ISLAND
とっくの前に、既に配信が終了しています。
つまり、またそれらのライブ映像を観たいとしたら、ライブのBlu-ray/DVDの発売を待たないといけない、ということです。
はい。
つまりはもうライブ映像を見直すことは出来ません。つまりは私がここで語ることの真偽を確かめる方法が、今のところはないというこでございます。
申し訳ありましぇん。書くのが遅すぎて、本当に申し訳ありましぇん。
(ふざけるな)
重ねてお詫びいたします。マジですみません。
ので! ここから記事をお読みいただく方は、脳内でライブ映像を再生してください。
以上です。脱線して申し訳ありませんでした。では! 続けていきたいと思いますー!はいー!
さてさて、話を戻します。前回どこで終わったかということなんですが。(上に貼ったリンクから見ていただけたらと思います)
前回最後、実際のライブの演出からの考察をしたら、不可解な解釈に行きつきました。この曲「Misty Frosty Love」はTVアニメ一期第11話を意識した内容だと考えたのですが。
しかしライブ演出を見てみると、梨子ちゃんだけが曜ちゃんを意識しているようで、曜ちゃんはまったくと言っていいほど、梨子ちゃんを意識していないのではないか?という考えに行きついてしまいましたね。
この曲の解釈がこんなものであっていいはずなのか。いやそんなことはない。どこかで勘違いをしてしまっているはず。
いったいなにを見落としてしまったのでしょう、勘違いしてしまったのでしょう。ということで、考えていきたいと思います。
まず最初に、前回の考察で不可解だったことをあげていきたいと思います。なにか勘違いをしているとしたらそこらの可能性が高いので。
- 曜ちゃんが終始真顔、梨子ちゃんがほぼずっと笑顔な(最後は笑顔が消える)理由。
- 梨子ちゃんパート(2番)において、曜ちゃんの梨子ちゃんを煽るような振り付け。
- ふたりがすれ違っているような演出、振り付け。
そもそもの話、この曲は明らかに第11話「友情ヨーソロー」がテーマとなっています(一応公式も言ってる)。前回の記事でも書きましたが、歌詞には”私”から”誰か”への嫉妬や、”あなた”への気持ちを諦めるかの葛藤をしていることが感じられました、そのことから、「この曲はようちかりこの三角関係を描いているのではないか」と予想しましたよね。(「友情ヨーソロー」の概要は前回記事をご覧ください)
千歌ちゃんのことが好きで、梨子ちゃんに嫉妬してしまう曜ちゃん。そしてふたりを見守りつつ支えつつ、どちらかが好きなのではないかと思われる梨子ちゃん。そんな三人の関係を考えつつ曲の考察をしてきました。
しかしです。その「友情ヨーソロー」の考察を基に考えると、上記の演出たちはどうもしっくりきません。先程にも書きましたが、曲中曜ちゃんは”誰か”に嫉妬しているはずなのに、ライブ演出ではその相手が梨子ちゃんとは到底思えなかったからです。
曜ちゃんずっと真顔、梨子ちゃんほぼ笑顔で最後笑顔が消える。曜ちゃんは梨子ちゃんを煽るようなことはしない(はず)。もしあの演出たちがふたりの関係を表現しているのならば、ふたりがとんでもなく犬猿の仲のように思えてしまいます。
ではいったいなにを表現していたのか。
と、いうことで早速ですが、思いついたふたつの考えです。
・ライブの演出、振り付けは、出演しているのはようりこのふたりではあれども、ふたりの関係や仲を表現したものではない。
・ライブの演出、振り付けは、ようちかりこの三角関係を表現したものではない。
最初に書いた1.2.ふたりの表情の差、振り付けが、ふたりの仲を表していることとは到底思えない、という話をしました。では別の見方をしてみようと思いまして。
あの演出たちが、”ようりこふたりの関係を表現したものではない”ことを立証するため、語っていきたいと思います。
どうか最後までお付き合いを。
・ライブの演出、振り付けは、出演しているのはようりこのふたりではあれども、ふたりの関係や仲を表現したものではない。
※イメージ衣装が発表されたとき掲載されたイラスト
演じてるのはようりこ(曜ちゃん、梨子ちゃん)のふたりです。じゃあ楽曲も振り付けもふたりの関係を表しているのが当然、と思えますよね。特に今回のライブの他のデュオの組み合わせ、かなまり、ルビまる、のそれぞれ2組の演出、かなまりはがっつり第9話がテーマで、振り付けもアニメ映像と重ねてハグしたりとふたりの関係を表現しており、ルビまるも映像は第4話が流れ、振り付けは楽しそうな(ポップな)創作ダンスでふたりの仲の良さを表現しているように見えました。
しかしです。ようりこのふたりはというとです。確かに後ろの映像は第11話を流していました。しかしダンスはというとヒップホップダンスと創作ダンスを組み合わせたようなものでしたよね。
そもそもヒップホップダンスと創作ダンスの違いはなんだという話なんですが、ぶっちゃけた話両者の違いはそんな明確ではありません。どちらも幅広く表現自由なところがあるので。
ただこの場では、「ヒップホップダンス」は”楽曲の音楽や歌詞から読み取れる感情をダンス(身体)で表現するもの”。「創作ダンス」は”楽曲の歌詞から読み取れるキャラクターの心情をなんでもありで表現したもの”と区別していきたいと思います。
簡単に言うと「ヒップホップダンス」の方はダンスオンリーで、「創作ダンス」の方はストーリー性を持って表現してる感じです。ミュージカルや演劇を想像していただければと思います。リズムに乗って踊るのではなく、歌詞から想像するストーリーに沿って、身体全体を使って表現すすもの、と言えばよいでしょうか。わかりやすくまとめると・・・。
ヒップホップダンス
揃った動きや激しいダンスで魅せるもので、あまりキャラクター性を主張しないもの。
創作ダンス
キャラクター性を前面に押すものであり、決められたダンスや動きがないように思えるもの。
といった感じでしょうか。表現として(キャラクターの心情を表現するものとして)「ヒップホップダンス」は間接的、「創作ダンス」は直接的、と言えます。
キャラ当人の関係や心情を表現するのなら直接的な方がいいのは言わずもがなですよね。
話を戻します。
「Misty Frosty Love」のパフォーマンスは、上記で語った「ヒップホップダンス」と「創作ダンス」を組み合わせた感じのものでした。しかし改めてみると、キャラクター性がそこまで出ているのかというとそうではありません。他のデュオトリオの組み合わせではキャラクター性を前面に出しており、キャラクター特有の動きがありました(かなまりでいうとハグ、ルビまるでいうとはなまる、がんばるびいなど)。しかしこの「Misty Frosty Love」ではそういう動きがなかったんですよね。例えばの話、曜ちゃんは曲中、一度も敬礼などをやってないのです。
当人たちの関係や仲を表現するなら、そのまま当人として振り付けをすればいいはずです。11話での三人(もしくはようりこ二人)の関係を表現したいのなら、もっと直接的な表現をすればいいはずですから(かなまりデュオみたいに)。しかしそうではなかった。
長々と申し訳ありません。しかし私の言いたいことが伝わったでしょうか。
つまりです。この曲を歌っているのは間違いなくようりこのふたりです。この曲は間違いなくようりこデュオです。しかし、改めてみるとこの曲「Misty Frosty Love」の振り付け等は、曜ちゃん、梨子ちゃん、どちらものキャラクター性を前面に出してきてないのです。歌を表現しているのはようりこのふたりであれど、しかしその中に普段のキャラクター性が存在しないのです。
ということで、上記 「ライブの演出、振り付けは、出演しているのはようりこのふたりではあれども、ふたりの関係や仲を表現したものではない」
の説を持ち出した次第です。なにが言いたいか伝わってるでしょうか(何回言うねん)。パフォーマンスをするふたりはあくまで曲の表現者であり、その曲の当人同士ではないというということ。しいては、あの振り付け、演出たちは「Misty Frosty Love」という曲を表現したもので、ようりこふたりの関係を描いたものではない、ということです。
もしそうなら、上記1.2.3.の理由も納得いくのではないでしょうか。ふたりの表情の差、すれ違っているようなさまざまな振り付け、演出。それらは”曲”の表現だったのなら。
行きついた考え、ひとつめは以上となります。おや、早速前回の考察を否定する感じになってしまいましたね。いったいどうなってしまうのでしょう面白くなってきました。この調子でどんどん進めていきたいと思います。
・ライブの演出、振り付けは、ようちかりこの三角関係を表現したものではない
さて、ふたつめの考えに行きます。ひとつめの考えと言ってること同じじゃね?と思いますよね。なのでこちらでは、”なにを表現していたのか”に重点を置いて語っていきたいと思います。
もう何度も言ってきましたが、これまで「Misty Frosty Love」は第11話「友情ヨーソロー」がテーマであることを前提に考えてきました。ライブの(後ろの)映像でも11話の内容が多く映され、曲自体も振り付けもそれらがテーマであり、表現しているのだと。
※前回の記事で使った画像
しかし最初に語りましたが、曲中曜ちゃんは”誰か”に嫉妬しているはずなのに、ライブ演出からはその相手が梨子ちゃんとは到底思えませんでした。だからこそ前述であの振り付けたちはあくまで”表現”であると考察しました。ふたりはあくまで曲の表現をしているのであり、登場人物たち当人ではないのではないか、ということを。それらからおのずと、本当にあの振り付けたちがようちかりこの三角関係(もしくはようりこのふたり)を表現しているのかも怪しくなってきます(そもそも勝手に想像してただけだが)。ほかの、なにか違うことを表現していたのではないか? と思えます。ではいったいなにを表現していたのでしょうか?
はい。それでは考察していきたいと思います。
ここから、ライブ演出、パフォーマンスがどうだったか、皆さま脳内再生をお願いします(無茶言うな)。よければ前回の記事を見ていただけたら・・・・汗
とりあえずざっくり説明すると、どちら(1番、2番)も最初はそれぞれ違う振り付けで踊っていますが、サビに近づくにあたりだんだんと動きがシンクロしていく感じです(1番、2番でわずかばかり違いはあれど)。そしてラスサビに入る前にステージの端から端に離れて踊ったり、そこからラスサビでは近づいたり、すれ違ったりを繰り返し、最後は向かい合ったかと思ったらすれ違ったり、という感じでした。そしてそれらの中で気になるポイントだったというのが、最初に上げた
- 曜ちゃんが終始真顔、梨子ちゃんがほぼずっと笑顔な(最後は笑顔が消える)理由。
- 梨子ちゃんパート(2番)において、曜ちゃんの梨子ちゃんを煽るような振り付け。
- ふたりがすれ違っているような演出、振り付け。
たちです。
これらから(前回の考察は置いといて)なにが考えられるか、ということですが。前述、ようりこのふたりはあくまで曲の表現をしていて、当人たちではない、を考慮しつつ考えていきたいと思います。
ダンスパートの説明において話がややこしくなるので、ここから曜ちゃんをY、梨子ちゃんをR、と呼称して進めたいと思います(これは曜ちゃんはY担当であって登場人物としての曜ちゃんではない、といった感じです)。
まずひとつ気になるのは、曲を通してふたりの距離感が曖昧というところでしょうか。違う振り付けをしていたかと思ったらシンクロしたり、離れていたかと思ったら近づいたり。片方(R)はもう片方(Y)を見ているのに見られている方(Y)は他のどこかを向いている、という感じだったり。
遠いようで近い、近いようで遠い、そんな絶妙な距離感を感じさせます。
そしてもうひとつ。上記にもありますが、Yは終始真顔、Rほぼずっと笑顔であり、YがRを煽るような振り付けがあったりと、正反対の性格のように思えます。特にYはずいぶんと冷たい性格のように思えますね。演出(振り付け)において、Rが必死に寄り添おうとしているのに、Yがそれを突っぱねている、という風に見えます。
さてです。このふたり(Y、R)がようりこのふたりではないとすると、じゃあ誰なんだ?ということになりますね。正反対のような性格。しかし遠いようで近く、近いようで遠い、そんなふたりはなんなのか。
う~む、なんなのでしょう。
うーむ・・・・
はい。
いろいろ御託を並べるのは後にして、結論から言いたいと思います。(あくまで私個人の)行きついた、このふたりの答え。
それは、この曲「Misty Frosty Love」で中で多く表現されている、心の葛藤、ではないか。
(・・・・・え?)
はい。何言ってんだ?と思った方、説明していきたいと思います。
この曲「Misty Frosty Love」は曜ちゃん(もしくは梨子ちゃん)の心の葛藤を多く表現していると、これまで思ってきました。詳しくは前回の記事を見ていただけたらと思うのですが、歌詞の至るところで、心が揺れ動いてること、思い悩んでいること、など葛藤していることが伝わってきます。ひとまず”誰”の心情なのかは置いといて、改めて歌詞を見てみましょう。
キレイな気持ちだけで 生きていたいけれど
誰かと比べて もやもやしちゃうよ こんな自分 イヤなんだよ
はい。これまた前回の考察でも書いたのですが、「キレイな気持ちだけで生きていたいけれど 誰かと比べてもやもやしちゃうよ」の部分から理想の自分になれないこと、”誰か”に対して劣等感を感じている自分がいることが表現されてます。そして続く歌詞「こんな自分イヤなんだよ」と自己嫌悪してしまってるのがわかります。
という風に、この曲では、理想と現実の違いや、そこから生じる自己否定、それでも諦めきれない、といった心の葛藤が描かれてます。一番顕著なのはやはり最後の歌詞の部分でしょう。
私は伝えたいの? それとも…
私は伝えたいの? ……伝えたいよ!
そういった、反対のふたつの感情を具現化したものが、ライブでのふたりだったのではないでしょうか。と、私は考えました。
なにが言いたいか伝わったでしょうか。これらの歌詞の心情が”誰”のものかは置いといて、誰かひとりの”心”の中の、相容れないふたつの感情を表現しているのではないか、ということです。ライブでの遠いようで近い、近いようで遠い微妙な距離感。向かい合ったかと思うとすれ違ったり、最後までひとつにならなかったり。そういった演出が、先述の”相容れない感情”を表現しているのなら、辻褄が合うような気がするのです。
それではこれから、ライブの演出をふたりを感情という”役”に置きかえて見直して行きたいと思います!(まだまだ続くよ)(長い)
1.曜ちゃんが終始真顔、梨子ちゃんがほぼずっと笑顔な(最後は笑顔が消える)理由。
まず最初に1.ふたりの表情の差ですね。先程に引き続き(ややこしいので)、曜ちゃん(斉藤朱夏さん)をY、梨子ちゃん(逢田梨香子さん)をRと呼称して話を進めたいと思います。
ライブではYが終始真顔で、Rがほぼ笑顔でした。真顔と笑顔。正反対の表情ですね。ふたりの表情の差にはなんの意図があるのか。
やはり考えられるのは(ふたりを心と置きかえると)、Yが感情の陰の部分、Rが感情の陽の部分、ではないでしょうか。負の感情と正の(前向き)感情と言えばいいでしょうか。歌詞から”あなた”と”誰か”についてで思い悩んでいるのは明らかですが、それに対してわずかばかり希望をもっているか、絶望してしまっているか、で違いが表れているのではないか、といった感じです。Yは終始真顔でしたが、Rはほぼ笑顔で、ときどきYを気遣うように深刻な表情になることがありました。この関係から、Yは(Rに対して?)壁を作って突っぱねているようで、RはYをどうにか出来ないかと悩んでいるようだと思います。
1番の「こんな自分イヤなんだよ」と歌う瞬間、RがYを後ろから包み込むような振り付けがありましたね。完全に諦めてしまっているYに対して、Rが慰める、または励まそうとしている動きなのではないでしょうか。サビに近づくにつれて動きがシンクロしていくのは、やはりふたりはふたりでひとり(ひとつの心)ということなのではないかな、と(ダンスの見た目重視という可能性ももちろんある)。
そういえば後ろで流れるダイジェスト風映像でも、曜ちゃんは思い悩む表情が多めで、梨子ちゃんは比較的笑顔が多かったような気がします。関係があるかはわかりませんが。
(文字ばかりで疲れそうだから咄嗟にアニメのスクショを入れた)
2.梨子ちゃんパート(2番)において、曜ちゃんの梨子ちゃんを煽るような振り付け。
さて、次に行きたいと思います。ライブ演出において気になったポイント2.YがRを煽るような振り付けです。2番においての「(やめよう)嫉まないで(やめよう)羨まないで」の部分で、「やめよう」とYが歌うのですが、そのとき、まるでYがRを煽っているかのように、後ろ左右から「やめよう」と歌うのです。
これは前回、曜ちゃんが梨子ちゃんに対して意地悪しているのか?と思ってしまいましたが(なわけない)、これもふたりを”役”としてみると納得できそうです。
自分(Y)は諦めているのに、笑顔で前向きになろうと思っている子がいたらどう思うでしょう。ものすごく言い方悪いですけど「お前も諦めろよ」みたいな感情になるんじゃないでしょうか。「Yは壁を作って突っぱねている」と先ほど書きました。ここでは自分側(負の感情)に引き込もうとしている感じがします。これ以降曲の最後まで、YがRを意識するような振り付けはありません。Yが(思い悩むことに)完全に冷め切っていることの表現でしょうか。
ここまでRが”前向き”と言ってきましたが、「Rのどこが前向きなんだ?」と思った方いるんじゃないでしょうか。だってRも(担当パートとして)葛藤していることを歌っています。恋を諦めるようなことを歌っています。しかしです。そういったネガティブな歌詞も、あくまで「ふたりでひとりの”心”だから」と思えば納得できる気がします(もちろんただ歌として楽曲として(デュエット曲として)成立させるためという可能性もある)。
その根拠となる(根拠になるかはわからないが)のが最後の歌詞。
私は伝えたいの? それとも…
私は伝えたいの? ……伝えたいよ!
この歌詞「伝えたい」が”あなた”に想いを伝えたい、ということは明らかです。「伝えたい」を諦めきっているY、「伝えたい」と強く思うR、と置いたとすると・・・。これまで考えてきたふたりの関係を踏まえれば、そんな解釈が出来ます。
そしてです。一番興味深い歌詞がこちら。
誰かとあなたと私と Misty Love
誰かとあなたと私と Frosty Love
こちら、前回では”誰か”は梨子ちゃん。”あなた”が千歌ちゃん。”私”が曜ちゃん、と考察しました(梨子ちゃんと曜ちゃんが逆のパターンも)。しかしです。今回の考えを踏まえると。
”あなた”は”わたし”が好きな人、とそのままですが。”誰か”は変わってきます。”誰か”は葛藤する心、つまりは「もうひとりの”わたし”」と考えることも出来るんじゃないでしょうか。
もちろん実際のところはどうかわかりません。でも・・・・なんか、面白くなってきた気が、しませ、ん・・・・?(知らんがな)
3.ふたりがすれ違っているような演出、振り付け。
さて、このまま次に行きたいと思います。3.ライブにおいて何度も見られた、ふたりがすれ違う演出です。
ここまでさんざん「ふたりはふたりでひとつの”心”。葛藤を表現してる」と言ってきましたので説明は省略したいと思います。何度もすれ違っているのは、正反対の感情で、相容れることがないからなのではと思います。
ここにおいて重要なのは(語りたいのは)結局ふたりが最後まですれ違う、というところです。
最後、上記「伝えたいの?」の歌詞のところで、ふたりは向かい合い手を伸ばしますが、すれ違います。結局曲の最後までふたりが相容れることはなかった、ということだと思うのですが。
曲中、Rは何度かYを気にかけるような表情、振り付けがありました。最後の最後は、Rが一瞬Yの方を見て、すぐに顔を背け、そしてRが顔を背けた後、YがRの方を向きます。前回の記事で、「曜ちゃんは”梨子ちゃんの方”を向きましたが、”梨子ちゃんを見ていた”とはどうも思えません」と書きました。別のどこかを見ているのではないか、と。しかし今になってみると、やはりYはRの方を向いていたのではないか、と思えます。
完全に諦めていたY、「・・・伝えたいよ!」と諦めきれないR。Rは曲中(特にラスサビの部分)、何度もYに諦めないようにと努力していましたが、肝心のYは冷たい態度で突き放すようにしていました。その結果が、最後の演出に表されたのではないかと思います。
つまりなにが言いたいかというと、最後、Yを説得しようとし続けたRは諦めてしまい、YはようやくRを気にかけようとしたがRは既にこちらを見ていなかった、ということです。
これらの演出が表すものとは。
最後「・・・伝えたいよ!」と歌いますがこれは結局、”誰か”に想いを伝えられなかった、ということだと思います。伝える伝えないで葛藤していたふたり(ふたつの感情)でしたが、結局最後まですれ違い、「伝える」という現実の行動に移れなかったのではないかと。いろいろ悩んだ挙句、”私”は”誰か”に想いを伝えることが出来たなかったということですね。
ん・・・・?
あれ、このシチュエーション、どこかで聞いたことありませんか?
そうです第11話「友情ヨーソロー」の曜ちゃんです。
咄嗟に声がデカくなりました。申し訳ありません。
「友情ヨーソロー」の内容を思い出してみましょう。
詳しくは前回の記事を見ていただきたいのですが(何回目だよ)、ざっくり説明。ピアノコンクールへ出るため不在となった梨子ちゃんの代わりに、曜ちゃんが千歌ちゃんとのペアを組むことになります。そんなとき東京に行ったはずの梨子ちゃんからの電話に、嬉しそうに話す千歌ちゃんに曜ちゃんは複雑な気持ちを抱くことに。そこには千歌ちゃんに対するある想いがあり、それは鞠莉ちゃんに相談に乗ってもらったりして明らかになるのですが、結局曜ちゃんは、自発的に千歌ちゃんに想いを打ち明けることが出来ませんでした。最終的には、ひとり悩んでいるところに梨子ちゃんから電話がきます。
(思ったより詳しく書いてしまった....)
はい。なにが言いたいか伝わりましたか。第11話において、曜ちゃんは思い悩み、葛藤し、しかし結局最後まで自分から千歌ちゃんに気持ちを伝えることが出来ませんでした。
この、11話の終盤直前における曜ちゃんの心情。そして先述の「Misty Frosty Love」の最後の部分が、重なり合う気がしませんか?
つまりです。この曲のライブ演出におけるYとRは、曜ちゃんの心の(葛藤の)具現化だったのではないでしょうか。梨子ちゃんから電話が来る前の、ひとりで思い悩んでいたときの曜ちゃんの心の中。
はい。とっても長く、そして最後は若干脱線してしまいましたが、以上が「ライブの演出、振り付けは、ようちかりこの三角関係を表現したものではない」という考えに至った理由です。多少(多少?)無理やりな部分もあったかもしれませんが、前回の考察で行きついた答えより自分の中では幾分か納得いくものになった気がします。
(まあ自分の納得いくような答えを求めて考察したらそれはもう考察ではないんですけどね)
げふんげふん。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
はい。まだまだ終わりじゃありませんよ。もう少しだけ続きます。どうか最後までお付き合いを。
・まとめ
それでは最後に、この曲のまとめというか総括というかなんというか、(私なりの)答えというものを出したいと思います。結局この曲はなんだったのか? なにを描いていたのか?とかそういう感じのものです。
さきほど「ライブ演出は曜ちゃんの心の葛藤を表現していた」と書きました。しかしですね。前回私は、”曲単体”だけで考察した際には、この曲は「ようちかりこの三角関係を描いている」と考えました。そうなるとライブ演出での解釈と、曲単体での解釈で違いが生じてしまうわけです。それではどうも納得いかない(気持ちよく終われない)。ということで、結局どうなんだろうということを語りたいわけなのです。
結局どっちなんだろうと思います。そもそもの話、この曲の考察がどうしてここまでややこしくなったかと言うと、曜ちゃんのせいなのですが(いきなり横暴だなおい)。
この歌は曜ちゃん、梨子ちゃん”ようりこ”ふたりのものです。ふたりの歌なら、ふたりには繋がるもの、共有するもの、共通項のようなものがあると思います。なので歌の中に”千歌ちゃん”の存在を見出しました。そして歌詞からふたりと千歌ちゃんを交えた関係に対する想いなのではないかと。
しかしライブ演出では”曜ちゃん”ひとりの心を表現してました。曜ちゃん梨子ちゃん、ふたりの曲なのに、曜ちゃんがメインで梨子ちゃんはそれを支えるような役回りの表現だった気がします。
おや、なんか批判しているみたいになっちゃいました。違いますよ、違います。全然そんな批判したいなんて意図なんてなくて。でもこれだけ考察したあとでも、やはり今でも歌詞だけ見ると曜ちゃんだけでなくて、そこにはちゃんと梨子ちゃんの存在、心情を感じます。梨子ちゃんには梨子ちゃんの葛藤があったんじゃないかなって。でもそれでも、ライブ演出においての考察のあれはあれで納得していて。
結局、聴き手次第でどんな形にも受け取れるね、ということなのでしょうか。そもそもこの考察は私個人(ひとり)の勝手な解釈に過ぎず、曲に明確な”答え”なんて求めてませんし、ない方がいいでしょう。
でもそんな答えで納得するのは、と思ったりもします。
じゃああとはどうするか?
そうなったら、あとはもう想像に任せるしかありませんよね。
おや、また批判みたいになっちゃいましたね。いやいや、本当に違います。ええ。
私が言いたいのはですね。想像に任せる、というのも悪くないんじゃないかな、ということです(は?)。
だってですね。そもそもこの曲はですね、渡辺曜と桜内梨子、っていう「ラブライブ!サンシャイン!!」に登場するふたりのキャラクターの歌なんですよ。だったら当然、そこにはキャラクターとしてのさまざまな”設定”があって、作品としての”決められた世界観、舞台”があるってことなんです。
なにが言いたいかって? はい。例えばの話、Aqoursの作曲担当は梨子ちゃんですよね。歌詞は普段千歌ちゃんが担当です。でも実際のとこ、この曲「Misty Frosty Love」の作曲は倉内達矢さんだし、作詞は畑亜貴さんですよね。アニメでは曜ちゃんが嫉妬する話がありました。でもその話だって考えたのは脚本家だしそもそもアニメを作ったのは製作会社だし。言ってしまえば、結局は大人たちが集まって作ったひとつのエンタメコンテンツでしかないのです。
お前急にメタ発言どした、って感じですが最後まで聞いてください。
キャラソンにおいて大事なことは、その曲の中で、本当にそのキャラクターが”生きてる”と思わせるかどうかだと思うんですよ(本当にメタ発言だな)。
まあ要は、本当に”その子”の心情か、とか、あのシーンのことかな、とかをどれだけ聴き手に思わせるか、頷かせるか、ということなんですが。
で、ですね。そういった中、「ラブライブ!」という作品は、そういうことをいくらでも考えさせてくれる作品なんですよね。なにを思ってとか、どんな背景や物語があってとか、そのキャラクターたちがちゃんと”生きてて”、いくらでも考えさせてくれる作品なんですよ。この曲にはいったいどんな想いが込められてるんだろう、いつの気持ちだろう、ってことを。
だから当然、この曲「Misty Frosty Love」にも、描かれてない、本来読み取ること出来ないさまざまな背景や物語があるはずなのです。
こうやって、「どうやって作ったんだろう」ってファン(聴き手)が想像することが出来るって、素敵なことじゃないでしょうか。だってそんな想像が出来るのは、ファン(聴き手)が本当にそのキャラクターたちが”生きてる”って思えてるからこそなんだと思います。それほど愛されてるからこそなんだと思います。
「Misty Frosty Love」はどうやって作られたんでしょう? 作曲はいつも通り梨子ちゃんでしょうか。衣装は曜ちゃんでしょうか。じゃあ作詞は? 誰が書いたんでしょうか。曜ちゃんでしょうか。梨子ちゃんでしょうか。それともふたりで考えた? 振り付けは誰が考えたんでしょう。今回の考察で、振り付けはキャラクター性より”役”感が強かったです。そうした振り付けを提案したのはどちらでしょう。曜ちゃん? 梨子ちゃん?
さあさあどんどん広がっていきます。そしてまだまだ、上げきれてない背景たち、物語たちがきっとあるはずです。いや、あるのです。
この曲を聴いたあなたはどう考えたのでしょうか。
つまりです。この曲は、まだまだ完結なんてしないのです。
曲として、物語として、完結はしないのです。
はい。以上で、「Misty Frosty Love」の考察を終えたいと思います。完結しないとか言ったばっかですが。そして最後はなんか精神論的なポエム(笑)に走ってしまいましたが。
うーむ、たった一曲で奥深い。沼深い。とんでもなく長くなってしまいましたが、こうして文字起こしすることで、その曲を、その作品を改めて見つめ直すことが出来たと思います。それに「終わり」とは言ったものの、ライブのBlu-ray/DVDが発売され、その映像を確認したらここで考察したことがまた変わってくるかもしれませんので。文字通り、この曲はまだまだ終わりそうにありませんね(白目)。
初めてブログ開設、考察記事を書きました。とても拙く読みにくい記事を、最後まで読んでいただきありがとうございます。ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございました。
最後に、一曲でこんなに考察させてくれる曲を作った、倉内 達矢さん、畑 亜貴さん。表現した斉藤朱夏さん、逢田梨香子さん。そして魅力的なキャラクターのふたり、桜内梨子ちゃんと、推しである渡辺曜ちゃんに、感謝を。
・最後の最後に
ツイッターにて逢田梨香子さんがMisty Frosty Love(の解釈)について言及したツイート。「曜ちゃんの切ない心情を歌った」「梨子ちゃんだったらどうするか考えそっと寄り添う気持ちで」等曲に対する解釈、歌うにあたっての想いを語ってくれています。千歌ちゃんの存在も感じているようです。ライブパフォーマンスでは「最後まですれ違う」と曲のテーマ(?)が「すれ違い」「切ない」と語ってくれました。
また、「第237回 ”Aqours浦の星女学院RADIO!!”」内でも曲に対して言及しており、そこで
・この曲は友情ヨーソローの回を歌った楽曲であること
・(歌詞には)曜ちゃんが梨子ちゃんと千歌ちゃんを見てもやもやしている気持ちが描かれてること
・一曲通して曜ちゃんの曲を歌った楽曲であること
・友情ヨーソローの回を見返すなどして、やはり梨子ちゃんは「そんな曜ちゃんでも大好きだよ」と暖かく包んであげるよな・・・とイメージしてレコーディングしたこと
・2番は曜ちゃんの心情を梨子ちゃんなりに汲み取って歌うイメージで歌ったこと
・曲に対していろんな想像が膨らむこと(曜ちゃんの気持ちを想像して梨子ちゃんが曲を書いたかもしれない、など)
などさまざまな曲に対する解釈や想いを語ってくれてます。
今回の考察、「公式やキャストさんの発言は考察理由にしない」という、ある種の(自分の中で)ルールを設けていました(○○さんがこう言ってるからそうだ、などと言い出しては、曲に対する純粋な考察にならないからです)。
しかし曲の考察を始める前から、既にキャストさんたちの発言等を聞いてしまっており、結局考察に際してさまざまな思想が最初から入り混じった状態だったことは否めません。
ですが曲を考察すること自体はとても楽しかったです(あーでもない、こーでもないと考えることが)。皆さまも、推しキャラ、推しCP、推しアーティスト、などなど、好きな曲の考察をしてみてはいかかでしょう。きっと楽しい、はず。
最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。
(終)







