自衛隊時代の話。 | 山口光貴 Official BLOG

山口光貴 Official BLOG

元自衛官シンガーソングライター山口光貴のオフィシャルブログです。


こんばんは☆



みっきーですけど!!



今日もがばいぬっかった真顔
(とても暑かった)



今日は久しぶりに自衛隊時代の話を。



出来るだけ分かりやすく。笑



僕は陸上自衛隊に6年間務めていました。



色んな職種があるんですけど、僕が在籍していたのは施設科という職種。



民間でいうところの、土木、建築、建設などのお仕事です。



施設科の中でも、僕がいたのは特殊器材中隊という部隊で、全国に5つ、九州では1つしかないレアな中隊でした。



主な任務は、アスファルトやコンクリートなどの道路舗装・道路整備、砕石生産、電工・木工・鉄工・測量・営繕・建設や建築・建設作業全般です。



と言っても、なかなかイメージできないですよね。笑



ほら、よく道路でアスファルト舗装工事とかやってますよね?



僕もやってたんですよ、道路舗装とか。笑



夏の時期は、もうほんとに暑くて暑くて死にそうでした



上からも下からも照りつける暑さで、熱中症や脱水症状になりかけたり。



それプラス、毎日走ったり運動したりするのは当たり前だったので、今思えばよくやってたなぁと思います。



僕の中隊は九州に1つしかないので、九州の各駐屯地や演習場の道路舗装や整備に行くことができる唯一の中隊でした。



九州各地で仕事をして、色んな地方で外出しては美味しいものを食べ歩いたり、仕事はきつかったけどそれを楽しみに頑張ってたなぁ。笑



自衛隊の主任務は国防。



先ほど説明した仕事をしつつ、いつ何が起きても即対応できるように、日頃から災害派遣やPKO活動等の準備や訓練もしています。



僕が自衛官だった頃、よく「自衛隊っていつも何してるの?」と聞かれる事がありましたが、一言で説明するのが難しい業種なんです。



日々の生活、体力錬成、各部隊の仕事、すべては国防に繋がっていると思う。



施設科部隊は、PKO活動や災害派遣活動など、有事の際は真っ先に駆けつける部隊です。



入隊して、半年間の新隊員教育が終わって部隊配属になり、僕は19歳で大型特殊自動車免許を取得、20歳で第1種大型自動車免許を取得する事ができました。



お陰で、早い段階で様々な現場に連れて行ってもらい、沢山の経験を積ませてもらいました。



当時の上司や先輩方には大変お世話になりました。



退職するまでの6年間で、沢山の教育や訓練にも参加させてもらえました。



その中でも、僕の人生のターニングポイントとなった教育があります。



それは、“新隊員教育隊の機関要員として教育に携わった事”でした。



これは何かと言うと、4月になると自衛隊に新隊員が入隊してきます。(民間でいうところの新入社員)



新隊員は前期教育3ヶ月、後期教育3ヶ月、計6ヶ月の教育期間を経て、ようやく一般部隊に配属されます。



前期教育では、自衛官としての基礎を学びます。



後期教育では、前期教育の適性等で決まった職種に分かれて、それぞれ違った教育訓練を受けます。



ちょうど今の時期(7月頃)から後期教育がスタートするわけです。



僕は21歳の時、施設科の新隊員後期教育隊の機関要員(指導教育する側)として参加しました。



それまでは「他の同期よりも先に免許を取る!」とか「誰よりも先に仕事を覚える!」とか、ガツガツしてて闘志剥き出しで自分中心に物事を考えてたと思う。



この教育で、教わる側から“教える側”になり、考え方が一変しました。



忘れていた初心を思い出し、これでもかってほど勉強してたし、体力的にも精神的にもかなりきつい時期でした。



でも、とてもやりがいのある仕事でした。



右も左も分からない新隊員達に、中途半端な知識と体力で向き合う事はできない。



初めて自分の中で“責任感”が生まれました。



全力で新隊員達とぶつかる毎日。



ハードな3ヶ月間でした。



気がつけば休みも返上して、自分の事なんかどうでもよくて、教え子たちの事だけを考えていました。



辞めたいという子達の話を、寝る間も惜しんで聞いていました。



でも、僕の指導はかなり厳しかったと思う。



反発もされたし、反感を持つ人もいたと思う。



でも何と言われても、全ては教え子たちの将来の為だと思って、心を鬼にしてやっていました。



僕が心折れそうになった時は、自分の時間を割いてまで話を聞いてくれる上司や同期がいました。



まだ若かったし、言動に間違いや矛盾も沢山あったかもしれませんが...。



あの3ヶ月間はとてもとても濃くて、僕にとっては人生のターニングポイントとなった貴重な3ヶ月間でした。



あの3ヶ月で変わった、気付いた。



言葉ではうまく説明できないけど、自衛隊には尊敬できる上司や先輩、頼もしい同期が沢山いる。



そして、あの時の教え子たちは立派に成長してる。



しかし若かったなぁ〜あの頃は。笑



自衛隊にいた6年間で、今の自分の基盤ができたと言っても過言ではありません。



当時僕と関わって下さった皆さんには、感謝の気持ちでいっぱいです。



人それぞれ育った環境も違う、考え方も違う、能力も違う、得意不得意もある、好き嫌いもある。



それでも愛情を持って接することが、どれだけ大切な事か。



僕が知ってる限り、自衛隊の上司はどんなに出来の悪い部下がいても、教育や指導を放棄したりしませんでした。



決して諦めずに部下と向き合う。



そして、いつの間にか絆と信頼関係が生まれる。



いつかそんな人間になりたいと、尊敬の念を抱くようになる。



民間の人からしたら、過保護とか甘やかしてる様に思われるかもしれません。



でも自衛隊の場合、戦場で自分の部下に命を預ける状況になり得る可能性があります。



その時、自分が指導教育を怠っていたら...



そんな状況にならない事を願ってはいますが、いつ何が起きてもおかしくはない時代。



自衛隊の上下関係、信頼関係、絆が強いのにはそういう理由もあると思います。



今の僕の考え方や生き方、そのほとんどは自衛隊で培ったものだと思っています。



今は全く違う畑で、歌手として毎日を送っていますが、あの頃の気持ちを忘れた事は一度もありません。



今もまだ繋がってる自衛隊との絆。



今年もまた様々な駐屯地へ歌いに行きたい。



お世話になった方へ歌で恩返しがしたい。



応援したい。



そんな思いも込めて作った『SOLDIERS〜戦士たち〜』という楽曲があります。



必ず形にして届けたい。









やはり長くなりました。笑



最後まで読んでくれてありがとうございました!!



また書きますグッ



今日はこの辺でウインク

{C7FE43B1-76CF-4790-92F2-9CAA361CDB4D}

{5CDCDCC3-2F14-4AFE-9629-CB3EFB32F8D8}




シンガーソングソルジャー
山口光貴