〇小川家・ダイニング(朝)
 
 朝日が差し込む部屋。
 使い込まれた家具や家電から、長い間生活しているのだと感じさせる。
 生活感はあるが、清潔であり、丁寧な暮らしぶりをうかがわせる。

 紗友里、テーブルに朝食を並べ、ため息をつく。
 机の上に書類が置かれている。
 椅子に座り、コーヒーを飲みながら書類を手に取りため息をつく。
 『退去通知』と書かれている。

〇同・前(朝)
 紗友里、出てくる。
 小太りの男性・前園(70くらい)が近寄ってくる。
 いかにも人の良さそうな笑顔。

前園「紗友里ちゃん! おはよう」

 紗友里、前園に気付き頭を下げる。

紗友里「大家さん、おはようございます。あの・・」

 前園、申し訳無さそうに薄くなっている頭を掻く。

前園「ごめんね〜急で。びっくりさせちゃったでしょ。退去通知なんて」

紗友里「あ、はい」

前園「今からちょっといいかな? 会社送ってくからさ。中で話できる?」

 前園の視線の先にタクシーが止まっている。

〇環クリーン・前(朝)

 タクシーから降り、お辞儀をする紗友里。

紗友里「ありがとうございました」

 タクシーのドアが閉まり、見送る紗友里。
 斎藤、ニヤニヤしながら近づいてくる。

斎藤「おはよう。珍しいわね、タクシーで出勤なんて」

紗友里「ああ、斎藤さん。おはようございます」

斎藤「彼氏?」

紗友里「いえいえ、まさか。実は・・」

〇タクシー・内(朝)

 前園、電話で話している。
 先ほどまでのにこやかな表情とは一転、
 クールな表情に変わっている。

前園「マンションの退去通知の件、紗友里様に承諾いただきました。はい。ご指示通り今月末までということで」

〇風雷寺・本堂・内(朝)

 国政、電話で話している。

国政「そうか。苦労かけたな」

〇タクシー・内(朝)

前園「とんでもないです。今まであの親子を見守ることができたこと、感謝しております。でも息子夫婦なんて居ないものですから、なかなか苦しくて。バレてないといいんですが」

〇風雷寺・本堂・内(朝)

国政「ハハ。それは申し訳ない。前に言ったように、息子夫婦はこちらで用意する。今までご苦労だったな」

〇同・ロッカールーム(朝)

 斎藤と紗友里、作業服に着替えている。

斎藤「息子さん夫婦?」

紗友里「そうなんです。来月には帰ってくるからって。だからすぐに家、出ないといけなくなっちゃって」

斎藤「え? でもそれって文句言っていいんじゃない? いくらなんでも急すぎじゃん」

紗友里「でも、今のところ格安で貸してもらってて。文句言える立場じゃないんです」

斎藤「格安って?」

紗友里「月・・1万円です」

斎藤「は?」

 斎藤、驚いた表情で紗友里を見つめる。

〇同・事務所(朝)

 紗友里を含む作業服姿の社員、立って並んでいる。
 対面には恰幅のいい、白髪交じりの所長が立っている。
 
所長「じゃあ皆さん、今日も安全第一でお願いします」

 全員礼をし、準備のため動き始める。
 紗友里、斎藤と共に同じ方向へ向かう。

所長「あ、小川さん、小川さん、ちょっといい?」

 紗友里、立ち止まり所長の方を向く。

紗友里「はい、何か?」

所長「今日終わったら残ってくれる? 話があるから」

紗友里「え? あ、(何かに気付いたように笑顔で)はい。分かりました」

所長「よろしくね。じゃあ、今日も元気でよろしく!」

 紗友里、笑顔で会釈し、去っていく。

〇道(朝)

 環クリーンと書かれた白いバン。
 従業員が乗り込んでいく。

〇車・内(朝)

 後部座席には、紗友里と斎藤含む社員数名が乗っている。

斎藤「にしても、この時代に家賃1万円とはね。一応聞くけど、共同トイレとか共同風呂とかじゃないんでしょ?」

紗友里「はい。3LDKの分譲マンションです」

斎藤「それじゃ文句言えないわ」

紗友里「ですよね。でも、どうしよう。私の給料じゃ・・この辺で相場ってどのくらいですかね」

斎藤「一人暮らしだったら6~7万であるんじゃない?」

紗友里「そっか・・」

斎藤「大丈夫よ! さっき所長に呼ばれてたじゃない! あれきっと正社員になりませんか? って話よ」

紗友里「やっぱり? 斎藤さんもそう思います? 私もそんな気がしてたんですよね~」

斎藤「ほら! 元気出して! 正社員さん」

紗友里「はい! 頑張ります」

 紗友里、斎藤に笑顔を向ける。

〇教室(朝)

 繍、教壇に立っている。
 隣には担任の教師が立っている。
 生徒たちが好奇心旺盛な瞳で繍を見ている。
 生徒の中には優斗、和也がいる。

教師「皆さん、今日は特別にカウンセラーのお仕事をしている鬼頭先生にお話をしてもらいます。先生、どうぞ」

繍「おはようございます」

 繍、黒板に「カウンセラー」と書き、生徒の方を振り返る。

繍「初めまして。僕は、鬼頭繍といいます。カウンセラーとは、簡単に言うと、人の話を聞く仕事です」

 繍、黒板の字を消し、新たに図を描く。
 真ん中に縦棒が描かれ、左側に『他人』、右側に『自分』。
 生徒が繍に注目している。

繍「皆さんは自分と他人の区別が分かりますか?」

 「そんなの当然」「分かるよ」などと言う言葉が聞こえる。
 繍、一番左側に『体』『心』と書く。

繍「体は確かに別々だと分かりますよね? 例えば手をつないでも、離すことができる」

生徒A「接着剤でくっつくよ」

繍「確かにね。でも、くっついてても、自分の体と他人の体の境界線ははっきり分かるよね?」

 生徒たち、頷く。

繍「心は違います」

 繍、笑っている表情の写真を見せる。

 生徒たちの表情が笑顔に変わる。

繍「ほら、隣の友達の顔、見てごらん」

 生徒たち、お互いの表情を見て笑い合う。

繍「誰かの笑顔を見たら、影響を受けます。この力を共感力と言います。お友達が悲しい時、寄り添える、楽しい時はもっと楽しくなる、素晴らしい力です。でもこの共感力が悪い方に働くときがあります」


 生徒たちが不思議そうな顔をする。
 
繍「今度はこの写真」

 繍、苛立っている表情の写真を見せる。

 生徒たちの表情が曇る。

繍「もう一度、隣の友達の顔、見てごらん。さっきと表情が違うよね」

 生徒たち、頷く。

繍「今のように、知らない人の表情を見ただけでも、自分の心がざわついた人がいると思います。これも共感力です。みんなに覚えておいてほしいのは、こういう風に、心には他人の感情が入り込んでしまう、ということです」

 繍、生徒を見回す。
 つまらなさそうな表情で外を見ている和也。
 和也に赤鬼の姿が重なる。

〇環クリーン・同・会議室(夕方)

 所長と紗友里、向かい合うように座っている。
 紗友里、笑顔で所長を見つめている。
 所長、紗友里と目が合うが、すぐに逸らし、
 気まずそうに手元の書類に視線を落とす。

所長「言いづらいんだけどね・・これ」

 所長、立ち上がり紗友里の前に書類を置き、座る。
 紗友里、嬉しそうに書類を見るが、表情が変わる。
 『契約解除予告通知書』と書かれている。

紗友里「これって・・?」

 所長、机の上で指を組み、絞り出すように話し始める。

所長「小川さんの契約、更新しないことが決まってね」

紗友里「え? 私、何か問題あったんでしょうか?」

所長「いや、小川さんのせいじゃないんだ。うちの会社、業績が悪くてね、人を減らすようにって言われちゃってさ」

紗友里「でも、なんで私が?」

所長「うん・・ほら、小川さん若いから、再就職するのも他の人に比べるとしやすいだろうって」

紗友里「そんな・・」

所長「有休もまだ残ってるだろうからさ、残りの期間休んでもらってもいいし。就職活動に充ててよ」

〇同・会議室前廊下(夕方)

 紗友里、出てくる。

紗友里「失礼します」

 ドアを閉める。

〇同・会議室(夕方)

 ドアが閉まる。
 所長、紗友里の気配が消えたことを確認し電話をかける。

所長「あ、もしもし。例の件ですが今終わりました」

〇環クリーン本社・会議室(夕方)

 窓際にスーツ姿の男性・営業部長が立ち、
 外を眺めながら電話をしている。
 窓からは忙しそうに行き交う車や人の流れが見える。
 営業部長は眼鏡をかけ、
 三つ揃え・細いストライプの仕立てのよさそうなスーツを着ている。

部長「ああ、ありがとう」

 部長、振り返り部屋にいる別の男に向かって頷く。
 作業服姿のその男は、消防設備点検用の器具を持っている。
 作業服の男、頷き出て行く。
 部長、男が出て行ったことを確認し、椅子に座る。

〇環クリーン・会議室(夕方)

所長「でも勘弁してくださいよ。小川さんには次回の更新のタイミングで社員にって思ってたんですから。困るんですよ。今人が減るのは」

〇環クリーン本社・会議室(夕方)

部長「仕方ないだろ。私も上からの命令なんだ。それから前にも言ったが、くれぐれもこの件は内密にな」

〇環クリーン・ロッカールーム(夕方)

 紗友里、呆然とした様子で床に倒れるように座っている。
 斎藤、紗友里の前にしゃがみ、心配そうな表情。


紗友里「よりによって、同じ日に家も仕事も失うなんて・・」

 斎藤、紗友里をさする。

斎藤「ほら、紗友里ちゃん、元気出して。若いんだからすぐに次の仕事決まるわよ。今より給料もうんと高いとこ」

 紗友里、斎藤に抱きつく。

紗友里「斎藤さ~ん」

 斎藤、よしよしと紗友里を撫でる。

斎藤「じゃ、行くわね。急がないと。今日近所のスーパーでセール品買わなきゃいけないの。売り切れちゃうから。じゃね」

 斎藤、紗友里を振り払うように立ち上がる。

紗友里「え?」

 斎藤、笑顔で手を振って出て行く。

斎藤「頑張って」

紗友里「斎藤さ~ん」

 泣きそうな表情で斎藤の後姿を見送る紗友里。
 追い打ちをかけるように、無情にドアが閉まる。

〇道(夕方)

 紗友里、うなだれながら歩いている。
 着信音。
 紗友里、バッグからスマホを取り出す。
 蝶子からのメッセージ。

蝶子『(メッセージ)お仕事お疲れ様です。先生が事前の打ち合わせをしたいそうで、今から来ていただけますか? 夕食もご用意してお待ちしております』

〇鬼頭心理研究所・ミーティングルーム(夕方)
 繍、入ってくる。

繍「ただいま」

 蝶子、テーブルに夕食のセッティングをしている。

蝶子「おかえりなさいませ。先生、小川さんに夕食のお誘いしておきました。来られるそうです」

繍「ありがとう」

蝶子「それから、会長にお電話をお願いします」

繍「会長に?」

蝶子「はい。今後のことで、大事な話があるそうです」

〇同・カウンセリングルーム(夕方)

 繍、国政に電話をしている。
 パソコンの画面には紗友里の情報が表示されている。

繍「お、爺ちゃん。何? 大事な話って?」

〇風雷寺・本堂・内

 国政、電話をしている。

国政「会長と呼べ、会長と」

繍「いいじゃん。で? どういうことだよ。なんで俺があの人の面倒見ることになってんだよ」

 国政、笑う。

国政「悪い悪い。いや、他に頼める方相士がいなくてな。ほら、ちょうど繍、助手欲しがってたろ」

繍「鬼のことをよ~く知ってる助手な」

国政「まあまあ。それに、正から聞いたと思うが、彼女は龍女だ。しかもその力はまだ確認されていない」

〇同・ミーティングルーム(夕方)

 繍、入っていく。
 テーブルの上には豪華な夕食が並んでいる。

 紗友里、座っているが、繍に気付くと立ち上がりお辞儀をする。
 繍、紗友里を見つめる。

国政の声「いいか、彼女の心を操り、手元に置くんだ。お前ならできるはずだ」

 繍、紗友里に微笑む。

繍「どうも。すみません。今日は早く来ていただいて」

紗友里「いえ。こちらこそです。こんなに豪華なお食事いただけるなんて」

X X X

 繍と紗友里、食事をしている。
 繍、紗友里を見つめる。

〇回想・同・カウンセリングルーム(夕方)

 繍、椅子に座り国政と話している。

繍「よく分かんないけどさ。龍女ったってそんなにビビることないだろ」

国政の声「ここ数年、方相士が突然消えているんだ。お前も噂くらいは耳にしてるだろ?」

繍「ああ、まあ」

国政の声「『導きの会』に拉致されていると我々は考えている。しかし、未だに確証がない。もし、紗友里が龍を使える力を持っていたら? 彼らに拉致されたら? 何が起きると思う?」

 繍、窓から外を見る。
 紗友里が歩いてくるが、スマホの地図を見ながら歩いているため、
 通りすがりの自転車の少年にぶつかりそうになり、
 過剰に謝っている。
 繍、吹き出して笑う。

繍「いやいや、伝説でしょ。完全に。彼女がそんなことできると思えないよ。鬼見ただけでビビってたんだぜ」

国政の声「繍、用心しすぎることはない。彼女の家と仕事の件は、手を回してある。さっき完了報告を受けたから、彼女にはもう伝わっているはずだ。今月、彼女は家も仕事も失う」

繍「マジで? やりすぎじゃね?」

国政の声「それだけ失敗できないってことだ。繍、頼むぞ。紗友里を彼らにだけは渡すな」

〇同・ミーティングルーム(夕方)

 繍、紗友里を見つめている。
 紗友里、視線に気付く。

繍「あの、小川さん、もしよければ、ですけど、この仕事、一緒にやりませんか?」

紗友里「え?」

繍「ほら、この前『助けたい人がいる』って。この仕事に興味ありそうだったから」

紗友里「ああ。でも私、先生みたいなこと、できませんし」

繍「もちろん分かってます。でもほら、鬼を回収してくれるだけで、随分こっちは楽なんで」

紗友里「え? 回収って、あの、鳥籠みたいなのに入れるやつですか?」

繍「はい。それ以外にも雑用はありますが、そちらも手伝っていただけると助かるんです。(蝶子を見て)彼女は鬼が見えないので」

 蝶子、頷く。

紗友里「なるほど。でも、あんなことだけしかできないのに、いいんでしょうか? それに、言いにくいんですけど、私、実はすぐに家探ししないといけなくて。お給料もそれなりにもらえるところじゃないと」

繍「仕事の方は問題ありません。もちろん、将来的には、僕みたいなこともできるように練習してもらいますが。ああそれに給料は・・蝶子」

 蝶子、頷きタブレットを紗友里に見せる。
 紗友里、タブレットに表示された金額を見て驚く。

紗友里「え? こんなに? 今までより全然多いです!」

 繍、笑顔の紗友里を見つめ微笑む。

国政の声「住む場所も、助手用のところが空いてるだろ。できるだけ傍で見守るんだ」

 繍、真面目な表情になる。

繍「ただ、条件が」

紗友里「え? ああ、やっぱり・・で、ちなみにどんな?」

繍「まずは、ここに住むこと」

紗友里「え?」

 紗友里、頬を赤らめ、おろおろしながら早口で話し始める。

紗友里「ここに? え? 先生と? あ! 修行の一環とか? 下僕って奴でしょうか? もしかして夜も、先生の体洗ったり? 寝る部屋も一緒とか? そっちの方は、私、できるか全然自信なくて、いや、でもその前にそれって倫理的に・・」

 繍、呆れたような表情。

繍「ちょっと待て。飛躍しすぎ。蝶子、悪いけど後で部屋見せてやって」

蝶子「はい。承知いたしました」

繍「まあ、そこ見てから決めてくれていいから」

 繍、食事を続ける。
 紗友里、戸惑いながら食事を再開する。

〇同・助手の部屋・リビング(夜)

 蝶子、ドアを開け、部屋の電気を点ける。
 蝶子に続き、紗友里が入ってくる。
 紗友里、目をみはる。

 3LDKの部屋。
 家具や家電も揃っている。

蝶子「ここは助手用の部屋です。ご家族でも住めるよう、3LDKの広さとなっています。先生は(手で指し示す)エレベーターを挟んだあちら側の部屋です。建物は同じですが鍵も別々ですし、間に廊下もありますので、夜はゆっくりお休みになれると思います」

 紗友里、恥ずかしそうに笑う。

紗友里「てっきり、一緒の部屋に住むと思ってました。掃除とか洗濯とか家事一式、『俺の言う通りやれねえのか! 使えない奴め!』とかそういう・・」

蝶子「家事一式は私が担当しております。それから、そのような言葉は先生はおっしゃったことはありません」

紗友里「・・すみません。冗談です」

蝶子「冗談ですね。承知いたしました。面白いですね!」

紗友里「・・ありがとうございます」

 紗友里、引きつった笑顔で蝶子を見る。

紗友里「あ! そういえば蝶子さんてここの事務員さんじゃないんですか? さっきの夕食とか、こんな時間まで残業とか、事務員働かせすぎじゃないですか?」

蝶子「それが私の仕事ですので」

 蝶子、紗友里に向かってほほ笑む。
 紗友里、ぎこちなく微笑みを返す。

〇同・ミーティングルーム(夜)

 蝶子と紗友里、入ってくる。
 繍が座っている。

紗友里「(満面の笑顔で)先生、私、部屋の件、大丈夫です。さっきはすみませんでした。まさかあんなに素敵な部屋だと思ってませんでした。なのでーー」

繍「まあ待て。まだ条件がある。あと2つ」

紗友里「え? まだ?」

繍「名字を小川じゃなく『鬼龍』と名乗ること。俺の体には触らないこと」

紗友里「それは、どういう・・」

繍「方相士は必ず名字に『鬼』の字が入ってる。それで仲間を区別しているといっていい。面倒なことにならないよう、名乗る名字は変えてもらう」

紗友里「分かりました。それくらいなら。もう一つの『触らない』っていうのは何ですか? 普通は・・触らないと思いますけど」

 繍、左の手袋を外す。
 真っ赤な手が現れる。



 紗友里、驚いた表情を見せる。

繍「子供の頃、鬼に切られてこうなった。それ以来、人の肌に触れるとアレルギー反応を起こす」

 繍、手袋をはめる。

繍「だから、『うっかり』も含め、俺に触らないよう注意してほしい」

 紗友里、緊張した様子でごくりと唾を飲む。
 繍、紗友里を見て安心させるように微笑む。

繍「まあ、触るなっていっても服の上からなら大丈夫だ。俺もできるだけ肌を出さないようにしてるし」

 紗友里の表情が少し緩むが、動揺を隠せていない。
 それを見た繍の笑顔が少し寂しげに見える。

繍「焦って決めなくていい。この仕事は時間も不規則だし、人間の醜い部分を知ることになる。そんな仕事を、こんな俺と、無理にやらなくてもいい」

X X X

 壁面にかかったスクリーンに
 パソコンから接続された和也の映像が映る。
 
 繍と紗友里、椅子に座りスクリーンを見つめている。
 蝶子は手元のパソコンを操作している。

蝶子「今日の先生の調査で、この田中和也君が赤鬼だということが確定しました」

 スクリーンに映る映像が変わり、和也の父・健太郎が映る。

蝶子「父親の健太郎さんは1年ほど前に失踪。失踪届も出されています。ただ、会社の同僚女性と同じ日に失踪したこと、この女性が『導きの会』への入信を周囲にほのめかしていたことなどから、警察はご本人の意思による失踪であり、事件性は低いと判断。積極的な捜索は行われておりません」

紗友里「導きの会って確か・・」

蝶子「はい。宗教団体です」

 スクリーンに映る映像が『導きの会』のシンボルマークに変わる。



蝶子「『導きの会』、1997年に創始。行き過ぎたテクノロジーから自分の体や心を守ろうと、太陽暦ではなく、太陰暦を使用し、自然の中で暮らし、自給自足を目指しています。ここ数年で信者は10万人を超えたと言われ、現在は全国に支部があるようですが、正確な実態は掴めていません」

 紗友里、スクリーンを指差す。

紗友里「このマーク・・私、先生のお父さんから、初めて会った時見せられました!」

繍「ああ。導きの会にも鬼が視える目を持つものがいるからだ。蝶子、先へ」

蝶子「はい」

 スクリーンに映る映像が沙知の映像に変わる。

蝶子「母親の沙知さんです」

 スクリーンに孝也の映像が追加される。

蝶子「沙知さんは3か月ほど前から、この木村孝也さんという方とお付き合いを始めたようです。こちらを見てください」

 スクリーンに地図画像とスマホのメッセージ履歴が出る。
 地図にはいくつかの点と日付、時刻表示がされている。

紗友里「これは?」

蝶子「これはスマホの位置情報とメッセージの履歴です。沙知さんのメッセージ履歴と合わせると、和也君は沙知さんが恋人と会う日に外で過ごしているようです」

繍「邪魔だから外に出てろってことらしい」

紗友里「嘘・・え? でもこの時間見ると、夜中の1時とかもありますよ?」

蝶子「はい」

 スクリーンの地図表示が変わり、
 立体地図に変わる。
 2か所だけ山のようになっている。
 
蝶子「こちらは滞在時間別の地点図になります。一番滞在時間が長いのはこの川沿いの土手。次にコンビニとなります。時間経過からすると、和也君はいつもこのコンビニで食べ物を買った後、川沿いの土手で沙知さんからの連絡が来るまで過ごしているようです」

 スクリーンに沙知のメッセージ履歴が映る。

蝶子「そして今日は沙知さんと孝也さんが会う日です」

繍「そうだ、蝶子。マロンは?」

蝶子「もちろん車に載せてあります」

紗友里「マロン?」

〇情景(夜)
 綺麗な月が出ている。
 川沿いの土手。
 ススキが揺れ、川面に月の光が優しく当たり、キラキラと輝いている。
 繍と紗友里、子犬を連れて散歩している。

紗友里「これがマロンだったんですね。でも全然分かんないです。ロボットだなんて」

繍「だろ? これも従兄の作品」

 繍、得意げに笑う。

〇土手(夜)
 和也、草むらの中に座り、月を眺めている。
 スマホを見るが、メッセージは来ていない。
 時刻は20:00。

和也「まだこんな時間・・」

 ガサガサという音、荒い息の音。
 和也、身構える。
 マロンが和也に飛び掛かり、和也の顔をなめる。

和也「うわ! なんだお前・・どっから来た?」

 和也、笑顔でマロンを抱き撫でる。

繍の声「マロン~」

紗友里の声「マロン~」

マロン「ワン」

 マロン、尻尾を振るが和也の腕の中から逃げない。
 ガサガサという音。

 繍と紗友里が現れる。
 紗友里は籠を手に持っている。

繍「マロン!」

紗友里「ここにいた!」

繍「すみません、ありがとうございました。ってあれ? 和也じゃん」

 和也、繍に気付くがふてくされた表情。
 マロン、機嫌を取るように和也の顔を舐める。
 繍、しゃがんで和也に目線を合わせる。

繍「なんだよ、会っただろ? 昼間。『あ、あのイケメンのお兄さんだ! また会えて嬉しい~』とか言えねえの?」

和也「ん」

 和也、目を合わさずマロンを差し出す。
 
繍「なんだよ、冷てえな・・」

 繍、マロンを受け取るが、
 マロンは逃げ出して和也に飛びつき、顔を舐める。
 和也、吹き出して笑う。

和也「なんだよ。飼い主なのに、嫌われてんじゃん」

 繍、笑う。

繍「なんだよ。しゃべれんじゃん」

 紗友里、和也の隣に座る。

紗友里「犬、好きなんだね」

和也「うん。飼いたい。けど今は無理。アパートだし」

繍「・・送ってくよ。こんな時間だし」

 和也、首を横に振る。

和也「まだ・・帰れない」

 繍、紗友里と挟むような形で和也の隣に座りながら、

繍「木村孝也が家に来てるから?」

 和也、驚いた表情。

和也「おっさん、何で? え?」

 マロンの動きが止まり、和也、マロンの重さで倒れる。
 繍と紗友里、和也の手を取る。

繍「この器に潜む鬼に訊く。そのたぎる怒りの訳を言え」

和也「ちょ・・何言ってんだよ? 早くこの犬・・」

〇白い空間

 紗友里、和也の手の熱さに驚く。
 紗友里の顔が赤く変わっていき、息が荒くなる。

 3人の周辺が霧のように包まれている。
 和也が口を開く。

赤鬼「・・方相士か・・それと、龍女だな。珍しい」

 和也が話しているように見えるが、表情が変わり、声も変わっている。
 
繍「ああ。お前の片割れはもう捕らえた。この子を自由にしろ。なぜこんな子供に憑いた?」

赤鬼「なぜ? フッ。分かるだろ。こんなに分かりやすく怒りを抱えてるんだぞ? うまそうな匂いをプンプンさせてな」

繍「優斗が・・何をした」

赤鬼「あいつはこの子をイラつかせるんだ。前に仲が良かったからって、疑うことをしない。この子を今でも信じて、話しかけるといつも嬉しそうに笑う。こっちは父親がいなくなって、母親には新しい恋人ができて、そいつから虐げられているのに。おかしいと思わないか? 不公平だろ。あいつの笑顔を歪められると、怯えた顔を見ると、胸がスッとするんだ」

 紗友里の体が金色に光っている。
 熱さが落ち着き、自分の体を見つめる紗友里。
 紗友里を見る繍。
 徐々に赤鬼の声から和也の声に戻っていく。

和也「優斗はさ、変わらなかったんだよ。俺がこんなに嫌な奴になっていくのに。殴ったり、蹴ったり、みんなで笑いものにしたり、それなのに、ヘラヘラ笑ってる。ウザいんだよ! だから俺がしつけてやってる! ちゃんと怒りを出せるように! 嫌なことは嫌だって言えるように! 俺のことなんかもう友達じゃないって言えるように!」

 和也、気を失う。
 繍、和也の上からマロンをどかす。
 紗友里、繍に短刀を渡す。

 繍、和也の第3チャクラに向かって刀を振り下ろす。
 赤鬼が飛び立ち、紗友里の頭の上に止まるが、
 紗友里が籠に入れる。

〇レストラン・内(夜)

 壁際、奥のテーブル席。
 孝也と沙知、食事をしている。
 二人とも楽しそうに話している。

 1人の女性と2人の男性が近づく。
 女性は孝也の妻・和美(33)。
 綺麗な女性だが、気の強さを感じさせる。
 ブランド物のバックを持ち、濃いメイクをしている。

 2人の男性は黒のスーツ姿。
 3人に気付く孝也と沙知。
 孝也の顔色が変わる。

〇繍の車・内(夜)

 倒した後部座席で和也が眠っている。
 運転席には繍、助手席には紗友里が座っている。
 車が止まる。

紗友里「着きました? じゃあ、和也君起こしましょうか」

繍「いや・・ちょっと待て」

 スマホを取り出し、見つめる。

繍「まだだ」
 
 紗友里、不思議そうな表情で繍を見つめる。

〇レストラン・内(夜)

 和美が孝也の隣に座り、微笑む。
 孝也は青ざめた表情。

和美「み~つけた」

沙知「あの・・どちら様・・で」

和美「(孝也の方を向きながら)あなたから言ってあげたら?」

 孝也、うつむいている。

和美「あ、もしかしてこの人に言ってないの? 結婚してる、妻も、子供もいますって」

沙知「え?」

 和美、沙知を見てニッコリと微笑む。
 沙知、和美の笑顔に身震いする。

和美「初めまして。妻の和美です。主人がお世話になっているようで」

沙知「あ・・」

 和美、男性2人に目配せする。
 男性A、頷き沙知にタブレットの写真を見せる。
 沙知と孝也が手をつなぎ、家に向かっている姿。
 青ざめる沙知。

和美「これ、あなたのおうちでしょ? 主人の夜の相手まで。どうも~」

沙知「あの、私・・ごめんなさい」

和美「いいの。謝罪とか意味ないし。興味ないから。1000万位? 慰謝料」

沙知「そ・そ・そんな。無理です」

和美「知ってる~ お金がないから、それ目当てで近づいたんだもんね。この人に。あなたも大変よね。ご主人に逃げられて、子供も残されて。でも残念。この人は、私とは離婚できないから」

沙知「お金目当てなんかじゃないです、私。孝也さんのことが本当に好きで」

和美「あ、そ。じゃあ無職になっても彼を愛せるわけ?」

沙知「え?」

和美「私の会社で働いてるの。この人。離婚したら無職。当然でしょ」

沙知「無職・・でも何か仕事見つけてもらって、二人で一緒に働けば・・」

和美「あらかわいい。(孝也を肘でつつき)聞いた? でも今と同じ給料をあなたに払う会社なんてあるのかしら」

 孝也、うつむいたまま。

沙知「孝也・・さん・・なんで何も言ってくれないの?」

 孝也、うつむいたまま。

沙知「私は、孝也さんと結婚できるなら、お給料の金額なんて気にしない。一緒に働けばきっと何とかなるから」

 孝也、うつむいたまま。

沙知「私のことは? 好きって言ってくれたよね? 離婚するって言ってくれたよね?」

 孝也、うつむいたまま。

和美「私ね、もうこの人のこと、好きでも何でもないの。だけど離婚はしない。苦しめたいの。意地が悪いでしょ。だから現実逃避したくなるのかも。あなたで・・5人目だったかしら?」

男性A「7人目です」

沙知「お願いです。そんな理由なら、離婚してください。孝也さんを解放してあげてください」

 和美、笑う。

和美「すごいわね。必死。『孝也さんを解放してあげてください』だって。今までの子たちの中で一番じゃない? 孝也、誉めてあげる。これ、仕事にしたら? こんなに夢中にさせられるなら、どんどん浮気してもらって、バンバン慰謝料もらいましょうよ」

沙知「ひどい! 孝也さんは本気で私と・・」

 沙知、立ち上がり和美を睨む。

孝也「・・するわけないだろ。貧乏子持ち女と。結婚なんて」

 沙知、愕然とした様子で椅子に座る。

沙知「嘘・・」

 孝也、ふてくされた表情で沙知を見る。

孝也「体だけに決まってんじゃん。それくらい分かんだろ。頭使えよ」

和美「ほらね。性格悪いの、この人。いつもはこの流れで慰謝料もらうって話になるんだけど、あなたはいいわ。そういう約束だし」

沙知「約束?」

和美「ああ、ごめん。なんでもないわ。今回はサービスってこと。あ、タクシー待たせてあるから、それでもう帰ってくれる? タクシー代もおまけしてあげる」

 沙知、首を横に振る。

沙知「いえ、そういうわけには・・」

 和美の表情が変わり、沙知を睨みつける。

和美「消えろって言ってんのが分かんない?」

 沙知、青ざめた表情で立ち上がり、出て行く。
 和美が男性2人に合図すると
 男性Bが頷き、沙知の後を追うように出て行く。

〇繍の車・内(夜)

 スマホの振動。
 運転席の繍、スマホを見る。

繍「お、順調順調・・」

〇鬼頭心理研究所・ミーティングルーム(夜)

 パソコン画面を見つめる蝶子。
 パソコンの画面には繍へのメッセージが表示されている。
 『完了です。沙知さんはご自宅へ向かいました。約10分で到着予定です』

〇田中家・前(夜)

 タクシーが停まり、沙知が出てくる。
 力のない様子でしゃがみこみ、両手で顔を覆う。
 タクシーが去っていく。

〇繍の車・内(夜)

 紗友里、驚いた表情で沙知を見る。

紗友里「あれって・・もしかして沙知さん?」

繍「ああ」

 後部座席の和也、目を覚まし窓から外を見る。

和也「お母さん?」

〇田中家・前(夜)

 しゃがんでいる沙知。
 駆け寄る和也。

和也「お母さん!」

沙知「え? 和也? なんで? まだ連絡・・」

 繍と紗友里が近づいてくる。

繍と紗友里「こんばんは」

〇同・リビングルーム(夜)

 繍と紗友里、座っている。
 沙知、二人の前にお茶を置く。

沙知「どうぞ」

繍「いえ、お構いなく」

沙知「あの、さっき言ってたことってどういう・・ことでしょうか? 『僕の責任』とかなんとか・・」

繍「はい。僕が、孝也さんの奥様に、沙知さんのことを伝えました」

沙知「あなたが? ありえない。何勝手なことを!」

 物音が聞こえる。
 紗友里が立ち上がり、ドアを開けると和也がいる。
 怯えと心配が混ざった表情で沙知を見る和也。

和也「あ・・お母さん、大丈夫かなって思って」

 怒りで震え、顔を背けている沙知。
 沙知の様子を見つめる紗友里。

紗友里「和也君は私と向こうにいってようか。今お母さん大事な話、してるから」

 紗友里と和也、出て行く。
 ドアが閉まり、2人の足音が小さくなる。

沙知「しんっじらんない!」

繍「僕は当然のことをしたと思っています。あなたに、彼のような人はふさわしくない。あなたはもっと幸せになれる人です」

 沙知、大きくため息をつく。

沙知「なんなの? あなた。私の・・何を知ってるっていうの?」

繍「色々知ってます。配送会社にお勤めで、職場でご主人と知り合い、結婚された。そして1年前ご主人が同じ職場の女性と同じ日に失踪。大変でしたよね」

沙知「簡単に、大変だなんて言わないでくれる?」

繍「僕の母も、僕が6歳の頃、いなくなりました。ご主人と同様、『導きの会』が関係していると思っています。だから、突然家族がいなくなる苦しみは、理解しているつもりです」

沙知「あなたは、子供側でしょ? 私は、あの子を一人で育てないといけないの。その重圧がどれだけ重いか・・」

繍「一人で育てないといけないなんて、思わないでください」

沙知「だから孝也と・・それをあなたが台無しに!」

繍「孝也さんとは、無理だと思います。少なくとも和也君には、いい影響を与えていなかった。彼は壊れかかってました」

沙知「和也が? そんなわけない。学校からだって何も・・」

繍「学校は、心のケアをする専門の機関ではありません。あくまでも教育をする場です。気付かれなかったとしても不思議ではありません」

沙知「でも、和也には旦那と違って、強くなってほしかった。少しくらい乱暴に扱われても、逃げないで、それに耐えられる人間になってほしかった。孝也からもそう言われて、確かにそうだって思った。私が甘すぎるって。だって、男の子なんて、どう扱っていいか、わかんないじゃない!」

繍「自分を大切に扱われなくて、困難に立ち向かえる人間になれるわけありません。本当は沙知さんだって分かっているはずです。彼に対する違和感。本当にこの人と結婚していいのだろうかと迷っていたのでは?」

〇回想・同・玄関前(夜)

 和也と沙知、毛布に包まり体を寄せ合っている。
 ドアが開き、孝也が出てくる。

孝也「来い」

 孝也、沙知の手を取り立たせる。
 沙知、抵抗するが、孝也が耳元で囁く。

孝也「俺も辛いんだ。でもこれが和也のためなんだよ」
 
 沙知、大人しく従う。
 和也、立ち上がるが孝也に制止される。

孝也「お前じゃない。そこで反省してろ」

 孝也、沙知と一緒に家に入っていく。
 和也、立ち上がる。

和也「お母さん・・」

 沙知、和也の顔を見ようとしない。

〇回想・同・寝室(夜)

 孝也、沙知を連れて入ってくる。
 孝也、ベッドに横になり、笑顔を向ける。

孝也「ほら。来いよ」

〇回想・同・玄関前(夜)

 和也、毛布に包まり座っている。
 
孝也の声「寒かっただろ。こんなに体が冷えてる」

沙知の声「ちょっとやめて。和也がこんな時に。それに聞こえちゃうから」

孝也の声「大丈夫だよ。窓閉めてるし、聞こえねえよ」

 和也、耳を塞ぐ。

〇同・リビングルーム(夜)

 沙知、テーブルを見つめている。

繍「やっぱり思い当たることがあるんですね?」

沙知「じゃあ何? あなたが面倒見てくれるってわけ?」

 繍、ほほ笑む。

〇鬼頭心理研究所・ミーティングルーム

 繍、紗友里、蝶子の3人がピザを囲んでいる。
 赤い鬼と青い鬼が入った籠を乗せたテーブルが横にある。
 全員、ビールの入ったコップを掲げる。

全員「かんぱ~い!」

繍「いや~お疲れさまでした!」

紗友里「お疲れさまでした!」

 紗友里、ほほ笑む。

紗友里「それにしても、良かったですね」

繍「ああ。まだこれからだけどな」

〇回想・NPO法人やすらぎ・窓口

 職員の女性(30)が沙知に説明をしている。

職員「私も同じでした。自分だけで何とかしなきゃって思い込んでて。だから、近寄ってきた男の言いなりになった。でも逆だったんです。諦めて自分の弱さをさらしたんです。そしたら、『それでいい。困ったときはお互い様』って言ってくれる人達に出会って。肩の力抜いて、そういう人に頼るって決めて。そしたら気持ちも楽になった」

沙知「私も・・そうなれるんでしょうか」

職員「もちろんです。こちら、見てもらえませんか?」

 職員、沙知に書類を見せる。
 
職員「田中さんがもらえる給付金や助成金です。減税もあります」

 沙知、驚いた表情。

沙知「こんなに?」

職員「はい。ただ、書類上の離婚をする必要がありますが」

沙知「・・」

職員「離婚、したくないんですね」

 沙知、曖昧に頷く。

沙知「・・変ですよね。違う人と結婚しようとしてたのに。いざとなると気持ちの整理がつかなくて」

職員「人の気持ちなんて、謎しかないですから」

沙知「すみません」

職員「いえ。でも説明だけしちゃいますね。こういう道もあるって提案はしますけど、決めるのは沙知さんですから」

 沙知、頷く。

〇鬼頭心理研究所・ミーティングルーム

紗友里「結局沙知さん、離婚して給付金とか受けることにしたんですよね?」

繍「ああ。失踪中の人と離婚するわけだし、手続きには時間もかかるけどさ。孝也さんと時間を消費するより、いいと思うんだよ」

紗友里「私もそう思います」

 紗友里、繍がピザを食べる姿を見つめ、
 決心したように言葉を発する。

紗友里「先生!」

 繍、驚きむせる。

紗友里「あ・・すみません・・」

繍「何? あ? ごめん、もしかしてこれ食いたかった?」

紗友里「いえ、そんなんじゃ・・あの、先生、私やっぱりここで働かせてください。条件も全て問題ありません」

繍「え? いいのか? 今回のはまだ子供だからあれだけど、爺さんとか婆さんの愚痴はなかなかエグいぞ。ガードしても心がやられる」

紗友里「大丈夫です。それ以上にご褒美、もらえるんで」

繍「褒美?」

紗友里「はい! みんなの笑顔です」

 繍、フッと笑う。

繍「なんだそれ。クサ!」

紗友里「は~? そういうの、先生が言います? せっかくやる気でたのに!」 

繍「分かった分かった。じゃ、蝶子、いつものやるか」

紗友里「いつもの?」

 繍、赤鬼と青鬼それぞれの籠の扉を開ける。
 紗友里、慌てる。

紗友里「え? ど、ど、どうするんですか?」

繍「これで本当に終わりだ」
 
 蝶子が電気を消す。
 籠から出た赤鬼と青鬼が空中でぐるぐると高速で回りだし、合体する。 白い光が広がる。

紗友里「きれい・・」

 コトンと何かが落ちる音がして、暗闇に戻る。
 蝶子が再び電気をつける。
 緑色の勾玉が落ちている。
 紗友里が拾い、手に乗せて見る。

紗友里「え? これが・・鬼?」

繍「ああ。ここまでやって、終了だ」

 紗友里、寂しそうな顔で勾玉を撫でる。

繍「そんな顔するな。それが、鬼の使命で宿命。人と違って未練も何も残さない」

紗友里「せっかく名前もつけたのに・・」

 紗友里、力なく椅子に座る。

繍「マジか!?」

 繍、笑う。

紗友里「ひどいです。先に言ってください! かわいかったのに・・」

 繍、紗友里から勾玉を受け取り、胸のポケットにしまう。
 
繍「まあ、食って元気出せ」

紗友里「ですね・・これが鬼の宿命ですもんね。そしてこのピザを食べるのが今の私の使命!」

 紗友里、笑顔でピザを食べ始める。
 蝶子の様子に気付く。
 何も食べたり飲んだりしている様子がない。

紗友里「あれ? 蝶子さん、お酒苦手ですか? ピザも全然食べてないし」

蝶子「私はロボットですので、食べられません。お気になさらず」

紗友里「え~~~~嘘! ロボット?」

蝶子「はい」

 紗友里が顔を近づけて蝶子の体を見る。

紗友里「全っ然わかんないです。あ、でも先生に奴隷のように働かされても全然文句言わないな~って思ってましたけど」

繍「おい!」

 紗友里が笑い、繍がつられて笑う。

繍「でもすげえだろ。ロボットなんて思えないよな。これも、俺の従兄が作ったんだぜ」

 全員、笑っている。

〇NPO法人やすらぎ・窓口(日替わり)

 職員の女性と向かい合って沙知が座っている。

職員「離婚手続き、お疲れさまでした。大変でしたね。あともう一息です」

沙知「はい。色々とありがとうございました」

 沙知、事務所内を見渡す。

沙知「不思議なんです。今までと見ているものは同じなのに、見え方が違うというか。優しい人ってこんなに存在してたんだ、とか、和也・・息子もこんなに成長してたんだって・・私、何も見えてなかった」

職員「当然です。沙知さん、すごく頑張ってましたもん」

 沙知、涙ぐむ。

沙知「すみません。大人になると、頑張ることが当たり前で、労うとか、褒められるとか、ないから・・」

 職員、ティッシュを差し出す。

職員「じゃ、沙知さん。もうひと頑張りして、この申請書類作っちゃいましょう!」

〇土手

 マロンを連れて和也と優斗が散歩をしている。
 二人とも笑顔。

 二人の少し後ろに、繍と沙知が歩いている。
 穏やかな笑顔で話している。

〇鬼頭心理研究所・カウンセリングルーム(夜)

 繍が1枚の写真を見つめている。
 写真の日付は21年前。
 親子3人で顔をくっつけ、笑顔で写っている。
 写真は色あせ、持っていた部分が擦り切れている。

 繍、写真を机の中にしまう。
 立ち上がり、胸ポケットの勾玉を壁のフックに掛けるが、
 思い直し、机の中にしまう。
 
 繍、電話をかけている。

正の声「もしもし」

繍「あ、父さん? 今回の鬼も、母さんとは関係なかった」

正の声「・・そうか。こっちも相変わらず手がかりなしだ」