この前小中時代の事を振り返って書いてみて、一時的なものかもしれないけどなんかスッキリしたと言うか吹っ切れたと言うか

だから小学校入学前の事も振り返ってみようと思う…

断片的にしか覚えてないけど(^_^;)


幼い頃から癇癪持ちの母に怯えて暮らしていた私は、幼稚園の頃からすでに他人の顔色を伺う癖がついていた

おとなしく口数は少なく、目立つタイプではなかったけど、さりげなく大人に媚びるイヤな子供だった

よく覚えてるのは、遠足の思い出の絵を描きましょうってなったとき

普通は自分をメインに描くと思うんだけど、私は画用紙の中央にニコニコ顔の先生を描いた

思惑通り先生は喜んでくれて、私は満足した

普段おもちゃや遊具などは積極的に他の子に譲るようにしていた

もちろん内心嫌だったけど、先生の「みつきちゃんえらいねぇ」って、その一言が欲しくてやってた

他の園児をお迎えに来た保護者がいれば、その子と特に仲良くなくても「○○くんバイバイ。○○くんのお母さんもバイバイ」と言って手を振った

よその母親に笑いかけてほしかったから

それほどまでに当時の私は大人からの愛情に飢えていた


多分年長さんの時だったと思うけど、運動会で鼓笛隊をやることになった

鼓笛隊の指揮者はクラスでたった一人

先頭で華やかな帽子を被り、大きな指揮棒を振る目立つ役目

ああいうのはしっかり者でリーダーシップのある子が選ばれるもので、地味でおとなしい私が選ばれるわけがなかったのだけど

母は何故か期待して「選ばれなかったらお母さん運動会見に行かないよ!」とまで言うのでプレッシャーでどうにかなりそうだった

予想通りクラスの中心人物である男の子が選ばれたのだけど、それが発表されたとき私は泣いてしまい、慌てて慰める先生に事情をぽろっと言ってしまった

先生はあろう事かお迎えのときそれを母に伝えた

「だけどみつきちゃん太鼓とっても上手なのでお母さんぜひ見てあげてくださいね」みたいな事を言ってフォローしてたと思うんだけど、帰ってから母に激怒された

母はひとしきり暴れたあと、入って良いというまで車庫で立っておけと私に言った

この「車庫で立っておけ」は私が一番嫌いなお仕置きで、シャッターを下ろした真っ暗な車庫は子供心に怖ろしく、当然夏は暑いし冬は寒い

トイレにも行けない

これを言われた日には絶望した


こうして文字にして見ると可哀想な気もするのだけど、なぜかいつも幼い自分を思い出すとき、ただただ憎い

なんでお前は生まれて来たんだ

誰にも望まれてないのに、なんで生まれて来たんだ

お前が全部悪いんだ…

と、強い拒否感情がわいてくる

もしかして実際言われでもしたんだろうか?母に 分からないけど

とにかくみじめな幼い自分を思い出すと、目を瞑って耳を塞ぎたくなる

消えて欲しい、消えろ、と思ってしまう


こんな私にもいつか自分を愛せる日が来るんだろうか?

想像できない

自分を脱ぎ捨てて違う人間になりたい

最近よく夢想してしまう

私はどこにでもいる平凡な主婦で、小さな子供がいて

向こうに山の見えるあの道を、子供と手を繋ぎながら歩いてる

子供は幸せいっぱいで、だから私も幸せで…

こうしてほしかったんだろうか?だからこうなりたいんだろうか、なんて

現実と夢が交差して、次の瞬間ふともの悲しくなる


あーーー

だめだ、飲もう(^_^;)

明日も仕事だから控えめに

R君に前言われたように、2杯でやめとくから…(^_^;)