これまで気持ちの整理のために、母や父、祖父母のことなんかを振り返ってブログに書いたことはあったけど、小中時代の学校生活のこととなると思い出すのが辛くて書く気になれなかった

思春期という心が最も敏感な時期に起こった出来事は何年経ってもガラスの破片みたいに鋭く尖ってて

大きな出来事はもちろん、小さなエピソードであっても思い出すたび心に突き刺さって痛い


母が宗教により深くのめり込み始めたのは、私が小学4年生になる前の春休み、祖父が体を悪くして入院してからだったように思う

祖父の見舞いや身の回りの世話に忙しくなった祖母が家を空けがちになり、祖母というストッパーがなくなった母は一日の大部分を宗教活動に費やすようになった

家事なんかやらない、ほったらかし

夕食はスーパーの惣菜や菓子パンが食卓に並ぶようになり

この頃から、例えば図工で使う画材だとかお習字の墨汁だとか、そういう学用品を何度母に頼んでも忘れられ用意してもらえない事が増えた

お金を持たせてもらえない私にはどうすることもできず、学校で「忘れました」と言うより他なかった

当然回数が重なれば先生には怒られるし、私は忘れ物の多いだらしない子だとクラスメートからも認識されていたと思う

当時クラスは班ごとに分けられていて、班の中の一人が何かしでかせば連帯責任だと言われ全員が怒られた

だから同じ班の子たちに迷惑をかけることになり、それがあまりに辛いので、用意してもらえない学用品を万引きしようかと思い詰めたことさえあった

結局お店まで行ってやらなかったけど…

幸いあの頃は勉強も運動もそこそこ出来たから、成績で挽回しようと自分なりに頑張ろうとしていた

でもそんな矢先、保護者面談のときかな

母が先生に、宗教上の理由で今後娘には勝ち負けを競うようなスポーツはやらせないだとか、国家斉唱はさせないだとか言って先生ともめた

先生は少し神経質なところのある厳しい中年の女性で

ちょうどその頃あの有名な地下鉄サリン事件の影響で新興宗教のイメージが地に落ちたせいもあったのかもしれない

先生は私に対して露骨に嫌悪感をあらわにし、翌日朝会で私を立たせ、自分の口からクラスメートに説明するようにと言った

もう頭が真っ白になった

なんて言ったかは覚えてない

そもそも言えたのかな

先生が冷たく「先生は宗教嫌いです」と締めくくり、気まずい空気のまま一時間目が始まったのは覚えてる

こんなこと現代なら大問題になるだろうな