英語の勉強を兼ねて歌詞の翻訳をしている。それで、特に需要はなさそうだけれど、こちらに上げさせてもらっている。手元のノートに残したままにしておくと、いずれ処分をしてしまうので。そして、そのノートをとっておくと、押し入れのなかが嵩張ってしまうので。

 翻訳の際に、ネットに上がっている他の人たちの歌詞和訳を参考にさせていただいたりもするのだけれど、その一方で、ChatGPTに下訳を作ってもらったりもしている。しかし今のところ、ほとんど役に立っているような気がしない。

 論文のような文章なら、ChatGPTは大活躍してくれるのだが、歌詞とか詩とか、そういうのはまだちょっと難しいな……というのが今の私の結論である。

 なんか、心の機微というか、心情的な文脈というか、そういうのはまだやはり、わかっていないような気がする (自分も正直、あまり自信がないのだが、少なくともAIよりかは理解しているつもりである) 。

 そういう文学的、芸術的な文章の翻訳は、これからも人類がやっていく必要があるのだろう。というか、こればっかりは、いくら機械翻訳の技術が上がっても、無理なのではないだろうか? 「それっぽいもの」なら、いくらでも出力してくれるだろうけれども……。

 たとえが絵なのですが、西原理恵子や山本さほの絵を、いくらAIが再現してみせたところで、その絵はあくまでも、「それっぽいもの」に過ぎないだろう。その領域からは抜け出せないはずだ。その絵は、「死んだ絵」となるだろう。命の躍動が感じられないだろう。

 もし、そういう文章の翻訳ができる (そして、そういう文章を書ける) AIが生まれたのだとしたら、それはもはやAIではなく、「AIを超えた何か」だろう。たぶんそこには、もはや「ゴースト」が宿っているんじゃないだろうか? まるで、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』に出てくる人形使いのように。