よく、スピリチュアル系の本やサイトで「エゴを捨てる」という文言を目にする。
 このエゴとは何かの説明がなされていることはまずない。ただ「エゴを捨てる」とだけある。
 このエゴとは、二つの解釈ができるだろう。一つはエゴイズム、もう一つは自我 (エゴ) だ。
 その、スピリチュアルにおけるエゴが、後者のエゴを指すのなら、それは間違いだと私は考える。個人的な体験から。
 以前、私の自我は、かなり弱っていた。とても希薄になっていた。
 そうなると、一体何が起きるのか? 超自我 (内在化された規範) と、イド (本能的な衝動) に振り回されることになる。なぜなら自我とは、超自我とイドの調整機関だからだ。
 具体的には、イドに従った行為をしたあとで、超自我に従った行為をしてしまう。つまり、ある行為をしたあとで、その結果を打ち消すような行為を繰り返すようになる。イドの欲求と、超自我の命令は、矛盾するからだ。
 イドとは、リビドー (広義の意味での) 的なベクトルを持つ。一方で、超自我とは、タナトス的なそれを持つ。したがって、自我という調停役がいなければ、有と無をただひたすら繰り返すことになる。グルグルと延々と円運動をするようになる。まるで輪廻転生のように。