不意に、「奥澤神社に行け」という声が聞こえた気がした。厳密には、声というか侵入思考だ。
 私は、この侵入思考というのをあまり信用しておらず、基本的に無視している。手首を切れだの、料理に洗剤を入れろだの、冬場の川に飛び込めだの、ロクな内容しかないので。
 ただ、今回は何かフワッとした気分のときにそれが来て、かつ神社に参拝したからといって、特に実害が生じるということもないので、逡巡した末、出かけることにした。
 それに何か近ごろ、憑かれているような感覚があったからだ。気分が陰鬱で、怒りや憎しみに捉えられがちになっていた。肉を食べたからだろうか (カップ麺の) 。部屋全体も、どことなくどんよりとしていた。お祓いをしてもらったほうがいいかもしれないと思った。
 電車にしばらく揺られて、奥澤神社のある自由が丘に到着した。
 相変わらずオシャレな街だなぁと、思った (皮肉の意図はなく) 。
 私は以前、この街に住もうとしたことがあった。一月五万円以下の賃貸マンションを見つけたのだ。「自由が丘」という地名にも、昔から憧れのようなものがあった。当時勤めていた職場からも、さほど遠くはなかった。
 住まなくて正解だったな、とすれ違う人たちを眺めながら思った。私はここでは明らかに異邦人だった。ようするに浮きまくっていた。歩きながら、カミュを読み返したくもなってきた。
 駅からほど近いコンビニで子ども連れのお母さんに通路を譲ったら、その人はすみませんと頭を下げた。身なりのいい女性だった。私の住む町では、舌打ちをされたり胡散臭そうな顔こそされども、感謝をされるようなことなんてまずない。
 奥澤神社にたどり着き、境内に入り、拝殿で参拝した。はらいたまえ、きよめたまえ、かむながらまもりたまえ、さきわえたまえ……。

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猫がいた。

 自由が丘駅まで戻り、ホームで帰りの電車を待っていたとき、何か身体全体が軽くなっていることに気がついた。
 奥澤神社への参拝のおかげだろうか、と思った。私はわりに神社にお参りするほうなのだけど、参拝して身体が軽くなるということは、稀有だった。というか、初めてだった。
 あるいは、自由が丘の街自体が良かったのだろうか? 以前読んだ本に、自由が丘は波動が高いとかなんとか書いてあったことを思い出した。
 「自由が丘に住めば良かったな……」と思い直しながら、また電車にしばらく揺られて、私の住む町まで戻った。
 この文章を書いている今も、身体が軽い。陰鬱な気分も晴れている。自室にいるのに、旅先の東横インにいるかのような気分だ。定期的に、あそこに参拝したほうがいいのかもしれない。