人間関係が軽薄化する昨今。
一人遊びの進化はより人間関係を軽薄される要因となる。友達がいようがいまいが知れたこと。ともすればインターネット上で完結する話。そんなものは不必要と私自身も思いがちである。
そもそも仲間とはなにか?
友達とはなにか?
友達の定義とは?
『ワンピース』のような仲間との友情や結束には確かに憧れる。しかし現実では所詮ご都合主義な関係性が多い。自分は自分が一番可愛い属性であるがゆえ、他者を気遣うほどの余裕は現在の社会的にはあまり存在しない。国に余裕がないのであるから、国民は更に余裕がない。人を気遣っている余裕があるならまず自分から…
これが今の日本人の価値観の現状。
それはしごく正しい選択。
他者は他者、自分は自分。
そして、貧弱な社会ができあがる。
実際問題、客観的に見ると社会に生きている以上、人間関係はそこそこに軽視できない。弱い人間であれば尚更そこは円滑に回す事が処世術。力のない者は頭を、頭のないものは力を使う。何もなければ生きれない世の中。そんな時、人間関係がモノをいったりする。
しかしそれも打算の関係。長くは続かない。
要は利用し、利用される関係の積み重ねが疑心暗鬼を産み、他者を信用できなくする。でもそういう世の中ならそれは仕方のない事。それが日常。
現在の日本は個人的な欲求に満ちた国。
国的な目標が存在しないから団結力もない。個人の利益に走る。国より個人。
ここが戦後直後の日本と違う。
敗北から日本を建て直す団結力。
戦後の日本人には明らかな目標があった。
そして戦争すら知らない今の世代。
目標がない。指標を示さなければならないその親世代ももはや昔の日本の傷とはあまり関係のない所で生きてきた者。伝達しない。
脱け殻からは脱け殻である。
話を元に、団結が団結を呼び仲間と成す。
共に同じ目標に向かい同士となる。
同じ傷みや哀しみ、喜びを共有して友情となる。部活などはそういう意味では大事な役割を担っているだろう。
そういった人間関係の間に割って入るのが、インターネットからなる媒体。
例えば、友達同士で会話を楽しんでいたとする。片方のスマホにラインが届く。リアルで会話していた相手の真ん中に警告なく割って入ってくる見えざる第三者。大抵送られてきた相手は、目の前のリアルより、送られてきたラインの相手を優先し確認、返信する。そしてもう片方もスマホをいじり始める。
まあその時のお互いの状況・話の内容などあれど、これはリアルを軽視している紛れもない事実。現実がインターネットに屈する証拠。こうして人間関係は軽薄化するという一例。
まあ正しいとか正しくないとか、そういった事を言っているのではないが、これが現日本の人間関係の風景。
そこそこに考えさせられる時もある。
無駄にダラダラと書いてしまった上に、内容も支離滅裂になってきたのでこの辺で止めておくが、こんな事を書いた理由が、今更になってエニエス・ロビー編を見直したからという、かなりどうでも良い理由であった事を付け加えておく。
Android携帯からの投稿