武士道-日本人が失いかけている事2- | 私の日記-M. Chujoの備忘録-

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私の足跡、そして毎日長い道のりを歩きながら、
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そんな想いで始めた、あくまでも、私、Mitsuhiroの独り言、備忘録です。


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日本人が失いかけている事が武士道にあるのではないかと思い始めまして、新渡戸稲造の【武士道】について私が思う事を綴っております。



本日はその起源について。


新渡戸稲造はその本で武士道のルーツについて、仏教、神道、孔子、孟子の教えにあるのでないかと考えておられます。



まず仏教が与えた武士道への影響ですが、


「運命に任すという平静なる感覚、不可避に対する静かなる服従、危険災禍に直面してのストイック的なる沈着、生を賤しみ死を親しむ心」であると記しておられます。



「神道は仏教が与えざりしものを、豊かに供給した。」
と神道が与えた影響にも言及されておられます。


神道が教えた、
「主君に対する忠誠、祖先に対する尊敬、ならびに親に対する孝行」は、「他のいかなる宗教によっても教えられなかったほどのものであって、これによって武士の傲慢なる性格に服従性が与えられた」
とその影響を記しておられます。


さらに、神道の教えの愛国心、忠義も日本人に及ぼしたる影響は大きいと認められています。



そして、武士道の道徳的な意味から忘れてはならないのは、孔子の教訓だそうで、本書では「それは武士道の最も豊富なる淵源であった」と述べられています。


君臣、夫婦、父子、長幼、朋友の五倫の道。


孔子の貴族的保守的な教えは武士によく順応したといいます。





最後に孟子の教え。
「力強くすこぶる平民的なる説は、同情心ある性質の者には甚だ魅力的であった。」
とその影響について語られています。



いずれにしても武士道はこれらの教え、知識を、それ自体を目的として求むべきではなく、叡知獲得の手段として求むべきとして位置づけたらしいのです。

「知識はこれを学ぶもののの心に同化せられ、その品性に現れる時においてのみ、真の知識となる」


この事は今の日本経済においても、大変重要で意義深い提起であると思います。


最近資格等の勉強をして履歴書を飾り、仕事の上でも理屈っぽく、泥>臭い行動が伴わない方が多く見受けられたり、コンサルタント旺盛の今の時代、
目的と手段を履き違えない様にしなければとつくづく痛感いたしました。



最後に日本人の特性は、中国やインドが精力、知能の程度を人の差としていたのに対し、日本はその上に性格の独創性もその差として考えられていたからであるそうです。




新渡戸稲造が記した明治時代も、昭和の時代にはこのように考えられていましたが、
平成に入り、最近我々は精力、知能、性格の独創性の面で彼らより有利な立場に果たしてあるのでしょうか?


※「」は「武士道」からの引用です。