母泣かせの父1(当時の僕にはそう見えた)を見て育った僕は、いつしか、


「父のように母を悲しませてはいけない。」


と思うようになっていました。


今、思えば福祉の道を選んだのも、


「母が喜びそうな道」


だったからかもしれません。


何十年と「母を悲しませてはいけない」


というマイルールに従って生きてきた僕が、


ある日、そのマイルールを思い切り破ります笑


それが路上詩人です☆


道端に座り物を売る。


真面目な母から見れば人生の最低辺に見えたかもしれません笑


あれだけ母を悲しませなかった僕が、思い切り、


母を悲しませ、


不安にさせ、


心配させました。


でも今思えば、


それがよかった☆


思い切り母を悲しませ、不安にさせ、心配させても、、


大丈夫!


問題無し!


ということが分かったから。


そこから、僕の人生は変わりました。


「母の喜びそうな人生」から「自分の喜ぶ人生」に。


路上詩人にカンボジアにブレークスルー、その他もろもろ。


自分が歩みたいと感じ、


自分が歩む!


と決めた道です☆


自分の選択で人生を生きるようになって10年。


生きる喜びを感じれるようになったからこそ、


母へ、心からの感謝が湧いてきます☆


相変わらず僕は周りに心配をかけてでも自分の生きたい人生を生きます笑