僕は『日記ではなるべく思っている事を正直に書こう』、『自分が気になって仕方ない事はこの場で言葉にしよう』と考えています。でも今起こっている事、自分の気持ちを言葉にする自信がなく、それにまだ被害が広がり続けているのを考え、日記にするのを控えてました。でも黙っていれば、心の中の何かがどんどん消えてしまう様な気がしたので、やはり日記に書く事にしました。この日記で気分を悪くする方もいるかもしれませんがご理解下さい。












僕は金曜は朝のバイトの後は休みだったので、家に居て昼まで仮眠を取り、食事をしたあとたまっていたビデオを観て、走り込みに行く準備をしていました。




その時に地震が起きました




最初はベランダで洗濯物を取り込んでいる母親に「地震が来たから気をつけて」と言える位の揺れでした




そのうち揺れが強くなりはじめ、リビングは棚の楽譜が崩れ落ちたり、飾ってあった木彫りの像が落ちてきたりしました




金曜が休みの父親は窓を開けて避難路を確保し、遊びに来ていた姉は甥っ子を抱き抱えて物が無いところに身を屈めていました




僕は冷蔵庫と電子レンジを抑えながら転ばないように踏ん張りました




地震がおさまり心配になって母親の様子を観に行ったら2階の太い柱にしがみついていたので無事でした




今まで経験した事のない凄い揺れでしたが家は埼玉なのでそれでも全然たいしたことない部類でした




しばらくは、びっくりしたけどそんなにたいしたことないと思ってmixiのつぶやきで「大丈夫か?」と言ったりしていました




テレビを観たら『大津波警報』が出ていました




テレビを観ていくうちに徐々に事の深刻さがわかってきました




津波で、車や家がおもちゃみたいに流されていく映像や、黒い波が街全体を覆い隠していくような映像




現実感は全く無く、信じられませんでした




僕は一人で地元の教会に一人でいるかもしれない伝道師の先生と、大津波警報が出ていた小笠原に住んでる友人にメールをしました




先生はすぐに連絡がつきましたが小笠原の友人はメールが繋がらないのか返信がありませんでした




僕は共通の友人に連絡が来たら教えてもらう様にメールをし、テレビにかじりつきました




平行して携帯でmixiを見ながら周りの友人達の状況を確認していました




小笠原の友人は、共通の友人と連絡が取れて無事を確認しました。無事の知らせをmixiのつぶやきで確認しました




地震の後、mixiやツィッターで安否確認や情報の交換、励ましの言葉が掲載されていました




mixiでは音楽家の友人達が『音楽家で出来る事はきっとあるはず』と周りに呼びかけたり、行動を起こそうとしていました




海外の友人の中には何も出来ず安全な海外にいる事を責めていたり、今、出来る事をしようと募金を呼びかけたりしている人がいました




関東圏のでは、現状の報告に使っている人もいました




あまり眠れずに朝になり、僕は土曜にブライダルの仕事で新浦安に行きました




新浦安駅は街が液状化現象が起こり道がぐしゃぐしゃになっていました




電柱が倒れたり、マンホールが競り上がったり、地割れが起こってました




千葉はこんな事になってるのかとゾッとしました




正直僕はまだ事態が飲み込めず、言葉になりません。何も手につかず、テレビを見る度に暗い気持ちになり、でも目が離せずにいます。




前を向いて何か出来る事を始めたり、支援の為に動き出したりする人や、自分の事ばかり考えている人、様々な人達の感情が今、表に出て来ています




僕は金曜の昼まであった『現実』が跡形もなく消えて、今の現実の前に立ち尽くして何も動き出せず、クリスチャンのくせに祈りの言葉も思い浮かびません




とにかく今、災害のせいにして自分の目の前にある事から逃げる事だけ駄目だと考え、自分のやるべき事をやっています




イングランドのリバプールが、"YOU'LL NEVER WALK ALONE"とコメントを出し、他の様々な国の人達が、励ましのコメントを出してるのに僕は何とも情けないですが、とにかくこれ以上人が死んでほしくありません。ただそれだけを願うのみです。