「小中学校で留年」を公言する橋下徹の欺瞞2 | みつぐの「蒼穹の果て」

「小中学校で留年」を公言する橋下徹の欺瞞2

「小中学校で留年」と発言したかの人は、関係者との懇親会で
自説を批判されると、部分的な留年(?)もありではないか、という「珍説」まで
持ち出してきた。

曰く「6年生が5年生の教室で算数を教わってもいいではないですか」だってw

じゃあ、中学1年性が算数の時間だけ小学校に赴いて算数の授業を受けるのか?
各人各人に対応するための時間割は?

例えば6年生のAくんがその時間割の「算数の時間だけ5年生の教室で算数の勉強をする」とする。
そのときの「当の5年生の時間割」は?
橋下さんって、全学校全学年が「同じスケジュールで同じ時間割で同じ授業を受けている」とでも
思っているんでしょうか?w

「わからない授業を聞いている時間ほど辛い惨めな時間帯はないですよ。拷問ですよ」というのは
橋下さん本人の弁だが、じゃあ「留年してその辛い惨めな時間をもう一度繰り返す」のは
「拷問」ではないのか???

ちなみに自分だったら、クラスメートとは違うところで1学年下の生徒たちと同じ授業を受けるのって
それこそ「針のむしろ」のような拷問に思えます。


肝心なのは「わからないところがわかるようになること」だけれでも、それにはやはり
個人個人の勉強に対する意欲ってものも関係してきますし。
「全員が全員に理解してもらう」のは理想でしかないことはわかってはいるけれども。

受験目的のための勉強、試験突破のためのテクニック。
そんなことを教わるために学校があるのではないと思うけれども。

「それを必要とする一部の生徒がいることも事実」ではあるから、むげにはできない。

だけど「学校の勉強ができるだけが優秀な人間じゃない」ということを
もっとわかってほしいなぁ。


個人的には、「九九」なんてできなくてもいい。
9×3がわからなくても9+9+9がわかればいいんだもの。
算数(数学)の必要性というのは、高等な数式が解けることではなく
世の中の成り立ちということに関して「理論的」に考えられるようになること。

「何をどうしたらこうなるのか?」ということを考える力を付けるための
道しるべになるもの、それが算数(数学)だと思っています。
もちろんそれには国語力は必須。国語力なくして、真の数学的能力は
養えません。

大げさに言えば、学校教育方針の見直しなくして、日本の未来もないよw
だって橋下さんみたいな「あたまでっかち」ばっかり育っちゃうもの(笑)
これはもちろん尾木さんにも言えますけどね。