追悼の言葉。

去る10月21日にご逝去された、故平田純治議員の、ありしご尊影をしのび、大和市議会議員を代表致しまして謹んで追悼の言葉を申し上げます。

目を閉じて、平田さんを思い起こせば、誰もが思い出すのは、あの笑顔、笑い声、屈託のない、笑い方でしょう。大和市議会議長室に飾られている歴代議長の写真の中でも、あんなに晴れ晴れしく笑っている写真、平田さんだけですよ。あの笑顔は、これからも永遠に輝き続けることでしょう。

「青天の霹靂!」この言葉は、私が初当選し、最初の臨時議会で、平田さんが副議長就任の挨拶でおっしゃった言葉です。議員の定数28議席のうち半分の14議席が私も含めて新人となり、数少ない1期上の先輩議員であった平田さんが、ご自身にとって2期目の最初の臨時議会で、突然副議長に選出されましたね。その後、私の初めての一般質問では、議長と進行役を交代した平田副議長が議長席から見守ってくれたことが、昨日のことのように思い出されます。

それから10年以上、ずっと同じ会派で活動させていただく間には、議会運営の要である議会運営委員会の委員長をはじめ、各委員会の委員長を務められ、更に令和元年には議長にも選出されるなど、本当に多くの役職を務められましたね。そして、忘れもしない令和2年の6月、平田さんが議長を突然辞任されたことは、あなたの言葉をお借りすると、私にとって、まさに「青天の霹靂」でした。その後、平田さんから議長というバトンを私が引き継ぐような形になったことも、今になって思えば何かのご縁だったのかと感じずにはいられません。

また、委員会や会派の視察では、「あれ?平田さんドコ行った?」「あ!あそこ歩いているの、平田さんじゃない?」何度、この言葉を言ったか。良い意味で天然であり、あなたの笑顔は、みんなに好かれていましたよ。人一倍、健康に気を遣い、若手、新人の我々が「バスの時間、何分ですよ、あれ?平田さんは?」と、2キロくらいなら、1人でドンドン歩いて行ってしまう、また、歩くのが速い、平田さん。サウナとお風呂が大好きな、平田さん。今の私の趣味、サウナとお風呂とウォーキングは、平田さんの影響大です。プライベートではいつも、二人でコソコソと、「あそこのサウナは熱いよな」とか「あそこの電気風呂いいんだよ」こんな情報交換の話ばかりしていましたね。

そうした中、前回、9月の定例会直前に、病と闘いながらも、「この一般質問はどうしてもやりたいんだ!」と強く、思いを私に伝えてくれました。平田さんにとって最後となった一般質問、私が平田さんから思いを託されて行わせていただいた質問に対し、大木市長から感謝の言葉を頂いたたように、大和市の交通安全、交通事故の減少や、自転車のマナーアップの向上は、平田さん、あなたの多大なる大和市への貢献です。

また、「南部地区にかかわって」これも、平田さんの一般質問の代名詞でした。これにより、高座渋谷の街並みは素晴らしく生まれ変わりました。平田さん、これもあなたの多大なる貢献です。

信念を貫くあなたの政治姿勢、生き方は、「さすが、薩摩の男」でありました。平田さん、あなたは最後の最後まで、まさに政治家であったと思います。いつまでも、いつまでも、大和市議会を見守っていて下さい。

今は亡き、平田議員のご冥福を心からお祈り申し上げるとともに、ご遺族の皆様の前途と、私たち大和市議会をお守り頂きますよう、強く強く念じまして、追悼の言葉と致します。

令和3年11月25日、大和市議会自由民主党代表、井上貢