お久しぶりです。

みつごりです。

 

今でもこのブログに来てくださるかたっているのかなぁ。

誰かにきいてもらいたくて、これから書きます。

あまり楽しくない話なので、聞きたくないわって思ったら即閉じてね。

 

3月から4月は、ほんっとうに過酷な日々でした。

なぜなら。

母のパーキンソンと認知症が急に進んで、実家介護をしながら(20日間くらいだけど)施設を探して入らせたから、です。

 

母がパーキンソン病と診断されてから7~8年たつでしょうか。

認知症もパーキンソンもゆるく進んでいて、だんだんと家事ができなくなってきてはいましたが、

父が料理や家事をしつつ、ヘルパーさんに入浴をさせてもらいつつ、なんとか自宅で過ごせていた……というのが現状でした。

私も、3か月に一度くらいは数日間実家に帰って、料理を作り置きしたり大掃除めいたことをしていました。

 

ところが3月のとある日、父の誕生日だったので電話をかけると、父が開口一番

「もう家で面倒を見られない。お母さんの意志とか関係なくとにかく施設に入れて欲しい。眠れない日が続いている」

と言ってきたのです。

 

父は、良い意味でも悪い意味でも「しぶとい」人です。

その父が、助けて欲しいというなんてどういうことかと思えば、

なんと母が夜眠らなくなり10回以上もトイレに連れて行ってくれと訴えるようになったとのこと。

認知症も進み、父が「連れて行ってもでないなら、オムツにやってしまえばいい。こっちが眠れなくてつらい」と言っても

「おとうさーん!トイレに連れて行ってくださーい!おねがいーー!わー!」と騒ぐとか。

 

1月に行ったときには、杖をついたり手すりをつかって自分でトイレに行っていたし、

”騒ぐ”なんてなかったのに。

 

親の介護は突然やってくるとは聞いていたけれど、本当に突然やってきました。

「わかった。来週そっちに行けるように段取りつけるから、あと3,4日頑張って」と告げ、すぐにケアマネさんに連絡、仕事も休みをもらうことにしました。

 

そして実家へ。

母は、数メートル歩くのもやっとの状態になっていました。

杖は使い方を忘れてしまい、床にそれをつく、という行為ができません。

そもそも腰がくだけてしまって、立位も保ちにくい。

両手を引いて、一歩、一歩、ゆっくりと3メートルくらい歩いてトイレに連れていきます。

 

昼間はうつらうつら眠り、箸を持てなくなって、パンや果物など指でつかんで食べられるものだけをほんの少量口に入れるだけです。

お正月のときまでは、満腹中枢が壊れたんだなと思うくらい常に何かを口にいれていてふっくらしていたのに、だいぶ痩せました。

 

父には、夜は私が面倒をみるからと言って母のベッドの隣に布団を敷いて付き添うことに。

20時、21時……確かに、母は寝ない。

電気を暗くしても、ベッドの上で目をさましているようで、1時間に一度は

「すみません、トイレに連れて行ってください。ゆりちゃん、悪いわねえ」

と私を近所の人と思って頼んでくる。

夜になると、もう私の顔もわからないのだ。

 

ここで少し脱線するが、

ちなみに私はこの、ゆりちゃん、という5歳くらい年上の女性が好きではない。

実家の3軒くらい向こうの家のお嫁さんである。

超大手の銀行に勤めるゆりちゃんの夫と、義父にあたるおじいさんと3人で暮らす形で、結婚と同時に彼女はこの地区にやってきた。

私は昔からこのおじいさんを知っているが、物静かでいい人だ。

でも、活発なタイプらしいゆりちゃんはおじいさんが嫌いとのことで、日中は私の実家でなぜか母とおしゃべりをして過ごしていた。

そうこうするうちに、赤ちゃんができ、それを口実に(でも家は広い)彼女たちは出て行った。

私は不思議だった。

まあ、同居はいろいろあるにしても、彼女はしょっちゅう夫と義父をおいて自由に海外旅行をしていたし(てか、昼ご飯だっておじいさんの食事を作りに帰るでもなく私の家で食べていた)、働いていなかったし、自分用のいい車に乗っていたし。

 

それから、1年後。突然おじいさんが亡くなった。

すると、本当にすぐ!!家が取り壊されて、新しい家がドドンと建ってゆりちゃんが戻ってきたのである。

…ちゃっかりじゃね?

 

しかもさ、そのあと私、”ゆりちゃん”に車をあおられたことあるんだわ。

家の近くの道で、私は制限速度で走ってたら、後ろからぐいぐいきてね。

私はすぐに”ゆりちゃん”だってわかったけど、向こうは私が家の駐車場に入るまで気づかなかったらしい。

で、数日後、見かけたときに

「この前ごめんね~ノロノロ走ってたから追い立てちゃって(舌ぺろ)」

だって。

ごめんっていうだけマシかもだけど、バカかよ、お前って思いました。

 

っていう女に私が見えるなんて、あんまりだよ、母……

どうせ間違えるなら違う人と間違えて欲しい!!!

 

というわけで、「ごめんね、ゆりちゃん、あなたにこんなことさせて」と言う母に

「いえいえ、いいんですよ~」と女優になりながらトイレへ。

 

すると急に「このあとは夫にやってもらいます。おとうさーん、おとうさーん、お父さんをよんでください!」

と大声を出し始める。

いや、3時だって。(父の耳が遠いのが幸いである)

 

こんな感じのトイレ介助が一晩中、何度も何度も。

しかも一回あたり15分くらいかかる。

で、「でる感じがしたのにでなかった」ってなって「もうベッドに戻る」といい

寝かせて10分後に「トイレに連れて行ってください」って。

やばい。

父が言っていたとおり、助ける側がまったく眠れません。

 

これが10日ほど続きました。

その間に、ケアマネさんから今はいれそうな施設をいくつか紹介してもらい、

私ひとりで見学に行き、現在の健康状態をはっきりさせる必要があるとのことで母を病院に連れていき、

その結果を聞きに行き。

当然夜はまた寝られず。

 

またひとつうちで問題なのが、母の兄弟3人でした。

彼らは昔からとても関係が密です。

そのことが父が母と不仲である原因でもあります。

大事なことを、母は父と相談せずに、兄弟の意見を尊重して決めてしまうのです。

 

もちろん、母の施設入所についても兄弟はとても心配していました。

私としても、彼らを無視して母を施設にいれられないのはわかっていました。

「焦ってきめて、良くないところに行くのはいかがなものか」

「そちらに行って、夜、介護をしてもいいから、落ち着いて施設を決めて欲しい」

かわいい妹なのでしょう。

 

父も「家に、おかあさんの兄弟が出入りしてほしくない」といい

おじやおばは「意地を張るな」という。

でも、80代の人間が面倒みられる状態じゃない。

体力的にも、精神的にも削られます。

なのに、わかってもらえない。

母のことを心配してくれてありがたい。

でも、ひとことでいうなら、おじやおばの「圧が強い」のです。

 

叔父や叔母とも会って話をしました。寝ていないのに。

 

過酷でした。

体重がたった数日で3キロ減りました。

 

つづく