昨日、88番目のお寺、大窪寺に到着。
ラストにふさわしい山だった。
名前は女体山。
なんかやらしい名前。笑
最初は舗装された林道が続いたので、楽勝じゃん♪とか思ってたけど、途中からは両手も使わないと落ちちゃうんじゃないかっていうような急な岩肌を登っていく。
標高770mの山頂からの景色は最高だった。
岩が前に突き出てる部分があったので先っちょに立ってみると、最高の気分。
空中に立っているような感覚で下界を見下ろす。
感動したまま足元を見ると、高さからの恐怖で金の玉がピョコンと可愛く跳ねた気がした。
そっから、標高400くらいまで下りたところに大窪寺があった。
大窪寺から一日歩いて徳島にある1番寺、霊山寺へと今日戻ってきました。
預けて置いた、自転車とパソコンが手元に戻ってくると、四国遍路が終わったことを実感した。
達成感よりも、終わってしまった寂しさのほうが強かった。
荷物が重くて、肩の痛みに耐えながら山をいくつも越え、海岸線沿いを飽きるほど歩き、色んな人に出会い、親切にたすけてもらったり、長い道のりに思えたけど、終わってしまうとあっという間だったな。
明日、朝が来ても歩かなくていいのか、と思うと寂しいね。
自転車で千葉を飛び出し、野宿で和歌山まで走ってきて、フェリーで四国に侵入して、自転車預けて、歩いて徳島、高知、愛媛、香川とこれまた野宿で旅して。
最高だったな~。
歩きながら、なにか思いついたりしたら、手のひらサイズのノートにメモして歩いてたんだけど、
途中で気付いた。
おれ、忘れるのが不安なんだな~、って。
人生の大半のことは忘れちゃうのにね。
ここまで旅して、得たものもあれば捨てたものもある。
さらに、得たと思っているものも、時間というふるいにかけられて忘れてくものもある。
で、残ったものが自分に染み込むんじゃないかな。
だけど、時たま思い出すこともある。
歩きながら、色んなこと考えたり、自分と向き合ったり、したけど、
やっぱり人生てのはわからないことだらけだし、
考えれば考えるほど、
人生が無意味に思えて仕方がない。
自分という存在がちっぽけに思える。
生まれても結局死ぬ。
なんのために生まれて、なんのために死ぬのか。
死んだらどうなるのか。
これだけ時間を費やしても答えは出なかった。
真実を求めすぎたのかもしれない。
根拠を求めすぎたのかもしれない。
ただ、自分なりに、
外の世界(目の前にある現実と呼ばれてるもの)を探しても答えはない気がした。
自分の内側に入って、今よりももっと自分の内側を知れば、なにかあるのではないか、って思った。
それと、直感ってやつ。
これも少し気になる。
自然の綺麗な、静かなとこで少し勉強してみようと思う。
まー、そんな感じっす。
これからどうするか、
とりあえず、お金が底をつきそうなので、日払いの仕事を何日かしてから、仕事見つけて、お金貯めて、
東南アジアへ繰り出そうと企んでます。
しばらくは、山賊のアジトみたいな小屋を拠点に日払い仕事で生きてこうかと。
気が向いたら、たまに更新します。
次回の東南アジア編まで楽しみに待っててくださいね❤
iPhoneからの投稿

