83 ゴルフシュ-ズについて

 T-式ゴルフ法はゴルフ用具について、種々のアイデアを発表してきた。その何れもが現実のゴルフの中から、長い時間をかけて改善のためのアイデアを求めてきたものである。そしてその多くは今までの常識を超えたものである。時にはゴルフル-ルを逸脱したものもあるが、常にゴルフの本質を考えた上での、今までの習慣にとらわれない、自由な発想と、合理性を追求したものであると確信している。
 さてT-式ゴルフ法が考えるゴルフシュ-ズはどんなものであろうか。現実のゴルフシュ-ズは底にスパイクの付いた強固な重いものが使用されている。最近は軽量ゴルフシュ-ズと称してゴム製の凸部のある靴底のものが出てきた。しかし現状のゴルフシュ-ズの本流は、足に靴を固定し、固定した靴の底をスパイクによって地面に止めようとするものである。したがって、ゴルフシュ-ズは厚手の靴下を履いて靴紐などで足を靴底にきつく止めるものであるが、一般的に、固くて重く靴の内部で足の自由度がなく、足の各部を全く動かすことが出来ず、足が地面にくっついている感じがしない。それでは、足の指、裏、甲と云った、人間の本来の手指に次いで微妙な調整作業をする部位が全く自由が利かないことになる。
 一方、足にもう少し自由度をつけるために靴の寸法を大きくすると、足が靴の中で滑って、結果として体の重量や、慣性力を受けることが出来なくなる。このように靴の中で足が滑ると、折角スパイクで靴を地面に固定している意味がなくなってしまう。
 よくゴルフで、左右の足の親指の付け根のところにタコができるぐらい、力を入れてスイングをせよと言われている。プロゴルファ-は皆足の親指の付け根を中心として、体の回転をしているという。 アマチュアゴルファ-の中でこれができる人がどの程度いるかと云えば、ほとんど皆目である。その理由は言うまでもなく、ゴルフシュ-ズが固すぎて、どうにもならないのである。
 足の親指の付け根云々よりも、スイングするとき足の指で地球を掴むような感じで、足をぴったりと地面にくっつけて、スイングしないと体がふらつき、ミスショットになるとゴルフの解説書は述べている。更にスタンスをとったとき、足の前方半分の指で体の重量を受けるような姿勢をとり、そのままの形を崩さないようにスイングすると、体全体の自由度が大きくとれて、いわゆるプロゴルファ-のスイングのかたちが取れるようになると解説している。
 これらは、足の地面へのくっつきが非常に重要で、特にスイング時の体重の移動、力のかけ方の勘所が、足で感じ取られることを述べているのであって、T-式ゴルフ法も全く同感である。
 しかしながら、T-式ゴルフ法が長年ゴルフをやっていても、正直のところ足の親指の付け根にタコが出来ているわけでもなく、体はショットの度毎にふらつき、プロゴルファ-や、先輩の諸先生の教えるようにはなかなか行かない。またT-式ゴルフ法の感じからすると、足に重たいゴルフシュ-ズがくっついている感じで、1ラウンド廻ると、足が何か締め付けられるようで、プレ-後靴を脱いではじめて、自分の足に自由を戻した気がする。
 ゴルフシュ-ズの底の固いのは、ゴルフのように長い距離を歩くためには、底が固くて、地面に沿って曲がらない構造にしてあるためである。例えば布製のゴム底で出来ている一般スポ-ツ靴でゴルフをすると、足が疲れてとても全ホ-ル回れないと言う。ゴルフの長い伝統と習慣で、ゴルフ靴というものは、スパイクのついた固くて重いものであると言うのがその常識である。

 サッカ-とかラグビ-と云った靴でボ-ルを蹴るスポ-ツは別として、野球や、陸上競技で使用するスパイクシュ-ズは、皆柔らかい構造で軽く出来ている。これらは走るという動作が伴うので、軽く柔らかく、自由度が利くように出来ている。一方登山靴はどうであろう。岩山を登ったりするので、これは靴底が常に平面を保つように強固に出来ている。
 ゴルフシュ-ズは、むしろ前者より後者の方に近い部類のものであろう。勿論靴の専門メ-カ-や、熱心なゴルファ-の研究の結果、現在のようなゴルフシュ-ズとなったのであろう。不思議な事にゴルフシュ-ズについては、ル-ルブックには全く規定がない。常識的にロ-カルル-ルの中にゴルフコ-スの内、特にグリ-ン上ではゴルフシュ-ズ以外では入場してはならないと定められている。
 そこでT-式ゴルフ法は、ゴルフのスイングの観点から考えて、どんな靴が理想的であるか、自分で色々実験してみた。するとゴルフシュ-ズ内の足の動き、特に足の指の動き、というものがスイング時の回転の中心、体重の移動に大きく関係していることが解った。シャフトのグリップや、肩や、腕や特にスナップの動きによる微妙な調整を要する動きは、全て足の指に関連しているのである。
 Tショットは言うに及ばず、グリ-ン廻りのアプロ-チ時のニ-アクション(膝の動き)も全て、足の指に関係しているのである。その感じを掴むためには、一度裸足でアプロ-チショットをしてみるとよくわかる。即ち足の指を地面に立てらすようにして地面を掴み、スイングしてみると、足の指の力の入れ具合が判る。一方これを固いきつきつの靴でやると、足の指の動きは掴めず、そうかといって大きいサイズの靴では、足の裏が靴の中で滑って、うまいこと行かない。僅かに、厚手の布の靴下でその布の圧縮幅で動く程度である。
 足の親指を固定すると、膝の動きも自由度が制限されて、体全体の動きがスム-スに行かな い。
  

問題は足の自由度である。ゴルフの場合(A)のように固縛されたものでなく、また(C)のように全く自由のものでなく、(B)の如くピンジョイントであると、膝から上の部分の動きをスム-スにし、それらの動きを拘束しないのである。即ち工学的に接地面におけるモ-メントの力を、足の指に感ずることによって、微妙なスイングの調整が出来るのである。 
 T-式ゴルフ法は、ゴルフにもっと適当な靴はないかと、探している内に、日本で昔から伝統的に使われているもの中に見つかった。それは一般ゴルファ-は、誰しも笑うかも知れないが、いわゆる地下足袋である。
 最近の若者には、地下足袋と言っても、見た事もないというかも知れない。日本ではもう古くさくなって、農作業以外ではほとんど使われてないであろう。ごく一部の鳶職の人が履いている「キャハン」足袋が、その僅かな面影を残している。
 しかし昔は、農作業、土木作業、山仕事などには非常によく使われていた。現在はこの地下足袋は、ゴム長靴にとって変わってしまったようである。
 地下足袋はゴム底の靴で、上部が布製の物で、その特徴は親指と他の指の部分とが分かれているのである。即ち親指と人差し指の間に切り込みがあり、力仕事をするときに、指の自由度が利くようになっているのである。特に足に力をいれて、物を押したり引いたりするときに、靴を通して親指に力が入れられるようになっているのである。
T-式ゴルフ法は、以前に地下足袋にスパイクを接着し、ゴルフのスイングをして見た事がある。足の自由度がよく利き、スイング時の足の部分の力のいれ加減が、感覚的によく捉えられることが経験出来た。
 靴底が現在のゴルフ靴に比較して柔らかいので、長距離を歩くには不適であると指摘されるかも知れないが、上記にあげたような作業で長時間連続的に使用している実績がある。
 問題があるとすれば、地下足袋が印象的に、農作業や、土木作業で使われてきた足袋をベ-スにした靴であるために、ゴルフのような近代的スポ-ツとしてそのスマ-トさを言う点では、薮臭くて、一般ゴルファ-には受け入れられないであろう。
 すでに日本における和風スタイルである着物、足袋、草履、下駄といったものは生活習慣の中から消えて行きつつある。このようなときに、ゴルフに地下足袋では、それが如何に合理的であっても、受け入れられないのは、これまた当然のことである。
 ただ日本人の発明した地下足袋、あるいは下駄のように、足の指に自由度を働かせるということは、将来のゴルフ靴に取り入れるべき、非常に重要なテ-マであるとT-式ゴルフ法は考える。


  84 ミニィチュア-の製作

 T-式ゴルフ法がゴルフボ-ル発射装置を発明して、ゴルフ界に大きな革命を呼び込もうとしていることは、すでにで述べた通りである。パチンコやマ-ジャンといった娯楽が機械化することにより、一層、それが大衆化し、近代化して時代の流行に遅れることから救われたように。ゴルフもまた現状に甘えている限り、何時かは人間のスポ-ツから取り残されて行くことを憂うものである。
 T-式ゴルフ法がいくら萬人のゴルフを説いても、一方ではゴルフが本質的にもつ幾多の欠点、例えば経済的に贅沢である、スイング時に非常に大きな力を発生させ、筋肉に負担をかけるなどが存在する以上、現在のような世界的な流行はいつまでも続くものでない。
 人間の生活感覚の変遷や、生活環境の変化に伴って、世の中の流行というものは変わって行くものである。
 これの最も卑近な例はボ-リングである。昭和40年頃、日本国中でも、婦人層の参加で爆発的に、これが流行した事はすでに承知の通りである。しかしこれが何等の改善もされず、ただボ-リング場の設備規模や、レ-ンの数を増大し、それの高級化するとか、外面を華やかにして行くばかりであったために、急速に一般から遠のいて行き、現在では、その一部がある特定層によって細々と守られている程度である。
 何故にボ-リングが、例えばビンの形状を変えるとか、ボ-ルの大きさを変えるとか、レ-ンの途中で障害を設けるとか、あるいは得点の方法を、スペア-とかストライクといったものでなしに、何か別のゲ-ム方法を考えることをしなかったのか、またそれを一般スポ-ツの領域に近付けることをしなかったのか、そこのところはT-式ゴルフ法にもよく判らない。
 流行と言えば、カラオケである、昔は楽団の生演奏であり、日本では座敷における3味線の演奏であった。 
 それが電子音響技術の進歩に従って、レコ-ド盤からテ-プへ、テ-プからデスクへ、またステレオ化や映像化へと改善を次々に行い、また最近はカラオケボックスへと、この数年のうちに大きく変革を遂げ、日本語の“カラオケ”が世界の言葉となり、世界中何処に言ってもカラオケハウスができるようになった。
 T-式ゴルフ法はこのようにだらだらと書いて、紙面を浪費する積もりはないが、ここでT-式ゴルフ法が言いたいことは、どんな流行も生活にマッチした改革を行わないと、何時かは廃れてしまうということである。
 ゴルフを最も好み、萬人のゴルフとして人類のための最高のスポ-ツとして、これを繁栄させて行こうと念願するT-式ゴルフ法にとっては、この問題は深刻であり、また目下の急務である。
 ゴルフボ-ル発射装置はその一例である。全国の、否世界中のゴルフを愛する仲間に対して、ゴルフを時代とともに改革して行こうとT-式ゴルフ法は常に呼びかけているのである。
 その端緒として、ゴルフボ-ル発射装置のミニィチュア-を製作した。
ゴルフボ-ル発射装置の実用器が世の中に出るまでには、今しばらくの時間がかかるであろう。即ちル-ルブックに適合しない事は勿論、一般にはいまだこれが画期的過ぎて、受け入れられるにはまだまだいくつかかの抵抗があるだろう。しかしそうかと言っていつまでも現状のままであと、ゴルフは程なく廃れてしまうであろう。そ の様な懸念からT-式ゴルフ法は、ゴルフが将 来確実にこの様に変わって行こうとするもので あることを、このミニィチュア-を通して、T-式ゴルフ法の本を読んだりゴルフボ-ル発射装置の実物を見る、機会のない人にも、容易に理解できるようにした。そしてゴルフの将来は永遠であることを、多くの一般ゴルファ-に知って貰うとするものである。


85 飛球線の方向



 ゴルフをやっていて、ショットしたボ-ルが非常に高く上がると“てんぷら”とか、“烏落とし”(インドネシアではガル-ダ航空)とか言うが、ゴルフボ-ルはゴルフコ-スでも、練習場でもショットの度にボ-ルは高く飛んで行ったり、低く飛んで行ったりする。
 そしてショットの度に、今のボ-ルは高すぎた、低すぎたと反省する。しかしショットしてボ-ルが飛んで行った瞬間、その左右方向への飛跡は割合に正確に認識されるが、上下方向の仰角はボ-ルを飛球線の後方から見るので、自分の感覚に頼るぐらいで正確には判らない。ボ-ルがずっと前方に飛んで行った時、その高さを眺めることによって、上下方向の角度を類推する程度である。
 T-式ゴルフ法が述べるまでもなく、ボ-ルは各クラブ共ロフト角をもったクラブフェ-スの面に、直角の方向に飛んで行くことを知っている。クラブのフェ-スの進行方向に関係なく、どんな場合でもクラブのフェ-スに垂直な方向に飛んで行くことは工学的に証明されていることである。
 先の項にも述べたように、ロフト角のついたフェ-スの面を、設計通りのロフト角にして、スイングすればよいのであるが、少しでも遠くに飛ばそうとしたり、高く上げてスピンをかけて、ボ-ルの落下時にボ-ルを止めようとするために、クラブのロフト角をかぶせたり、開いたりして調節する。この僅かな調整がゴルフを難しいものにしていることは、T-式ゴルフ法が度々指摘しているところである。 実際に、一般ゴルファ-はロフト角が具体的にどのような大きさのものであるかは、クラブに刻印してある角度の数字を知っているだけで(例えばドライバ-は8、5度-12度、ピッチングウエッジは45度というように)、そのフェ-スのロフト角が地面に対して、どの方向のものか、具体的に認識してないことが多い。むしろその様な数字を実際に測る計測器(分度器)をもっているわけでないので、ゴルフコ-スで計測の方法がない。 例えばフェアウェイに樹木があったり、横から大きな木の枝が出ていたりして、それにボ-ルが当たらないように、その枝の下の方を狙ったり、上方を越えるようにしたりする。その時一体どのクラブを選べばよいのか検討のつけようがない。
 その様なときには、ボ-ルの位置から、木の枝の位置まで歩測したり、横の方から眺めて、勘と経験で、クラブを選定し何とかボ-ルが枝にかからないようにと、神様にお願いしてショットをするだけである。
 下の図でA,B,Cの何れを選ぶかである。ゴルフ場に大きな分度器のようなものを持ち込むわけにも行かず、木の高さや、距離を測っても、三角関数の計算をゴルフコ-スで暗算できるわけでない。即ち√2 √3といった無理数の割算、掛算は、最近は電卓に頼る習慣になってしまっている。 


 このような場合に、T-式ゴルフ法が考案した、簡単で、誰にでもできる方法を以下に紹介しよう。
 ゴルフバッグには折角色々なロフト角度のついたクラブを揃えているのである。(換言すればゴルフコ-スで角度のついた道具はゴルフクラブ以外にはないのである)
 直角とか45度とか言ったものは、周辺に沢山ある、例えば地面に対して樹木の角度。(木は垂直に立っている)しかし地面に対して例えば仰角35度となれば、ゴルフコ-スでは何の計測具もないのでお手上げである。
 しかし一般ゴルファ-はゴルフクラブという立派な計測具を持参しており、しかも便利なことにロフト角が少しずつ違う数多くの13本の専用のゲ-ジをもっているのである。ただし一般ゴルファ-はそれの使用方法に気が付いてないのである。
 クラブはボ-ルを打つものであって、木の枝の高さの角度を測るものでないと、考えているのでないだろうか。
 これも僅かな知恵の発揮の問題である。それはどのクラブでも同じ要領であるが、クラブフェ-スを上面にし、地面に平行におき、その時シャフトの指す方向が、そのクラブでショットしたときの仰角になるのである。即ち、そのクラブを所定通りのロフト角に保ち、ヘッドを水平方向にスイングしたときの、飛球線の方向である。
 従ってボ-ルの位置で、ゴルフクラブを持ち替え、フェ-スを地面に平行になるようにして、シャフトの方向を決め、そのシャフトの延長線上に樹木の枝があれば、ショットしたボ-ルは木に当たるという具合に判断すればよい。
 この方法は非常に簡単である。今自分の使用しようとする、ゴルフクラブでショットの寸前に、この方法で確認する習慣をつけるとよい。そして何回も何回も、このような方法を続けて行くうちに、それが経験則となって、従来の勘も精度がよくなるのである。


86   能力の限界を思う者のゴルフ

 ゴルフを長いことやっていると、ああ!自分のゴルフも大体この程度のものかと思うことがある。 
 平均スコアが90前後、あるいは100前後というように、ゴルフをやっているとその人のスコアは大体固まってくる。しかし一般ゴルファ-は自分の過去の最高値までは、必ず再現できるものと夢見てやっている。例えば過去に何らかの拍子で70台を達成した記録があると、何時かはまた、それが達成できると信じている。否また、その最高値が自分の実力だと信じている。少し譲って、自分の最近の平均値に対して、悪い結果がでたときは、その日は調子が悪いのだと決定してしまう。
 T-式ゴルフ法では、この様にその人毎に記録の限界があるとは思わない。人生そのものをゴルフと捉えるT-式ゴルフ法では、その人の全能力は生まれてから死ぬまで常に成長していくべきものと考えるからである。
 ゴルフが全人格の表現であると考えると、確かに体力は年齢と共にその能力の限界が決められてくるだろう。しかし品格や性格までが限界付けられるとは考えられない。体格、品格、性格のト-タルとしての能力は、長い期間に着実に蓄積されていくものであって、その蓄積が蓄積を生み、経験が豊富になって全人格的能力が年月と共に伸張していくものである。この能力の伸張は、すなはちゴルフの上達度に関係し、先に述べたように一般ゴルファ-とは違った上達過程をたどると述べている。そのことを簡略化して図示すると下記のようになる。 もしも、ゴルフに於いて自分の能力がここまでだと思ったなら、その人のゴルフはすでに死したと言うべきであろう。自分の能力の限界を容認するということは、上達度をストップする事、あるいは下降することを自分に言い聞かせるようなものである。



 一般ゴルファ-の中には、もう自分のゴルフはここまでだ、もうこれ以上良くはならないと諦めてしまった人を見かける。ゴルフを楽しむ事のみを目的とするアマチュアゴルファ-と違って、苦しい練習と、厳しい試練に耐えて戦う、プロゴルファ-が全身全霊を尽くした後、体力の限界を感じて引退すると言うなら、それは理解できよう。そんなプロの厳しいゴルフを体験した事もない一般ゴルファ-が能力の限界等という資格があるだろうか。
 T-式ゴルフ法は、ゴルフを人生そのものと捉えることから、諦めや、妥協を最も嫌うものである。
 人生あるところにゴルフあり、ゴルフあるところに人生あり、生涯成長する人生にゴルフの限界なし。



87   グリ-ン20ヤ-ドの勝負

 ゴルフで難しいものの1つがアプロ-チである。アプロ-チの成否がゴルフの成績を決める。即ち20ヤ-ドのアプロ-チを1パット圏内に着け得るかどうかが、スコアメイキングのキ-ポイントになることはすでに述べた。
 アプロ-チが何故難しいか、それはTショットや2打のショットの如く、大きいクラブを振って、所定の場所に、所定の方向に飛ばす技術は比較的に早く体得できても、更に精度を要するアプロ-チは、なかなかマスタ-できない。これの根本的原因は何かと色々考えて見たが、その結論は次のようである。アプロ-チショットになると、それまで緊張してきたTショット、2打のショットに比較してクラブが小さくなるので、ショットが易しくなると思う心の隙、安心感、あるいはアプロ-チであるため、自分でも何とかグリ-ンにオンできるであろうという安易な期待感が働く。それと一方では、ピン側に必ず着けなければならないという重圧感によって、本来はそれほど難しくないアプロ-チを、自然の内に難しくしている。
平たく言えば、グリ-ンが近くなったための安心感と、1パットで入れようとする欲望感とが、自然の内に手や身体の動きを、いわゆる固くしている。
 以上に述べたような心理的な要素のある事を前提にして、技術的にどのようにすればよいのか、T-式ゴルフ法の経験を述べよう。
 アプロ-チショットでやらねばならない事の要点。
 1) 方向性:これは大きいクラブに比較して、小さいアプロ-チのクラブのフェ-スの方向性は、更に精度良くなり、20ヤ-ド近辺に於いては、クラブを所定の方向に合わせることは、そんなに難しいことではない。ここで注意すべきことは、クラブのロフト角に合わせず、少しかぶせたり、開いたりする事である。この動作によって最初に合わせてあったフェ-スの方向が狂い始める。それはクラブのフェ-スをかぶせると、シャフトがハンドファ-ストになり、スタンスがクロ-ズ気味にならなくてはならないようになる。またフェ-スが開いてくるとシャフトは後方に動きハンドビハインドになる。シャフトがこの様にロフト角の修正によって、飛球線の方向に対して、前方に来たり後方に来たりして、グリップに違和感が出てくる。この様になると、当初のフェ-スを合わせた方向に飛ばそうとしても、バックスイングに入ると、その自然性が崩れて来る。従ってこの場合は、フェ-スのロフトはクラブの設計通りのロフト角にする事が絶対に必要である。即ち状況に応じて、必要なクラブを選択することが非常に重要である。
 2)ショットの強さの加減: 20ヤ-ドくらいの短い状態では、なるべくボ-ルをオ-バ-させないように、手前から攻めて行こうとするときは、スイングに対する手の力が急に抜けて、ついにはソケットしたり、大きくダブたりする。即ちグリップ、手、肩の力が全く抜けてしまって、軽くちょっと振ろうとする傾向になる。この様な場合はクラブにボ-ルが正確に当たらない。
  力加減の要領は、20ヤ-ドのアプロ-チを20ヤ-ドのパットと考えて、そのクラブをパタ-でショットする積もりで、即ちロングパットの積もりで、ショットすることである。
 3)飛球の状態:ボ-ルを高く上げるか、低く飛ばすか、即ちピッチショットかチップショットか、ボ-ルの飛球状態の選択である。少しでも有利にしようとして、ボ-ルを細かく扱おうとして、ボ-ルのどの部分をヒットしようか等と色々考えて、その方法を選択しようとする。
 プロゴルファ-のようにアマチュアゴルファ-は行かないのである。そんなに細かく調整しようとしても、ボ-ルがグリ-ン上で思ったようにスピンがかかって、丁度よくピン側で止まってくれることはないのである。従って、この場合ボ-ルの一定の場所に、クラブの一定の場所を常に当てるようにすることが絶対に必要である。そうしないでその時その時で、ボ-ルにクラブを当てる位置を加減していると、整定性を欠ぎ、ミスショットの原因になる。 
 以上を総合して結論を述べる。20ヤ-ドアプロ-チの勝負は非常に重要である。20ヤ-ドくらいになるとクラブの設計のロフト角を正確に守り、クラブは地面に対して平行に走らし、どんな場合もパットするときと、同じ感じでショットするべきである。
 パタ-のようなロフトのないクラブでショットし、ボ-ルからカップ迄転がった時の摩擦力に逆らって走る全エネルギ-と、アプロ-チのクラブで前述のように水平にクラブを動かして、クラブのロフト角のみよって、グリ-ンの中間点位置まで空中を飛ばして、残りをグリ-ン上を転がせてカップに近づけた時の、全エネルギ-はほぼ等しい。
 即ちクラブのフェ-スがボ-ルを捉えた時に、ボ-ルを上方へ上げるためにフェ-ス面で、ボ-ルにスピン回転を与えるエネルギ-が、それに相当する距離だけボ-ルを転がすに必要なエネルギ-にほぼ等しいのである。
 要するに、20ヤ-ドくらいになると、ボ-ルをどの経路をとらせようと、それに要するエネルギ-はほとんど変わらないことを念頭において、パタ-と同じ要領でアプロ-チショットをするのがその“こつ”である。
 以上の他に追加すべき事柄がある。それはボ-ルの地上に止まっている条件である。一般にグリ-ンまわりの芝生と地形は、フェアウェイと比べて非常に変化に富んでいる。グリ-ンの花道以外は、地面の傾斜が多く(特に砲台グリ-ン)、またバンカ-の淵であったりする。ボ-ルが特に芝生に沈んでいる場合とか、スタンスが左足上がりになっているとか、ボ-ルのライの条件、スタンスの条件共によくないのが普通である。これらの対策をやらずに、アプロ-チショットするとミスショットになり易い。この場合にとるべき対策の絶対原則は、スタンスを地面に平行にとり、クラブを地面に平行に走らせることである。
 ゴルフのクラブ別のミスショットの確率を調べてみると、アプロ-チショットの方が、ドライバ-ショットより遥かに多いことは案外知られていない。ドライバ-のようなクラブでは、ミスショットは大きく左右に反れたり、チョロをするので、すぐに解るが、20ヤ-ドのアプロ-チのミスは、印象に残ることが少ないので、その確率を過小に考え勝ちである。
 スコアメイキングのこと、ゴルフの細かいテクニックのことを考えると、アマチュアゴルファ-にとっては、短いアプロ-チが、パット以上に重要であり、また面白いのでないだろうか。一般ゴルファ-はそれにもかかわらず、ドライバ-ショットや、パットの方に関心が多く向けられて、20ヤ-ドのアプロ-チの研究が疎かにされていないだろうか。


88   安全のゴルフ

 スポ-ツには安全対策は付きものである。 相撲、野球、サッカ-、ラグビ-、柔道、体操、・・・。
 プロ、と言わず、アマと云わず、およそスポ-ツと呼ばれるものは、安全上の危険性が高い。山登りなどはその生命を失うことすらある。
 体操、サッカ-、ラグビ-、ボクシングと云った、非常に敏捷性をもったスポ-ツに於いは、ちょっとした気のゆるみ、ちょっとした失敗で大怪我をすることになる。骨折などすると再起不能になることがある。
 いろいろな産業の建設現場を見てきたT-式ゴルフ法は、労働産業界で安全作業が近年非常に厳しく管理され、全国的に労働災害の撲滅に取り組んでいるのに対し、スポ-ツ界では、余り設備面の安全対策がなされてないように思う。
 そこまで行かなくても、野球選手などは、例えばピッチャ-などが、過度の練習の結果、肩や、腕を痛めて選手生命を縮めることがよくある。
 さてゴルフはどうであろう。危険性から云えば上位第3~4番目に入るであろう。
 この項では、ゴルフの安全性について考えて見よう。安全性と対の関係にあるのが健康面である。健康のためにゴルフをやるという人が多いが、真夏の炎熱の中や、真冬の冷寒の中のゴルフは体力の疲労が多い。また高齢層に取ってはこれらが体力の大きな負担になる。また不摂生の後で、ゴルフをやり卒倒して倒れたり、心臓麻痺を起こした例などを聞く。しかしながら、これら健康面の問題は個々人の自主的な、健康管理によってマネ-ジメント出来るので、特に記述する必要はない。むしろ、ゴルフをすることによる健康増進に付いての、効果の方を記述すべきかも知れない。
 問題は事故による災害である。過去にT-式ゴルフ法が現場で目撃した例をあげて見よう。
 1)東北地方、茨城県のゴルフ場で8月の真夏のゴルフをしていた時、急に天地が真っ暗になると同時に、雷光がして轟音と共に近くに落雷した。余り突然のことであり、2組前でプレ-していた仲間の、すぐ横の大木に落雷し、そのホ-ルのプレ-ヤ-は全く震え上がり、一人は恐ろしさの余り地上に倒れて起きあがれなかった。
 結局そのコンペはそこで中止になり、2時間くらいして再開となったが、プレ-を続けたのは全体の半数にもならなかった。
 後でそのプレ-ヤ-と話をしたが、顔は青ざめ、精神的に蒙労としており、直接頭上に落雷しなかったことを幸いと慰めても、あの恐ろしさは当時ゴルフをしていた仲間が永久に忘れられない事件であった。
 またこの例の他に、ゴルフプレ-中、落雷によって死亡したという新聞ニュ-スを3件程聞いたことがある。
 その後各ゴルフ場でも避難小屋などを設け、落雷の危険性がある時には、コ-スマネジャ-が放送して、プレ-を中止するような安全対策が講ぜられるようになった。
 落雷の恐ろしさは、今更語るまでもないが、広いゴルフ場の中で金属のクラブを持ってプレ-することは、安全管理上非常に危険なものである。
 したがって夏期に限りらず、またどんなにプレ-に熱中している時でも、雷雲が近づけばできるだけ早く、プレ-を中止して避難すべきである。光が見えて音がするまでの時間を計り、落雷の場所までの距離を知る、
         340米 X T秒 = 距離
などの計算をして、まだ大丈夫などと安心して、プレ-するなどは非常に危険である。雲は時速100キロでも飛ぶことは常にあることであり、まだ遠いと思っていた雷雲が、数分の内に到達することは、すでに経験済みである。先の例でも数分前までは晴天であった。また雷の落ちたのは、そこで聞いた初めての音であった。いわゆる全く予告なしの突然の事故であった。ゴルフプレ-中に雷にあったって死亡したなどは、何の名誉にもならず、当人のみならず周囲の者も誰一人慰められ、同情されるべき不運事とはならない。これほど無念というか、後悔の念にかられるものはないであろう。
 “あの時早く避難しておけばよかった”などいくら云っても取り返しのつかないことである。
 
 2)次の例はショットしたボ-ルが他人に当たるということである。
これも千葉県のゴルフ場でゴルフをしていたときのことである。その日、我々の組に、正規のキャディ以外に、臨時の見習いの一寸美人のキャディさんが付いていた。何ホ-ルか廻っている内に、平坦なストレ-トのT-グラウンドが、少し低めで、つつじのような植木で囲まれているところであった。同じ組の中でも一番上手なプレ-ヤ-がオナ-として、Tショットを打った時である。それがトップ気味に地上すれすれに飛び出し、左前方約15米のところに居た臨時キャディのこめかみ部に直撃してしまった。コ-スではキャディによく教育しているのだが、その日はキャディはなんとなしに左前方に出て、早くボ-ルを見ようとしたのであろう。普通日本のキャディは白いスカ-フの下に保護帽をかぶっていて、球が頭に当たっても大きな事故にならないようにしているが、この時はこめかみ部で、丁度保護帽から外れた位置であった。
 このキャディはその場で倒れ、無線で救急車を呼び病院に送った。幸い生命には別状は無かったが、後で聞いた話ではそのキャディは再びキャディとしてそのゴルフ場に来ることはなかった。その時ボ-ルをショットしたプレ-ヤ-も、その日のコンペの成績は勿論めためたで、それまで非常に熱心にゴルフをやっていたが、その後あまりゴルフをやらなくなった。その時のショックが大きかったのであろう。なんとも仕方のないことである。
 この事故の原因が何であったか、
1)プレ-ヤ-がT-ショット時、周囲の確認を怠った。
2)プレ-ヤ-のミスショット。
3)見習いキャディの教育不足。(危険な場所に立っていた)
4)習熟キャディ及びパ-トナ-の事前の安全チェックに対する援助不
足。(誰かが、見習いキャディに対して事前に注意すべきであっ
た)
以上の4つの原因が考えられるが、何れか1つでも行われていたら、この事故は起こらなかった。
 T-式ゴルフ法は、この事故の原因もさることながら、ゴルファ-としてただ単に、ボ-ルを前方へ前方へと打って行くのでなしに、T-グラウンドに立てば自分の打とうとするボ-ルの方向のみでなく、全体の景色とか周囲の人の配置状況、さらには各種の注意事項の標識などをよく見て、プレ-する心の余裕を持ちたいと思う。余りにもプレ-のみに集中していると“林に入り、木を見ず”ということになってしまう。
 ちなみに、ゴルフル-ルブックの巻頭に、“安全の確認”として“ストロ-クまたは、練習スイングを行う前に、プレ-ヤ-は(1)クラブが当たる身近なところ、または(2)球もしくは石、小枝などが、ストロ-クもしくは練習スイングを行ったために、飛んで行って当たるおそれのある場所に、誰も人がいないことを確かめるべきである”と記述されている。
3)これも千葉県のゴルフ場の例である。
 千葉県のゴルフ場は、大体大きな山脈もなく関東ロ-ム層に覆われた林間コ-スとして有名であるが、房総の南の方に行けば700米1,000米級の山々が一部にあり、いわゆる山間コ-スも、いくつかある。そこのコ-スでプレ-していたときのことである。春の快適な日で暑くもなく寒くもない本当によいゴルフ日よりであった。当時のメンバ-の記録もすべて残っているが、40名程のコンペであった。T-式ゴルフ法の組が、コ-スの内でも一番難しいホ-ルに入ったときである。当人が会心のショットをしたと思ったボ-ルが、大きくフックし、左の崖のOBの方に飛んで行ってしまった。他の3人はフェアウェイにボ-ルを運び、当人も暫定ボ-ルを打ってフェアウェイに進んだ。そのOBボ-ルの崖のところに行って驚いた。崖から数米というのに、急に深い谷へ向かって急斜面になっている。下草と小木があったが密集していて、とても常識ではボ-ルは見つかると思えないようなところである。
 元気のよい当人は自分のOBボ-ルを探しに、勇敢にもその崖を下りはじめた。キャディの静止も聞かず、周囲の者が“あ!”という瞬間、どんどんと下っていった彼は、ボ-ルを探すどころか、脚をすべらして大声と共に下に落ちてしまった。崖の下の落ちた場所で、倒れているらしい。急に大騒ぎとなった。とてもこの崖を真っ直ぐに降りて救助に行けるものでなく、またロ-プのような救助用具もない。キャディの無線でコ-ス本部へ連絡し、救助車に来て貰い、別のホ-ルの作業用道路から大きく廻って行き無事救助された。怪我はたいしたことなくてすぐに全快した。
 当時はゴルフ仲間の間でも、おもしろ半分に彼を冷やかしたものであるが、痛い目にあった当人は、ゴルフの安全に付いて計りしれない教訓を得たと思う。
 キャディや仲間の制止を聞かずに、若さの至りで自信を持ち過ぎ、どんどんと危険な場所に入ってしまったのである。
 この原因を考えて見るに、
1)彼の単独行動である。周囲の注意や制止を全く聞かずにボ-ルを探
  しに行った。
2)コ-スの周辺に、余りにも危険すぎる場所がある、というコ-ス場
  の管理の問題である。
3)OBボ-ルはボ-ルがOB地域にある事を確認しなければならない
  ル-ル上の問題である。
 この例もゴルフをやっている場合、程度の差はあれよくある例である。キャディのボ-ル探しについては、この様に危険の伴う仕事である。何も怪我をしてまで、ゴルフをする必要はないではないか、と言うけれども、ゴルフに懲りすぎるとこのような行き過ぎも出てくる。

 ゴルフの安全について、以上のような例の他にもいろいろのケ-スがあるであろう。この例のように身体を負傷し、再びゴルフが出来ないような事故が起こらないとも限りらない。その確率がいくらであると言うような統計的デ-タは無いが、終わりに記しておきたいことは、ゴルフをする以上、危険は他のスポ-ツ同様に、常に相伴うものと理解することである。他のスポ-ツは大抵の場合専門の指導者が付いて、ある程度専門的立場からの安全指導がなされるが、一般ゴルファ-では、その大部分がプレ-ヤ-の個人の管理にまかされているということである。自分個人にまかされているとは云え、複数のプレ-ヤ-でやるスポ-ツであることを念頭にいれて、少なくとも次のことは守るようにしたい。 
 1)ゴルフは個人判断で個人の責任であること。
 2)ゴルフの鉄則は他人に迷惑をかけないこと。 
 3)熱中の余り我を忘れたゴルフから、余裕のあるゴルフに変われ。


89 大理石の床でやるゴルフ(未来のゴルフを考える)

 パットはグリ-ン上をボ-ルが転がる時の、芝生の摩擦との戦いである。芝生の芽が順逆によって摩擦力が違う。摩擦力が大きいか、小さいかによって、パットする強さを加減する。そのほかにグリ-ンの傾斜とか、ボ-ルを打った瞬間のパタ-の方向とかの問題は沢山ある。しかし本項では、これらの中で最も難しいボ-ルを転がすことについて考えて見よう。
 標題にあるように、大理石の床でボ-ルを転がしてみよう。大理石が略水平で、傾斜や、山谷がないとすれば、ボ-ルはパタ-で加えた力の方向でなく、フェ-スの面に垂直の方向に転がって行く。摩擦力が少ないので転がりの途中で進行方向を変更することなく、最初の方向にどこまでも進んで行く。従ってフェ-スの面の方向が、正しくカップの方向であればカップインする。
 遊技場などのミニゴルフ場では、所によってはコンクリ-トでコ-スが出来ており、パットのみで18ホ-ルをプレ-するようになっている。
 これは普段のグリ-ン上のパットと違い、ボ-ルはよく転がる。またパットコ-スの側壁にボ-ルが当たった時には、入射角と反射角が綺麗に対称となり、なかなか面白い。よく転がるものであるから、ちょっとした方向の狂いでも、カップインはしないし、また途中のフェアウェイが少しでも傾いていると、そちらに外れてしまい、ボ-ルは思わぬ方向に行く。玉突きゲ-ムの感覚の如く、グリ-ンまわりの壁に当たり、反射したボ-ルは何回もカップのすぐそばを通るチャンスがある。コンクリ-ト上だから、摩擦力が小さく、ちょっとした手加減で、ボ-ルはよく転がって、最後のカップインのストロ-クは非常に難しい。
 T-式ゴルフ法の住家の一室には、大理石のタイルが床に張られた部屋があった。退屈している時に、この床でパットの練習をする。コンクリ-ト上と同じく、ボ-ルはよく転がる。僅かにパタ-をボ-ルに当てるだけで、15米の部屋の端から端まで転がってしまう。
 普段芝生のグリ-ン上でパットしているT-式ゴルフ法にとって、大理石の床のパタ-は、その趣が変わって、いうに云われぬパットの楽しみがある。
 ゴルフを一般大衆のスポ-ツとするためには、広大な芝生の中で、悠々とやるのもよいが、経済的理由も含めて、ゴルフをもっと規模の小さくて、ゴルフのおもしろさを失わない、何か他の方法はないかとT-式ゴルフ法は色々研究した。
 小規模のゴルフ場として、いわゆるショ-トホ-ルのパ-3の芝生のコ-スは日本全国の各所にある。特にゴルフの初心者の多くは好んで、このミニコ-スでゴルフプレ-を楽しむ。コ-ス自体は本格コ-スのショ-トホ-ルと同じくウオ-タ-ハザ-ドもあれば、バンカ-もあり、適当に楽しめる。しかしこのショ-トコ-スでは何か物足りない。Tショットでドライバ-を思いきり叩くことが出来ないからかも知れない。それでもショ-トコ-スはコ-スとして、アプロ-チや、グリ-ンまわりのショット、グリ-ン上のプレ-を楽しむことが出来て、それなりに存在価値がある。
 T-式ゴルフ法は、その他に、もっとゴルフの基礎技術が得られ、本式コ-スでやるようなゴルフの楽しみ方ができる、小規模の設備はないものかと常々考えている。
 自然の材料のみを組み合わせて、上述のような大理石ばかりのグリ-ンやフェアウェイのゴルフ場は、ボ-ルを転がすことに専念すれば、非常に面白いスポ-ツになるであろう。 現実の芝生のコ-スをコンクリ-トや大理石のみで作り、(勿論ウオ-タ-ハザ-ドなど現実にあるもので、そのまま採用できるものは全て採用する)その上で転がすことを主体にするようにすれば、(空中にボ-ルを上げて飛ばすのは、落下時に弾けるので無理である)現状以上のゴルフの楽しみが湧いて来ることは確実である。
 大理石で全て作られたゴルフコ-スを想定して見よう。現状の芝生の上でのゴルフが空中を飛ばすことを主体にしているゴルフとすれば、これはボ-ルを転がすことを主体とする、新しいスポ-ツが誕生するであろう。
 例えば下りのフェアウェイではボ-ルはいつまでも、いつまでも長く転がるであろう、その場合は床面に多少の凹凸の線をいれるとかの工夫が出来るだろう。コンクリ-トや石で作るコ-ス設計は、更により多くのアイデアを盛り込むことが出来るであろう。
 その時には現在のル-ルは勿論、クラブの材質、形状、さらにはゴルファ-の靴や服装も大きく変わるだろう。またコ-スの材料はコンクリ-ト、石、材木、粘土のようなもの、色々考えられるであろう。その場合、できるだけ自然の材料を利用したい。グリ-ンが全て大理石で出来ているようなゴルフコ-スが実現すれば、ゴルフそのものも更に大きく夢が開けるであろう。


90 重いグリ-ンと軽いグリ-ンの違い

 グリ-ンに乗せたボ-ルが1パットか2パットか3パットかで、スコアは大きく変わる。しかしどんな場合でも2パット以内で納めたいものである。2パットで納めるためには、第1パットが非常に重要になってくる。普通第1パットは相当の距離のあるロングパットで、これを失敗すると第2パットでカップインする確率が落ちてくる。従ってプロゴルファ-は第1パットに充分な時間を取り、芝生の芽や、グリ-ンのアンジュレ-ションを観察し、プロゴルファ-としての経験を基にして、ボ-ルのパットラインを入念に、且つ正確に読む。このパットラインを読む要領は、アマチュアゴルファ-にはなかなか習得できるものでなく、口頭や文章で説明しきれるものでない。
 プロゴルファ-のト-ナメントのTV解説者は、グリ-ンのパットについて非常に詳しく、例えばボ-ル1個分とか2個分とか、スライスまたはフックする方向を解説する。TVの画面を見ただけで、あのようにあたかも自分がグリ-ン上でプレ-している如くに、正確に芝生や、アンジュレ-ションを読むことができる。当のプロゴルファ-自体が前後左右にグリ-ン上をウロウロして、パットラインを慎重に読んでいるにかかわらず、それが読み切れないのに、解説者は遠隔の地でTVの画面だけから、これを読みとることが出来るのである。
 グリ-ン上のパットラインを決めるにあたって、2つの事情がある。
即ちゴルファ-自体が、それぞれ個性を持ち、その技術に特徴を持っている。 一方グリ-ンも各コ-ス各ホ-ルで、いろいろの状態に設けられている。この様な人間側の個性と、グリ-ン側の個性との組み合わせを考えると、これは非常に複雑なものになる。この複雑ないろいろのケ-スのものを読むということが如何に難しいかは、今更述べるまでもなく、一般ゴルファ-の理解できるところでない。
 ただTVの解説等を聞いていると、不思議に思うことは、そのグリ-ンのパットの方向のみで、距離即ちパットの強さに付いては余り解説しない。例えば“このパットは10米少しあるが、グリ-ンは少し登りになっている”この程度の解説しかしないが、これではグリ-ンが重いのか軽いのかはさっぱいり解らない。否TVの画面では、グリ-ンが重いとか軽いとかは全く解らないのであって、解説のしようがないのである。勿論プロゴルファ-にとってさえ、今自分がパットしようとする、パットラインを見て、どの方向に打つべきかは、大体自信を持って決められるが、そのパットラインを実現するパットの強さについては、ショットする瞬間に至るも自信がないと思われる。
 ましてアマチュアゴルファ-に取っては、パットの強さどころか、方向についても、全く経験と勘である。
 とにかくカップに近づけさえすればよいという観念で、適当に、曖昧にパットするようでは、いつまで経てもパットは上達しない。
 グリ-ンに登ったら、自分の全てを賭け、精神統一してパットに望めと言うのがT-式ゴルフ法の説くゆえんであるが、先にも述べたように、パットについては色々な変化があり、状態が非常に複雑である。これを易々と解読できるのは、パットにおける膨大な経験以外に考えられない。
 一般にグリ-ンが重いとか、軽いとか言われているが、いったい何を基準にして言われているのか非常に曖昧である。一般ゴルファ-が普通にパットしたときの、芝生の重さを基準にして、そのグリ-ンが重いとか軽いとか表現しているのであろうか。プロゴルファ-と違って、アマチュアゴルファ-では自分の通常のパットの強さは一定してない。その日毎に、そのグリ-ン毎にその基準の強さは異なっている。余り確かでないものを基準にして、個々のグリ-ンが重いとか、軽いとか言っても、意味がないように思う。即ち、一般に言うグリ-ンが重いとか軽いとか言う表現は、どこまでも相対的なものであって、ほとんど意味がない。
 キャディやその他の人から、このグリ-ンは重いから少し強めに打てとのアドバイスがあっても、そのプレ-ヤ-がどの程度の強さを標準としているかが解らない以上、このアドバイスは余り意味のないことになる。
 プロゴルファ-もアマチュアゴルファ-もグリ-ンの状態を観察したとき、過去の経験と勘により、パットの強さをどの程度にすべきか、自然のうちに計算する能力を持っている。長い経験の基にパットの距離を基にして、標準的な強さを決めている。その標準的なものにたいして、このグリ-ンが重いのか、軽いのかを観察するのである。
1)グリ-ンの登りと下りの具合。
2)芝生の芽の方向。
3)芝生の乾燥具合。
4)芝生の種類による芝生の摩擦力。
 こんなものを瞬時に観察し、自分の持っている標準的な強さと比較し、その強弱を決めるのである。従ってグリ-ンの強さ加減を決める能力は、グリ-ンの観察眼に他ならない。このグリ-ンを重いとみるか、軽いとみるかはそのプレ-ヤ-の個々人の問題である。
 T-式ゴルフ法は以上の考えのもとに、具体的にグリ-ンを観察するに当たって、個々のプレ-ヤ-に自分でグリ-ンの重さについてランク付けをすることを提案している。
 1)非常に重いグリ-ン
2)重いグリ-ン
 3)通常平均的なグリ-ン
 4)軽いグリ-ン
5)非常に軽いグリ-ン
この様にランクに分けして普段練習しておくと、その日の体調とか、他の条件があって、3)の通常平均的なグリ-ンの基準がずれても1ランク程度であり、大きなミスをする可能性は少なくなって来る。
 曖昧な重い軽いでなく、上記のように5ランクに分けてグリ-ンを観察する習慣ができれば、パットの成績は大きな進歩を遂げるであろう。
 別項でT-式ゴルフ法は、もっと具体的にグリ-ン上の摩擦力に関し、より数値化すべく、その単位を定めている。それはT-式ゴルフ法の考案する“グリ-ンゲ-ジ”でボ-ルが1米転がるような摩擦力を“1グリ-ン”と定めている。これは本項を更に具体的に数値化した方法であって、一般ゴルファ-には非常に参考になると考える。


91   ゴルフの素質

 T-式ゴルフ法はこの標題を書くに当たって迷った。書こうとする内容と標題が一致しないからである。しかし適当な言葉が見つからないのである。“ゴルフの根源”と書こうと思ったが、根源ではなおさら内容と違うことは、T-式ゴルフ法自身にも判っているのである。
 何百何千という数のプレ-ヤ-を直接間接に観察してきたT-式ゴルフ法にとって、ゴルファ-のスイングフォ-ムや、そのゴルフの仕草というものが、全く同じだと思われる2人以上のプレ-ヤ-を、いまだかって見たことがない。相当長いこと練習場に通いレッスンプロに習ったというゴルフ仲間のスイングフォ-ムを見ても、何処となしに、そのレッスンプロのそれとは違う。体の背丈とか体重が同じようなレッスンプロについて習うように、とゴルフの書物は教えるので、多くの初心者は、自分の体型に似たレッスンプロやゴルフの先生を選んで、また性格などもなるべく似た人を選んで、ゴルフの勉強をするのだが、一人一人をよく観察してみると、いわゆる瓜二つというようなのはいまだ見たことがない。
 ゴルフ界で有名な兄弟プロゴルファ-は沢山いる。兄弟ともなればその体格、性格は、よく似ている筈だと思うにかかわらず、写真などでそのスイングフォ-ムを見ると同じでない。また親子のプロゴルファ-を見ても少し違う。双子のプロゴルファ-が居れば、同じかも知れないが、それはまだ見たことがない。
 ゴルファ-は個人毎に何故そのフォ-ムが違うのであろう。これがこの標題のテ-マなのである。
 日本の古い彫刻家や画家が、一族の出身で、世襲的に受け継がれた技術、芸術の作品を後世の人からみると、同じ血筋のものはよくその系統を表している。快慶、運慶の例をとるまでもなく、その作品はよく似ている。
 それにもかかわらずゴルフでは個性的にみんな独立している。他のスポ-ツを見ると、走るスタイル、飛ぶスタイル、鉄棒や、跳馬、平行棒、と言ったものは、細部ではおそらく違うのであろうが、その全体的な外観や、リズム、タイミングなどはよく似ているように思う。日本の有名なマラソン兄弟も、T/Vの解説がないと、兄の方やら弟の方やら区別がつかない時がある。
 ゴルフに何故全く同じものがないのか、こんな疑問を出してどうしようとするのか、それはゴルフというものが、その人その人の長い人間生活の習性が表れるスポ-ツだということを証明するためである。
 ゴルフの場合は、競技のル-ルも、ゴルフのスイング法も、ほとんどのものに自由度の幅があり、その人の人格にまかされているのである。ゴルフル-ルが非常に人間的であり、プレ-の結果は、何ストロ-クでカップインするかだけが問題であり、しかもそのカップインが、ボ-ルが転がって入ろうが、飛んで入ろうがカップインに違いないいのである。
 従って、各ゴルファ-は自分の好きなフォ-ムで、好きなようにスイングして、プレ-しているのである。そしてスコアの結果さえよければ、他人からああせよ、こうせよという筋合いのものでない。
 即ち、ゴルフが体操競技、新体操のように、競技しているサイドに審査員がいて、そのフォ-ムを採点して、その優劣を競うという方式だったらどうであろう。
 Tショットの横の方に審査席があって、その構えやスイングのやる方法、姿勢、美しさを審査し、ボ-ルの飛んで行った方向や距離と併用してを採点の対象とするスポ-ツであったらどうであろう。
 そうなれば、ゴルフがスコアを競うという素朴なスポ-ツから逸脱し、大変複雑なものになり、おそらくゴルフは今日のように、大流行はしなかったであろう。
 ゴルフル-ルという大ぐくりのもとで、変幻自在に、且つ非常に自由度の多いスポ-ツであるがためにゴルフが今日のように、世界中で愛されるようになって来たのである。 標題はそのような事は充分知っての上でゴルフの何かを述べようとするものである。ゴルフの理論や実技ついて、T-式ゴルフ法も各所で詳しく解説しているが、それは一般に誰にでも通ずる原理や法則であって、個々の人に対してこうしてくれと言うような事はT-式ゴルフ法にもできないことである。
 一人一人の全人格がそのフォ-ムをつくり、タイミングを決めているのである。
ゴルフをする人を観察していると、その人の書く文字、筆跡によって、ゴルフの性格を判断できるとよく言われたり、そのゴルファ-が日常生活する、スピ-ド、タイミング、あるいは話す言葉と言葉の間のとり方などが、ゴルファ-の技術レベルや性格を知る上で大きく参考になるという。
 一人一人が体内時計を持っていて、神経の指令、手足の動作の敏捷性を、その体内時計がコントロ-ルしていると思われ、その体内時計が、それぞれの人によって少しずつ、その早さが異なるのである。そしてその体内時計は日常生活の全ての動作を制御し、生まれてから死ぬまで、ほとんど同じタイミングであるという。呼吸数とか、脈拍数ともまた異なるもので、むしろそれらをコントロ-ルしている基のもので、何かの細胞の固有振動数のようなものかも知れない。
 何か体の内にある、その人固有の指令するものがあって、それが全体を動かしているのでないかと、T-式ゴルフ法は想像する。この想像が正しいのか、正しくないのかはT-式ゴルフ法は、その道の専門家でないのでよく解らない。それでもゴルフを究極まで突き詰めて考えていく場合、それが一人一人の全人格の表現である事は解っていても、その根源が何であるかを掴まなければならない。そこにゴルフの難しさと言うか、深遠さがあり、さらに日常の生活動作と直結する事によって、その楽しさ、面白さがあるのである。
 不思議なもので、文字を綺麗に書く人が、ゴルフが上手であると言っても、必ずしもそうでなく、リズム感覚の優れている音楽家がゴルフが上手であるとも言い切れない。ただ文字を書いてみて、同じような整定性を持っている人は、ゴルフのスイングも同じく整定性を持っている。即ち同じ文字を何回書いても、またどんな場所、どんな筆記具で書いても、同じような文字を書く人は、その動作に整定性があり、ゴルフの場合も安定性がよいようである。
 この性格的なものは練習や訓練で、強制的に変えることはほとんど不可能である。ただ同じ動作を繰り返し繰り返し人間の筋肉や、脳に反復訓練をすると、ある程度学習効果というものが体内に育って来るが、その経験を多く積んだからと言って、先ほど述べた、整定性を変えることは出来ないのである。
生まれながらに持った、その本質は変えられないのである。それを“素”の性質、即ち素質と読んでいるのである。
 素質は訓練によって変えることは出来ないし、学習によって影響されないのである。即ち訓練や学習によるその効果は、素質とは別の体内の領域に蓄積されて行くのである。その蓄積のされ方さえ、素質がコントロ-ルしているのだと思う。
 それほどゴルフというものは個性的であり、奥の深いスポ-ツであるのである。


92   ゴルフの手袋

 ゴルフ靴のことを書いて、ゴルフの手袋について記述がなければ、T-式ゴルフ法は片手落ちだと叱かられるかも知れない。偶然かも知れないが、ゴルフ靴のところで足袋の話しをしたが、手袋と並べて書けば、同じ袋という文字である。
 勿論手袋についても、ゴルフル-ルブックは何も規定してない。またゴルフの歴史の中で、グリップに手袋を何時頃から使用しはじめたかは、T-式ゴルフ法も調査研究してない。しかしゴルフが始まった当初は、おそらく手袋は使用してなかったと思う。
 ここでは、手袋の起源の考察よりも、ゴルフ靴の場合と同様に、ゴルフ手袋の効用について考えてみよう。 ゴルフ手袋については、非常に良い手本がある。それは野球である。一般ゴルファ-には非常に理解し易いテ-マである。
 野球の手袋といっても、ボ-ルを取り扱うグロ-ブのことであって、最近のプロ野球選手が使っているバットを握るときの手袋ではない。
 勿論この手袋の方がゴルフクラブを握る手袋と、目的効果が似ていることは明白であるが、それより先に野球のグロ-ブで、
 1)キャッチャ-ミット、2)ファ-ストグロ-ブ、3)内野手のグロ-ブ、 4)外野手のグロ-ブ
と大きく分けて4つの種類のグロ-ブがある。それぞれの用途によって、少しづつそのデザインが違う。しかし全ての選手の中で一番多くの球を扱うキャッチャ-のミットが、他の選手のグロ-ブが5本指であるのに対して、2本指である。
この様にキャッチャ-ミットが自由度が比較的少ないのは何故であろう、投手の非常に速いスピ-ドのボ-ルを受けるために、あのように厚めにつくってあるのだろうか。 厚くしたために、各指に分割することが出来なくなったのであろう、と推測することができる。このことから手袋の指の数は、手の器用さという点からみて非常に重要であるということができる。
 以上のように野球に於いては、グロ-ブはそれぞれの用途に応じて、最も効率的になるように、時代と共に改良が加えられて今日に至っているのである。一方ゴルフの手袋は5本指のものを、効率性でなく、軽量化、密着性を主眼に改良されて来ている。その意味で、現在のゴルフの手袋は5本指に別れ、手袋の材質も現在地球上に存在する物の中で最も適当なものが選ばれている。またその厚さや、柔らかさも、できるだけ薄く柔らかいものを採用している。T-式ゴルフ法としても、現状のもので何等問題はないと思う、そして特にこれ以上改善する必要は、今のところ見当たらない。
 T-式ゴルフ法が指摘したいことは、もしゴルフの手袋を効用の面のみから検討するのであれば、ゴルフで手袋は不要であるということである。ゴルフの場合は左手のみに手袋を着けるが(右利きの場合)下記の理由でつけない方がよい。
 1)手袋を着けると、手とグリップの間に革が介在し、しっかりとグリップができない。もし手とグリップをしっかりと固定しようとすれば、手袋はきつめのものにせねばならず、掌や、指の微妙な動きが拘束される。拘束されないようにするには、サイズ的に大きな手袋になる。それでは手袋内で、手が滑り違和感ができる。
2)過去のように、グリップが革の帯を巻いたものであった時は、確かに手袋があった方が、手に豆や、タコが出来るのを防いだが、現在のように良質のゴム製のグリップになると、手袋をしなくても何等問題はない。
3)片手だけ手袋を着ける理由がない。片手のみ着けると、左右の手のバランスが崩れ、左手主導のスイングの癖がつくようになる。
4)ゴルフは楽しむものである。折角立派な手の革があるのに、何故にそれを拘束するような手袋が必要か。自然のすがすがしい気分を感じるにしても、また、あの会心のショットしたときの、手のフィ-リングも手袋を介在してでなく、自分の手で直に感じ取るのが、自然法のゴルフであると思う。要約すると、手袋は古い時代の遺物である。グリップの材質が改善された以上、もう手袋は不必要である。手を保護するための手袋の役目はなくなった。ただし日本の冬場とかの、防寒のために着ける手袋については別である。手袋を着けることによるデメリットはあっても、メリットは全くないと言うのがT-式ゴルフ法の考えである。一般ゴルファ-にはこんな考えなしに、ただ大勢のゴルファ-が手袋を着けているから、習慣的に着けていると言うのがそれである。


 93 結果オ-ライ

ゴルフの有名な言葉である。今更説明するまでもなく、ミスショットしてボ-ルが思わぬ方向に飛んで行ったが、またはトップして転がっていったが、幸いにも木に当たるとか、土地の傾斜具合などで、結果的にボ-ルがよい位置に達した場合に“結果オ-ライ”という。別に怪我の功名とも言う。
 アマチュアゴルファ-ではアプロ-チショット時に、ボ-ルを上げようとしてショットしたにもかかわらず、ボ-ルがどんどん転がって行き、バンカ-などを通過して、グリ-ンのピン側にオンすることがある。
 ゴルフをしていて結果オ-ライとなると、他のプレ-ヤ-も喜んでくれるし、自分自身も胸を撫で下ろして、にっこりとする。そしてミスショットのことなどすぐに忘れて、得意になる。 結果オ-ライが出て、急にゴルフの調子がよくなって、その後のホ-ルのスコアが急によくなるという場合もある。
 ここで取り上げようとするのは、“結果オ-ライ”がゴルフに於いてどんな意味を持っているのか、またそれが人生のそれとどう関係するのかということである。
 結果オ-ライはゴルフに於いては、如何なる方法でもそれがル-ルブックに違反しない限り、Tショットからカップイン迄のストロ-クの数に関係するだけで、何等問題ない。
 例えばボ-ルが隣のホ-ルに大きく反れようが、バンカ-の中に入ろうが、どんな経路をとろうが、カップインするまでのストロ-クの数がスコアである。例えばボギ-で上がった時、フェアウェイを通ってきたボ-ルも、グリ-ン迄一度もフェアウェイになかったボ-ルもボギ-はボギ-で同等の価値である。
    “手段は選ばず、結果のみである。”
これがゴルフの世界である、そのスイングフォ-ムが美しいとか、フェアウェイキ-プ率が良いとか、ロングパットがはいったとか、途中の経過が素晴らしくても、またそうでなくても、ストロ-クの数さえ同じであれば、同じ価値である。
 川の中や、バンカ-の中に、打ち込んで往生しながら、ボギ-で上がったゴルファ-は、美しいスイングフォ-ムでスイングするゴルファ-のダブルボギ-より1つだけ価値が高いのである。
 結果のみが評価されるのがスポ-ツの世界である。勝ったものが優勝するのである。敗者は勝者になり得ないのである。それだけ厳しいと言えば厳しいのであるが、人生は必ずしもそうでない。勝者が常に強者でなく、また強者が常に勝者でもない。人生にも“結果オ-ライ”がある。
 失敗が運よく成功に切り替わるような例は数多い。しかしゴルフの場合も人生の場合も、結果オ-ライを期待することそのものが問題である。
 結果オ-ライは一種のフッログ、偶然が作用するのであって、意識的に結果オ-ライとなるような行動をすることはできない。
 また、ゴルフの場合は思わず、急にミスが発生するので、結果オ-ライを常に期待するわけには行かない。期待してもそんなに大きな確率であるものでないからである。
 “結果オ-ライ”となったことは幸運ではあるが、それを2度と期待してはならないことは充分に解っている。しかし一般ゴルファ-は常に、甚だしいときは各ショット毎に、結果オ-ライを期待しているのでないかとT-式ゴルフ法は思う。
 1)少々スタンスが違っていても、うまく思った方向にボ-ルは飛んでいってくれるだろうという期待感。
2)少々クラブのフェ-スが被っていて、何時もとは状態が違うが、何とかうまいこと、よい方向にボ-ルはいってくれるだろうという妥協性。
 3)スイングのフォ-ムが崩れたが、打つ時さえしかりしていれば、いつものように真っ直ぐ飛んでいってくれるだろうという過剰自信。
 4)バンカ-では自信はないが、とにかく砂にクラブを打ち込めば、何とかアウトしてピンに近くついてくれるだろうという他力本願。
 5)池超えだが、いつもの自分のクラブの飛距離では届かないが、フルスイングすればその時だけ遠くへ飛んでいってくれるだろうという空望み。
6)林の中に入って、木の間をうまくボ-ルが抜けてくれるだろうという楽天感。
 7)グリ-ン上でロングパットでも運良くカップインしてくれるだろうと言う無計画性。
 8)深いラフに沈んでいるボ-ルでも打ち込みさえすれば脱出するだろうと言う盲信性。
 自分の技術をよそにおいて、結果ばかり期待しても実現してくれないのは、判っていながらやるのがゴルフである。そしてミスショットしても、次のショットでリカバ-出来ると常に思うのがゴルフである。
 ゴルフとは、そんな期待感に引きずられながら、次から次へとボ-ルを前へ前へとショットして行くのが一般の姿である。それでも面白ければよいと言うのであれば、ゴルフもそれなりに楽しむことができる。 
一方人生の場合は、結果オ-ライを期待していてはどうにもならぬ。結果オ-ライにならなかったものが、取り返しのつかないものであれば、人生はそれで終わりである。即ちゴルフにはやり直しがあっても、人生は1回切りである。


     94   200米以上飛ばす方法

 ドライバ-ショットが200米以上飛ぶか飛ばないかが、ゴルフ上達度の1つの境目であることは、一般ゴルファ-のよく知るところである。但し200以上飛ぶ人が、ゴルフが上手で、スコアが少ないかと云えば必ずしもそうではない。200米には遥かに及ばなくても、160米-170米での飛距離で、充分にシングルの人も沢山いる。 従って200米以上飛ばなければ、ゴルファ-でないなどとは決して云えない。200米が上級者と中級者の1つの境目であって、200米以上飛ぶ場合と、飛ばない場合とでは、ゴルフの楽しみ方が、随分違うということである。
 例えば、200米前方に向かって、空中に白線を描いて一筋に勢いよく飛んで行く球をじっと見送る快感や、コ-スがドックレグしている場合、バンカ-の位置、林の配置などで、T-グラウンドから200米以上のところに球を落とすように、コ-スが設計されている場合の戦略や、あるいは、パ-トナ-が全部200米以上飛ばし、自分だけが170米しか飛ばない時の劣等感など、200米を境にして、ゴルフのやり方が大きく異なるのである。
 これらのことはさておいて、本項では200米以上飛ばす、技術上の問題について述べて見よう。
 他のプレ-ヤ-が200米を軽く飛ばすのに連れられて、自分も飛ばなければならないと思い、ただ無闇に力一杯クラブを振り回している姿をよく見かける。またT-式ゴルフ法自身も、かって200米を越えようと長い間苦労したものである。
 40才代-50才代に、とにかく飛距離を伸ばそうと、毎日毎日練習し、スイングフォ-ムもああでもない、こうでもないと、いろいろ工夫してきたが、結局58才になってようやく200米以上を越えるようになった次第である。若い時に出来なかったことが、年齢的にゴルフの盛りを過ぎて仕舞った今頃になって、200米を越えるようになったのは何故か、T-式ゴルフ法には皮肉なことであるが、これが事実なのでこの項目を設けた次第である。
 200米という境は、ゴルフをはじめてある程度の力のある人は(女性は別)、初期のスライスが直るころには、約70%の人が達成される。即ち、ゴルフを始めて数年はスライスがなかなか直らず、幾多のフォ-ムの改造を行い、スイングに慣れて来て、先輩やトレナ-のいうことが理解できるようになると、スライスは治り、フック気味になる。体力のある人であると、この頃に200米は軽く越えるようになる。
 スライスが完全に直らない人は、ほとんどの場合、200米未満で熟達してしまう。 それでは200米はスライスと直接関係があるのかと言うとそうではない。スライスで曲がりの飛距離もいれると200米には充分達しており、球の運動量からすれば90%近い人が200米を直線で越える力を持っていることになる。
 スイングのフォ-ムからいうと、スライス気味のスイングが、体力的に最もスム-スにクラブが振れているのであって、スライス自体はむしろ人間の一番楽な自然流と考えてよい。スライスのスイングはボ-ルをヒットしながら、フォロ-へは非常に楽にクラブがふれる。
 T-式ゴルフ法の経験でも、クラブが軽く早く振れたと感じた時は、大抵大きくスライスしていた。
 これを強制的に治した時は、必ずと云ってよいほど、手や腕のコックが自然の状態から誤った方向に虚勢され、堅苦しいスイングになっている。即ちスライスを治すために、意識的にスタンスをクロ-ズにしたり、スイングをインサイドアウトにしたり、手の甲を反対方向に折ったりして、スイングするので、充分にクラブが振り切れず、その結果飛距離が伸びない。
 スイングを堅苦しくせずに、手のコックなど細かいことにこだわらずに、クラブを思いきり自然の状態で振った時には、必ず200米は越えるものである。少々のスライスを恐れることなく、クラブを充分に振り切る習慣さえつければ200米は大抵の場合越えるものである。
 自然な状態でスイングした時に、スライスせずに真っ直ぐ飛ぶような人は、それだけ素直であると云える。ゴルフの初期の状態で、あれやこれやスイングのフォ-ムをいじった人は、それだけ元に修正するのが困難であり、それで固まって仕舞った人は不運というしかない。今からでも遅くくない、自分のスイングを少しずつ、いわゆる自然体の方向に改造していくことである。
 勿論、自然体にスイングしたら間違いなく200米は飛ぶというものではない。ボ-ルをショットした瞬間の、ボ-ルの初速度が最低37米毎秒ないと、それに達しない。 
即ち、飛距離に相当したボ-ルの初速度を与えなければならない。クラブとボ-ルのスピ-ドの関係は近似的に次の式で表されるという。

V1=√W1/(W1+W2)・(1+√W1/(WI+W2))・V2

  V1=ボ-ルの初速度
  V2=クラブの速度
 W1=ボ-ルの重量
  W2=クラブのヘッド部の重量
この式はW1に比してW2が非常に小さい時は、W1/(W1+W2)が1に近くなりV1はV2の2倍となる。実際の数値は大体1.6倍から、1.7倍くらいである。
 ボ-ルの性能や、クラブの善し悪しがボ-ルの初速度に影響することはほとんどない。ボ-ルの飛距離は、いつにかかって、スイングのクラブのスピ-ドに関係するのである。クラブの重量を増せば、ある程度はボ-ルのスピ-ドは増すが、それほど大きな影響はない。
 ゴルフでボ-ルの飛距離を増す方法をいろいろ議論することも大事なことであるが、以上の説明で、要するに自然体でその人の癖のないスム-スなスイングをやれば、使用する道具にはほとんど関係なく、200米は充分に飛ぶということが理解されると思う。