95 空は青空、グリ-ンは緑、雲白く、つつじの花咲く

 文学的表現はいざ知らず、ゴルフをやっていて、4月-5月の新緑の中、富士の裾野で朝日に映える樹林を眺め、駿河の海をバックにゴルフをプレ-したときの、あのすがすがしい気分はいつまで経っても忘れられない。
 白球が林間と、フェアウェイの緑の中を一本線の軌跡を残して“ぐう-”と力強く伸びて行くのを一度経験すれば、ゴルフを止めよと言われても、そう簡単に止めるわけには行かない。またそれを忘れよと言っても、忘れられるものでない。
 ゴルフ礼賛の言葉はここに書くまでもなく、すべてのゴルファ-が日常経験し、またそれらを語りあって来たものである。
 
T-式ゴルフ法は理屈もさることながら、ゴルフを人生にどう捉えるか、また人生にそれがどんな楽しみを与えてくれるかを追求するものである。順風満帆、わが道を行く。なすこと、することすべて成功し、思い存分に働ける、そんな時が人生にあったら、人間を止めようにも止められるものでない。
 ゴルフに於いても人生に於いても花は咲かせなければならない。それがためには、それを愛し、その楽しさを享受する態度が必要である。
 何故ゴルフをすることが楽しいのか、白球を緑のグリ-ンに向けて一直線に飛ばして行くことに快感を覚えるからか。必ずしもそうでない。ボ-ルとフェアウェイの間に繰り広げられる様々の変化の関係が、人生によく似ているから面白いのである。ゴルフを人生の縮図と表現する人もいるが、正にそのとおりであると思う。そのような考え方から、あえてT-式ゴルフ法のゴルフ観をスゴロクに現せてみると、上図のようになる。


96   ゴルフの悩み

 ゴルフをする人100人中100人が、ゴルフに何かの悩み事を持っているようだ。例えば、ある日は調子がよく、ある日は調子が悪いという具合に、その日その日のスコアを反省してみて、その山谷の激しいのを悩んでいるのが実状でなかろうか。元来、T-式ゴルフ法は、この様に多くの悩める一般ゴルファ-を、その悩みから少しでも解放し、ゴルフの面白さをその人なりに最大に味わって貰いたいと念願するものである。それがためには、実技の面に於いて100%正確を期すというような、理想的な状態を望むことは、ある程度諦める必要があろう。
 T-式ゴルフ法のいうゴルフの楽しみとは、プロゴルファ-なみのスコアを出すことでないことは、すでに各所で述べた通りである。  
 ここではゴルフの悩みをどのようにして解決するかの、一つの提案を記してみたい。 ゴルフは「ああでもない」「こうでもない」と何時も自分のショットに疑問を持って、いろいろと人から教えられたこと、ゴルフの本に書いてあることを実行してみる。そしてある日突然開眼した如く、一つの部分を直すことによって、急にスコアがよくなる。もうこれで充分だ、上達したと安心していると、その直したところを、更に意識することによって、その筋肉が固くなり、調子が崩れてくる。 
 そうするとまた「ああでもない」「こうでもない」と悩み始める。少し良くなってはまた悪くなる。この循環を繰り返し、何年間を周期に、元のところに戻ってくる。
 この様にして年を取り、年齢と共に体力が衰えるに従って、次第にスコアが落ちて行く。
 この様な問題について、T-式ゴルフ法は次のように解決しようとしている。
「ああでもない」、「こうでもない」とすれば今まで述べたような一般ゴルファ-の悩みには救いがないのか。「ああでもない」「こうでもない」とすればいったいどうすればよいのか、「ああなのだ」、「こうなのだ」と言えるものがないのか、本当に「ああでもない」、「こうでもない」とすれば、残されたものはもうないのかと探してみたら、「ああでもない」「こうでもない」の他に「そうでもない」というのが残っていた。「そうでもない」この言葉がある以上「そうである」「そのとおりである」ということがある筈である。
これは次のように考えることができる。「ああでもない」は他人のやることを模範とする、「こうでもない」は自己流を誇張するということである。“そうである”というのは他人の薦めることを自分も理解し納得した場合のことである。 ただ単に、他人から教えられたことや、自分で自己流に考え出したことを、試行してみて、それが一時的に好結果が得られたからと言って、それの理論的な根拠を確かめることもなくやっていると、何時かは、それに行きづま、結局先に述べた終わりなき循環を繰り返すばかりとなる。
 T-式ゴルフ法の解説する内容を、理論的に合理性追求の精神を持って忠実に自分のものとなるように研究し、修得して行けば、何時かは“全くその通り”という自分でも納得の行く方法が発見される筈である。これこそT-式ゴルフ法が一般ゴルファ-の悩みを解決しようとする、その秘訣である。 


97 カップインの考察

 T-式ゴルフ法は5米のパットを1ストロ-クでカップインする方法を発表した。
これを発表して以来、幾多の一般ゴルファ-からカップインしたボ-ルがカップの底に当たり、再びカップアウトすればどうなるのかとの質問を受けた。
 折角5米のパットを苦労して、T-式ゴルフ法流に空中を飛ばして、カップに沈めても、再び飛び出してしまっては、何もならないことになるとの疑問は尤もである。
 これに関連するル-ルブックは第2章、用語の定義の19項20項である。
1)19項「ホ-ル」
 「ホ-ル」の直経は、4.25インチ(108粍)で、深さは、4インチ (100粍)以上の円筒を、土質の許す限り、グリ-ン面より25粍以上沈めると述べられている。
空中の経路を通って来たボ-ルが直接カップインするときは、カップに対して、ある角度をもっており、且つ深さが100粍以上(普通には150粍)あり、T-式ゴルフ法の実験した限りでは、カップアウトする可能性はほとんどなかった。
 ほぼ垂直にカップインした場合、ボ-ルが弾み、グリ-ン面以上に上がることがあるが、その時は再度落ちてカップインする。
 したがって、現状のル-ルブックにもとづくホ-ルである限り、斜め方向から空中を経由してカップインしたボ-ルは、カップアウトする可能性はほとんどない。ということが実験結果から明らかである。
2)20項ホ-ルに入る
 球がホ-ル内に止まり、且つ球全体がホ-ルの縁より下にある時、「その球はホ-ルに入ったという」 と述べられている。
したがって、空中を経過してホ-ルに入ったボ-ルはホ-ルの縁より下になった瞬間にプレ-は終了したことになる。
 萬一、ボ-ルがホ-ルの底板に当たり、方向が反転して飛び出しても、底板にあった瞬間、ボ-ルは一瞬停止したと解釈すべきである。
 そのル-ルブックでは、ホ-ルの中にはめ込む円筒の材質などは一切規定してない。このはめ込み円筒の材質、形状、または円筒の深さ(100粍以上)に規定がないという事は、もしボ-ルがホ-ルの底板にあたり、再び飛び出したとしたら、その時のホ-ルの条件が、コ-スやグリ-ン毎に、変わるということになり、ル-ルの普遍性の原則に反する。以上の2つの理由から、T-式ゴルフ法は、ボ-ルは一度その全体がホ-ルの縁の面より下方になった瞬間に、そのホ-ルのプレ-は終了したものと解釈するのが適当であると考える。ただしル-ルの条文の解釈は、すべて日本ゴルフ協会の最終判定を待たなければならい。


98 ゴルフ会話

 ゴルフの効用の一つの大きな面は、ゴルフ会話である。日本人の10人に1人はゴルフをする時代になり、また同じ年代、同じ環境の中で、日常接する仲間の範囲では、ほとんどの人がゴルフをする。
 いわゆる日常の人間関係の中で、ゴルフが占める割合は非常に多くなった。 職場での、ビシネスでの、・・と言った日本人の日常のちょっとした会話の中では、すぐにゴルフの話しになる。
 ゴルフに関する共通の話題が、1つのグル-プから、他のグル-プへと次々に伝播して行き、それが網の目のように瞬く間に広がってゆく。
 T-式ゴルフ法自身も、たまたま地方に旅行して、思わぬところで思わぬ人から、T-式ゴルフ法の話しを聞いてびっくりすることがある。
 この本を書くことに決める以前は、T-式ゴルフ法も積極的に、日常会話の中でT-式ゴルフ法の話しをすることにしていた。15年余のT-式ゴルフ法の歴史にも、ようやくそれが浸透しつつあるのかと、嬉しくもあり、楽しくもある今日この頃である。
 さてゴルフの日常会話の例をあげてみよう。
A:ところで、最近これの方はどうですかな-、軽くクラブをスイング
  する真似をする)
B:う-んこの頃は調子が悪くて、・・90が切れんようになった。 
A:90ならええですな・・私は何時も100をオ-バ-しますな・・
B:この間、あそこの10番で130米をチップイン・バ-ディをやり
ましてな-、
A:は-、130米のチップ、インですか、すごいですな-、
  あすこは、グリ-ン廻りの風が強いんですよ、よくまあ-、
  入れるものですな-、 本当にすごいじゃ-ないですか。
B:ま-、いつもはパ-のところだが、セカンドを失敗してな-、
  サ-ドを思いきり8番 でやってみたんですわ-、そしたら、
  うまいことぴったり入りました  -、
A:それじゃ-、短いショ-トホ-ルのホ-ルインワンですな-、
B:そりゃ-、ホ-ルインワンは、T-グラウンドからだけど、
  フェアウェイからだと、 ボ-ルのライが違うがな-、それに
  少々左下がりであったし-、
A:そうですな-、あすこの130米は下りですな、本当にすごわ-、
B:最近スコアは良くないが、少しずつゴルフが判ってきたですわ、
A:そな、今度一つ、天気の良い日にご一緒させてくださいや-、
B:そうですな、来週の日曜ぐらいは、どうかな-、
A:・・・・・・・
B:・・・・・・・
 こんなとりとめもない話しが、子供の遊山に行ったときの話しのように、楽しく延々と続づいたあと、数分間の仕事の話しを片づけて終わりである。
 小学校1年生の子供の作文に、“朝7時に起きました、それから歯を磨いて顔を洗いました。顔を洗ってから、朝ご飯を食べました、少し遅くくなったので、急いで時間割をして、友達と一緒に学校に行きました。学校で勉強しました。みんなが騒いだので先生に叱られました。学校から帰って友達の家に遊びに行きました。野球をしました。家に帰って風呂に入り、ご飯を食べて、宿題をして9時頃に、電気を消して寝ました。
 この様なのがありました。ゴルフの会話も、本質的にはこんな調子のものがほとんどである。あるいはこんな会話が、子供心に帰ってゴルフを更に楽しくするのかも知れない。T-式ゴルフ法もゴルフの会話は本当に面白いと思う。
 この素朴な会話が続いて、次第に他所に伝幡して行き、いつの間にか、先ほどのBさんが、チップインでなしに、ホ-ルインワンをやったという事になり、それから、バ-ディが連続して、ついにスコア70を切ったということになる。即ち、会話とは、次第に尾鰭がつき、面白くなるように改編されて行くのである。
 ゴルフとは全人格の表現であると説くT-式ゴルフ法は、芝生上のプレ-のみならず、この会話の中にも、その全人格が表れていることが多いと思う。
 ゴルフの話しをしている中でも、ただ単にプレ-中の出来事のみについて話しても、即ち何番ホ-ルをスコアいくらで上がったということや、上の例のように、全く偶然を、さも自分の実力の如く改編しても、人格のゴルフという面からは余り効果的でない。
 それよりかは、ゴルフをやるに当たって、その日の戦略とか、スポ-ツマンとしての意気高揚の方法とか、リスクにたいする挑戦とか、折角ゴルフの話しをするのなら、もっとゴルフの積極的な面を捉えて話をして貰いたいと思う。
 ゴルフは人生に直結しており、旺盛な志気を、ゴルフにも、人生にも奮い立たせるような、話しであれば、更に有り難いものであると思う。
 ゴルフ仲間の如く気心の知れた友達、それにゴルフをするという共通性を持ったプレ-ヤ-同志の会話は、いろいろの場面でゴルフの愛好者としての、心底が表現されるに違いないい。
 人間は人間同志が自分の言葉でものを考え、切磋琢磨して行くところに、会話の意義があるのであって、決して相手が自分よりゴルフが上手であるとか、人生の先輩であると言うだけで、よけいな遠慮や、縮こまりであってはならない。
 人と対話することによって、その人の人格が磨かれるのであって、決して孤立した人生からは、何も生まれてこない。ゴルフ仲間という絶好の機会を得たときこそ、ゴルフの話しは勿論、人生全般について話しが出来るのである。ゴルフの会話はどんなに素晴らしいことか。その様にT-式ゴルフ法はつくづくと思う。


99   ゴルフにおける癖

 T-式ゴルフ法のゴルフ仲間では、100人100様に、それぞれが独特の癖を持っている、一時期、T-式ゴルフ法はこれに非常に興味を覚え、ゴルフコ-スに出る度に、一人一人の癖を注意深く観察し、メモに止めたことがある。
一般に、癖とはその標準的な動作から必要以上にかけ離れた動作をし、それが結果的に悪影響を及ぼす時、それを癖と呼ぶようである。一見奇妙な動作ではあるが、それが結果的に悪影響を与えない場合は、“仕草”と呼んで特に問題にならないことが多い。むしろ仕草は“愛嬌”として重宝がられるかも知れない。
ゴルフの癖を、単にその人の癖として片付けてしまうわけには行かない根拠は、先に述べたように、その人の動作を決めるプログラムが、すでにその様な癖をする動作に組み込まれて仕舞っていることにあって、その根源は非常に深いものがある。
 また、その癖が長年続けられた経験則によって、ある程度その人の持つ、独特の理論に裏付けられている場合が多い。 その一例として次のようなことがある。
 あるアマチュアゴルファ-が、バックスイングするとき、バックのトップのあたりで、クラブをいわゆる“8”の字に回す癖があった。
 クラブがドライバ-であれ、アイアンであれ、どのクラブでもすべて、なかなか器用に“8”の字を描くように回すのを見ていると、むしろ癖と言うより一つの仕草として感心したことがある。どのゴルフの解説書を読んでも、またレッスンプロに聞いても、このように“8”の字を描くことは、理論的に正しくないと云われているので、T-式ゴルフ法がこの点を詳しく説明しても、当の本人は一向に耳をかす積もりはない。ただバックスイングに於いて、トップでスム-スにクラブを後進から前進へ切り替えるために、“8”の字を描くのだと信じて疑わないようである。
 これは、バックのトップの位置で、バックスイングが停止すると同時に、フォワ-ドのスタ-トのスイングに移るべきであるが、スタ-トのポイントを不安定にしないためには、同一平面でなければならないということを本人が見落としているのである。“8”の字を描くその人は、その方が理論的に正しいと信じ込んで、繰り返し繰り返し練習した結果、トップの周辺で微妙な調整機能を発揮して、どうにかボ-ルをヒットするようにしたものである。 このように他の人からみて不可解な動作であっても、癖というものは繰り返し反復するために、その誤りをどこかで修正する機能を、体得しているのが普通である。
 参考のために、もう少しゴルフの癖の例を、順不同であるが列挙してみよう。
 1 構えてからバックに移って30糎位の所でクラブが引っかかる
   ように一時止める人。  
 2 バックのトップで、クラブを一時止める人。
 3 構えるとき、極端にハンドアップにしてシャフトと腕を一直線
   にする人。
 4 バックスイングの中途までは、左腕を真直に延ばしているが、
   急にそれを折る人。
 5 バックスイングの中途で、何の理由も考えられないのに、右足
   の腫を持ち上げる人。
 6 バックスイングで、脚、腰を右方向に捻るのでなく、完全に右
   の方に体ごと向を転換してしまう人。
 7 バックスイングの中途で急に左の膝を折り、倒れるようになる人
 8 ダウンスイングで、何の理由もなく左右の膝を折ったままで、
   スイングする人。
 9 ダウンスイングするとき、急に右の膝を折る人。
10 ダウンスイングするとき、腰の部分からタ-ンするのでなく、
   急にスエ-する人。
11 ダウンスイングで、一般ゴルファ-の人ではとても考えられない
   ような動作で、左足を持ち上げる人。
12  構えるとき、極端にグリップの位置をボ-ルの前方に持って行
   く人。
13 フォロ-スロ-で、いわゆる明治の大砲の如く、後方に体が移動
   する人。
14  ダウンスイングの過程で、2段モ-ションになる人。
15  フォロ-スイングで、左足で反力を受けずに、スイングの度毎に
   左足をタ-ンしてしまう人。
16  バックスイングで、クラブをスイングするのでなく、手でクラブ
   を吊り上げるようにして持っていく人。
17 バックスイングで、クラブをスイングするのでなく、手でクラブ
   を差し上げるようにして持っていく人。
18 構えたとき、理由なく頭を右の方に傾けるように折る人。
19 構えるとき、素振りを必ず2回以上する人。
20 構えるとき、必要以上に何回も何回もワッグルをする人。
21 構えるときワッグルの後、ボ-ルの直後にクラブを止めて
   じっと、長い時間静止して緊張する人。
22 構えるとき極端にオ-プンまたはクロ-ズドスタンスにする人。
23 構えるとき、ボ-ルの後方に、極端にずらせて立つ人。
24 構えるとき、極端に前かがみで構える人。
25 構えるとき、極端にフックグリップまたはスライスグリップにす
   る人。
26 テ-アップするとき、極端にテ-マ-クの近くの位置にテ-アッ
   プする人。
27 Tアップするとき、ボ-ルを非常に高い位置にTアップする人、
   または非常に低い位置にTアップする人。
28  バックスイングするとき、非常に早いスピ-ドでバックし、トッ
   プまで至らぬうちに、急に反転してボ-ルを弾くようにショット
   する人。
29 バックスイングするとき両足をいわゆるベタ足にして全面を地面
   につけている人。
30 グリップするとき、シャフト一杯に握る人。
31 バックスイングするとき左側に体重を移して右脚で突っ張る人。
32 インパクトからフォロ-にかけて、左の肘を折って左後方に逃が
   す人。
33 インパクトで、ボ-ルにクラブを打ちつけるようにして、全くフ
   ォロ-をとらない人。
34 バックスイングのトップで、右肘を後方に張り出し、下方に向け
   ない人。
35 バックスイングのトップが、2段になり、一度上がったトップの
   位置から更に振り上げる人。
36 バックスイングのはじめからトップにかけて、背筋を延ばし起き
   あがるようになる人。
37 ダウンスイングの開始から、体全体が前のめりになり、クラブを
   振りおろす人。
38 ダウンスイングから、インパクトの間で、一本足打法になる人。
39 構えたとき、クラブのロフトを極端にかぶせてしまう人
40 構えたとき、腰と尻を極端に後方にずらせる人。
アマチュアゴルファ-のすることであり、この様に1つ1つの癖をとり上げて行っても際限がない。ここでT-式ゴルフ法が問題にしたいことは、先に述べたように、これらの癖が理論的に正しいと、それぞれのゴルファ-が思いこんでいることである。ごく初心者であって、具体的にどのように構えるのか、どのようにバックスイングをするのか、どのようにフォワ-ドスイングするのか、全く知らず自然の成り行きに任せてやっている人は、同じ癖であっても傷は浅い。このような初心者は、充分に理論を勉強することにより、簡単に直すことが出来るからである。
 T-式ゴルフ法は、この様な数多いアマチュアゴルファ-の癖を、各項で一つ一つ解説し、どこに理論的誤りがあり、どのように修正すべきかを詳しくのべるいとまがない。それに先だって、T-式ゴルフ法の解説する理論を理解するならば、これまで信じ込んでいた、癖の誤りに気付き、ゴルフの新しい道が開かれると思う。
 ゴルフにおける理論は、個々の技術にとっては非常に複雑で、なかなか難しいものであるが、基本的な原理としては、単純明快なものであることが、T-式ゴルフ法の解説で、理解していただけるものと思う。
 ただ、ここで特に問題として取り上げなければならない、非常に重要な事柄がある。即ちそれはT-式ゴルフ法をもってしても、容易に解決することのできないゴルフの癖である。どのようにしても、直す事のできないゴルフの癖があって、こればかりはどうにも仕方ないのである。
 それはゴルフにおける精神的な癖である。例えば3米くらいのパットに直面したとき、「あ-これは1パットではとても入らない、2パットだ」と精神的にパットする前から決めてしまう癖のある人、あるいはT-グラウンドに立って、すぐ前方に池があると、池を見た瞬間精神的に池を非常に恐がる癖のある人。精神的癖と呼ばれるものは、この他に数え切れない程あるが、精神的な要素が支配する部分が、多ければ多いほどその修正は容易でない。
 T-式ゴルフ法を説き、大勢のアマチュアゴルファ-の悩みを解決しようと、念願するものにとって、この精神的な癖は如何とも致し方ない問題である。


100 ゴルフの善悪よりスポ-ツマンシップ

 日本のゴルフは萬人の為に開かれている。日本人がこんなにゴルフが好きなのは、何故であるかと考えてみると、外国で始まったスポ-ツであるが、日本の高度経済成長のかげで、日本人の高級化指向として、スポ-ツの中でも最も費用のかかる、いわゆる贅沢な遊びとして、ゴルフが日本人の中に浸透したのであろう。本来なら体力的にそんなに強壮でない日本人が、また少々運動神経が鈍くても、誰でも出来るというスポ-ツとして、そのとっつき易さと、核家族化して、日常の狭い生活環境の中からの解放感と、みんながやるという群衆心理等が働いた結果であろう。
 T-式ゴルフ法は、日本のゴルフ場の、北は北海道から南は九州までプレ-した経験がある。そして外国でも、色々な国で仕事の合間を見て、ゴルフをしたことがある。ゴルフは単に芝生上のプレ-だけでなく、ゴルフ場全体を楽しむものであると考えるT-式ゴルフ法にとっては、ゴルフ場毎に種々のアイデアが生かされていて、ゴルフ場のクラブメンバ-は勿論、ビジタ-も自由に受け入れてくれることは、非常に有り難いことである。  
 またゴルフ場によっては、最高級のホテル並のゲストハウスを構えるものもあれば、簡潔質素で、受け付けとロッカ-程度の最小必要限度の設備のものもある。
 T-式ゴルフ法が訪問したことのある、最高級のゴルフ場に至っては、ゴルフ場の入場門はクラブハウスより遥か手前にあり、そこにはガ-ドマンが居り、それぞれの入場者を歓迎方々、コ-スへの道を案内してくれる。その入場道路の側帯部分には、植物園の如く四季それぞれの植木と花園で飾られ、コ-ス造成の跡は石垣や、庭園が設けられ、途中の見晴らしのよい場所には、駐車場と東屋風の休憩所が作られている。
 その見晴らし台に立ち寄って、外を眺めると、遠景の山々が遥か彼方まで続き、その先には、朝日に映えた錦雲が、何本かの強い日光線で輝いていた。近景は、眼下に見おろす芝生のコ-スが朝露に濡れて、樹々と池の間を帯状に広がり、その向こうに白いクラブハウスが眺められた。緑一面のコ-スの中に映える、バンカ-の白砂が浮かぶように輝いていたのが印象的であった。しばしの眼の保養の後、進入道を車で登っていくと、樹木の間から姿をあらわして来たのは、17~18世紀の西洋建築方式に、日本の伝統的入母屋を組み入れたような、美しいゲストハウスである。
 車がゲストハウスの正面玄関に着くと、山頂の朝の涼気を一杯に呼吸するのも束の間、整列して迎えるキャディさん達の制服も、日本人かと見間違う程のミリタリ-ルックの美人揃いである。T-式ゴルフ法はスポ-ツスタイルのままで、その恰好が何処となく不釣り合いを感じる雰囲気の中、高級ホテルでチェックインする如く、分厚い極上質の帳面のビジタ-の方にチェックインのサインをした。それから入場の手続きをして、ロッカ-を借りて奥へ進んで行くと、事前の申し込みに従い、すでにロッカ-にはT-式ゴルフ法の名札がつけられて、メンバ-並の扱いを受けた感がした。ロッカ-は普通のゴルフ場のような鋼製のものでなく、最高級の木材を使った白木作りの大きなものであり、ロッカ-ル-ムの中央には、大きな机がおかれ、その周囲に何個かソファ-があり、大きな、綺麗いな器に花が活けられていた。ロッカ-には引き出し式の腰掛けがあり、洋服ハンガ-、タオル、洗面具、靴べら、鏡、スリッパ-が備えられ、そこでゴルフ靴に履き替えれば、そのままレストル-ムや食堂に通ずるようになっていた。
 前後したが、到着したフロントロビ-の広々とした空間は、絨毯が敷き詰められ、中央には大きなシンボルの大理石の像が立てられ、周囲の壁には有名画が飾られ、うまい具合に調和していた。玄関扉はゲストが荷物を持つことを配慮して、勿論自動ドア-になっている。 天井の高くには、古式を思わす銅製の飾り灯が下げられ、その背後にはメンバ-表とハンディキャップの札が、木目も鮮やかに掲示されている。クラブ例会の年次別チャンピオンや、ホ-ル-イン・ワン記念の表札も金色の文字で書かれている。
 売店は一般のゴルフ場のように、ロビ-の中に設けられるのでなく、コ-スへ抜ける通路の一角に、町のスポ-ツ店の造りで一室が設けられ、入り口はただ表札が何々スポ-ツと出ていて、中の様子は余り目立たないようになっている。また土産物などを販売するようなところは見当たらない。これは食堂などで、メニュ-やカタログで注文すれば、帰りに出口で包装して渡してくれる仕組みになっていると言う。
 ゲストハウス全体は綺麗に手入れがされており、従業員もよく訓練されている。全く立派の一言に尽きる、と言うより初めてのT-式ゴルフ法には、あきれ、と戸惑いを感じた。フロントの受け付けは、全てコンピュタ-で処理され、ゴルフコ-ス内での支払いは、全て伝票のサインで済ますシステムである。食堂に入ると勿論広々として、広間と個室で出来ている。広間のテ-ブルには白色のテ-ブルクロスとともに、四角いテ-ブル、まるいコ-ナ-テ-ブル等がある。個室は大小いくつかあるようだが、外国のレストランのVIPル-ムのようなものであろう。高級ウイスキ-の並べられたコ-ナ-が設けられている。食堂広間の一角に、一段高いステ-ジがありグラウンドピアノと、大きなハ-ブが設けられ、昼間は時間帯になれば、生演奏が聞かれるようになっている。T-式ゴルフ法は、このゴルフ場に行ったのはのはただ一度であるが、余りの贅を尽くしたゲストル-ムの配置に、驚きもすれば、またこれがゴルフ場かと、高級レストランかと、高級ホテルかと、錯覚をするくらいであったと記憶している。ゴルフ場にはそれぞれの経営方針、運営方針があり、またそれらを実現する、建築建設設計がある。
 T-式ゴルフ法が、この様な立派なゴルフ場の存在する事を、このT-式ゴルフ法の中で記述する目的は、その豪華さでなく、贅沢さでもない。そしてこの様な設備がゴルフに取って必要か、不必要かを論議する積もりもない。
 一般ゴルファ-は、そのゴルフ場にビジタ-として入場する機会を得たならば、そのゴルフ場の立派なビジタ-として、否T-式ゴルフ法の言う立派なゴルフ人として、行動するとともに、そこに配置された様々なゴルフ場のコンセプトを、充分に余裕を持って観察する事である。そうする事によって、より高度なゴルフに対する認識を深めると共に、ゴルフを楽しむことが出来るのである。
 ここでは主にゴルフ場のゲストハウスのことに付いて記述したが、ほぼ同様のことがゴルフコ-ス、(プレ-するところ)についても言えると思う。
 ゴルフをする限り、ゴルフそのものや、ゴルフ場の設備、ゴルフの道具、の善悪のようなものを論議する事は余り意味のないことである。それよりゴルフのプレ-ヤ-として、スポ-ツマン精神の高揚とか、人生の行動論にゴルフを結び付けて考えたいものである。


101  長生きをしてゴルフを楽しもう

 ゴルフは何才ぐらいまで出来るのであろう。ゴルフでエ-ジシュ-タ-というのがある。自分の年齢の数以下のスコアで18ホ-ルをプレ-したとき、そのゴルファ-をエ-ジシュ-タ-という。たとえば75才の人がパ-72のコ-スを75でプレ-したような場合である。年齢75才で3オ-バ-パ-で回ることは並大抵の仕業でない。それではシングル・ゴルファ-としてハンディキャップ9とすると72+9=81となる。81才以上でのシングル・ゴルファ-というのもまた厳しい。一般ゴルファ-ではどうしても年齢とともに体力が衰え、なかなかエ-ジシュ-タ-というわけには行かない。プロゴルファ-のように、若い時代に充分体力を鍛え、歳を取っても通常の練習を欠かさず、長期にわたって体力、技術、精神力を維持するように努めた者でないと、エ-ジシュ-タ-にはなり得ない。
 若いときにドライバ-を300米飛ばしたとか、20才代ですでにシングルプレ-ヤ-であったとか、30才代では数々のト-ナメントで優勝したとか、そのゴルフ歴に輝かしいものがあったとしても、アマチュアゴルファ-に取って最高の勲章は、エ-ジシュ-タ-であるとT-式ゴルフ法は思う。
 これは長い人生をゴルフともに楽しみ、そして絶え間なき精進と努力の結果によってはじめて達成できるものであって、一時的な好調の波に乗って、成績をあげたのと比較して、はるかに偉大なことである。
 ゴルフは人生と共にあり、体力の続く限り、長生きをしてゴルフを楽しむべきである。否、長生きをするためにゴルフを続けると云った方が適当であろう。
 事実T-式ゴルフ法の周辺を眺めて見て、ゴルフをやる人の方が、やらない人より、ずっと健康で長生きをしている。
 プロゴルファ-のように体を駆使して、若いときに瞬発的に開花するのでなく、ゴルフ上達曲線のところでも述べたように、アマチュアゴルファ-の目指すところは、年令、経験とともに少しずつ上手になって行くことであり、それが何年かかろうと、1年1年毎にうまくなって行くのが、もっとも理想的である。
T-式ゴルフ法がこれまでに述べて来たものの、最大のポイントはすべてこのことに尽きる。経験の蓄積によって、僅かでもよいが、その過去より現在が、現在より未来が、少しでも進歩していることである。去年より今年、今年より来年がゴルフの成績が良くなるような状態がベストである。
 それではどのようにすればよいのか、具体的に述べて見よう、
 1)そのものの善し悪しは別にして、小さなことでも、1つの経験の
   みならず、数多くの経験を蓄積していく。
2)一度に急速に上達するというのは、もしその基礎が出来ていなけ
   れば、必ずその限界がくる。限界がくれば、次第に落ちていくこ
   とは明らかである。
3)ゴルフの各部のやり方を、全部一度に直すのでなく、まず荒削り
   しながら、その基本を固める。そして長い時間をかけて、ゆっく
   りと順番に仕上げて行く。木像の彫刻のようなものである。
   いずれにしても、ゴルフを生涯のスポ-ツとして認識し、長生き
   するためのゴルフを心掛け、またゴルフを長生きするための薬と
   考える。即効を期待するのでなく、いわゆる漢方薬のように、長
   期にわたって、じっくりとその効果が現れるような練習や、日常
   のプレ-をすることが肝要である。
 T-式ゴルフ法はこの歳になってもスコアはなかなかよくならない。
 パ-トナ-4人と組んでも大抵、ビリかその次である。T-ショット
 でオナ-をとることなど滅多にない。それでもT-式ゴルフ法のスコ
 アは年々少なくなっており、技術も向上しているので、いつかは、仲
 間を追い抜くことに、間違いないという自信がある。若い人に対して
 は、その若い人がT-式ゴルフ法の年齢になった時、果たして今のT-式ゴルフ法のレベルをキ-プしているだろうか。
 そのように考えることによって、T-式ゴルフ法のゴルフはいつも将
 来性に、溢れているという自信があり、また一方どのゴルファ-より
 も、ゴルフによって健康を維持し、長生きするものと思っている。
 事実、T-式ゴルフ法がゴルフをするとき、ゴルフ仲間から、同年代
 の人に比べて、はるかに元気で、体も柔らかいといわれている。

  102  失敗の原因

もし3米くらいのパットでうまくカップインすることを成功と呼び、カップインしないことを失敗というなら、人生も結果が成就することが成功で、成就しないことが失敗ということになる。別項でも書いたように、パットに於いてカップインしない原因は2つあることに最近気が付いた。その1つは自分の読んだパットラインが間違っている場合。その2つは自分の読んだパットラインが正しくても、そのパットライン通りにパットできない場合。 非常に簡単な理屈であるが、T-式ゴルフ法も、自分が読むパットラインは常に正しく、またボ-ルはそのパットライン通りに必ず転がってくれるものと思い込んでいた。
 これをもっと広く思慮してみると、人生の事象の中で、成功、失敗の因果の関係は次のようになる。
 A) 計画が正しい
 B) 計画が正しくない
 C) 実行が正確である
 D) 実行が正確でない
 この組み合わせに於いて世の中の事象が行われている。即ちその組み合わせは
      A-----C・・・・成功
    A-----D・・・・失敗
      B-----C・・・・失敗
      B-----D・・・・失敗(偶然的成功のこともある)
 計画を立てたことを確実に実行することが、人間・人生の全ての勤めであっても、時として、その計画が誤っていることに気がつかないことがある。計画が正しくて、その通りに実行できないときは、ゴルフのみならず、人生全般についても、練習不足とか、経験不足による技術の未熟として、ある程度諦めもつく。そしてまた、次回を期すという期待も持てる。しかし計画が誤っていたときは、どんなにそれを実行しようとも、成功することはほとんどあり得ない。“結果オ-ライ”という具合には、偶然以外にはあり得ない。
 この様な見方をすると、我々の周辺の事象は本当に深淵であることがわかる。 このなかなか、気がつきにくい人生の教訓を、ゴルフのパットで発見出来たことは、遅くきに失した感はあるが、T-式ゴルフ法にとっては、何物にも変え難い大きな収穫であった。
言行一致
目標管理
   ものごと基本をしっかり掴む事
   出発点の確認
   計画の立て方次第
   複雑な事象の読み方
   考慮のなされた行動
と言うようなキ-ワ-ドが出てくる。
 要するに、自分の立てた計画や方針は常に正しいと、即断し勝ちであり、また物事は、その計画通りになってくれる(何の科学的根拠もなしに)と期待する人間的な弱さが問題なのである。
 計画通りに実行できる能力を持っているかどうか。また計画通りに実行するための手段方法を知っているかどうかも重要であるが、それはまた次元の違いでもある。


  103 ゴルフをやる以上思い存分やれ

 人生でもゴルフでも同じである。やる以上は思い存分にやるべきだ。人の性格にもよるが、広大なフェアウェイを利用してやるスポ-ツである。一度コ-スに出た限り、自分の思い存分のプレ-をして始めて、ゴルフの本当の面白さが解るのであって、安全安全の縮こまったゴルフでは、いくらスコアが良くても、本当のゴルフとは言えないであろう。人生の日常の生活も然りである。この世の中に生を享けて、青春の輝かしい時に、精一杯張り切った生活をして始めて、人生の意義を感ずるのであって、世間の人情や、いろいろの義理の中で縮こまた生活を送るのは、一度きりしかない人生には、もったいないことである。
 スポ-ツというものは全てそうである。競技なのである。互いに持てるものの全てを出して戦(競技)するのである。力をセ-ブして競技するスポ-ツなどこの世に存在しない。如何に相手が自分より弱く、下手であっても競技に力加減をする事は、どんな場合でもあってはならない。スポ-ツは正々堂々と戦って、勝ち負けはその時の運である。
 競技の最中に相手に遠慮したり、相手の力量に合わせてプレ-することは、スポ-ツマンシップとして、最も恥ずかしいことである。このことは勝負の世界に於いては全て言えることである。例えば将棋や囲碁では、双方が最大の知恵を発揮して戦うのである。相手が必死の体勢でかかってきたときに、こちらが80%の能力発揮で勝てるわけがない。
 ましてや、実力伯仲している、ゴルフ仲間同志の競技で、自分の実力の全てを出し切らずして、相手に勝てることはあり得ない。
 人間というものは、非常時とか、絶体絶命のピンチの時とか、ここ一番というような時には、普段の数倍もの想像出来ないような力を発揮するものである。
 よく言われるように、家が火災にでもなった時には、普段ならとても持てないような重いものでも、持ち出すという例がある。
 スポ-ツというものは、その様なものである。いざ競技となると、普段の数倍もの実力を出すものである。勿論相手もそうである。
 練習とは、一方では自分の技術レベルを向上させるためのものであって、数多くの経験を積むことである。また一方では個々の技術にたいして、瞬発的な力を出し得るような潜在力を身につけることでる。
 個々の技術の習得や経験は勿論大事であるが、試合に望んで、最高の力(ベストを尽くす)を出し得ることが出来るような素地を作っておくことが、更に重要である。
 それがためにはゴルフの普段の練習などで、思い存分に、力一杯やる習慣をつけておくことである。そうすることによって、体力的には勿論、精神的に決断力や、瞬発力と云ったものが養成されるのである。
 過去のゴルフの名勝負と呼ばれるものは、互いのプレ-ヤ-が死闘を繰り返して戦ったと表現されるが、それは双方が、普段の実力の数倍もの力を出し切っての戦いの結果である。
 アマチュアゴルファ-1人1人にとっても、その様な経験はあるであろう。自分でも想像出来ないような、不思議なくらい、何らかのものに押されて、普段のもの以上のものが発揮されて、コンペに優勝したというような経験を持っているだろう。それは単に幸運や、偶然でない。その時は自分の潜在的な全力を発揮しているのである。
 ゴルフの試合に望んで自分の最高の実力以上のものを出すことができるような訓練は、常日頃、思い存分、思いきって全力を出すような習慣を身につけることによって成立する。そしてそのような経験を一回でも多く持つということが、その習慣をより強いものにする。
 人生に於いても然りである。過去に失敗ばかりして、一度も成功の経験のないものは、おそらく成功は更に難しいであろう。
 困難に打ち勝つという経験がなければ、その人は困難に直面して、どのように瞬発力、総合力、全身全霊の力、と言った自分の実力の数倍もの潜在力を、発揮するかの方法を知らないのである。
 “失敗は成功の母”とも云われるが、“成功は成功の源泉”とも言えよう。
失敗を重ねるということは、一旦事に際して、力を出し惜しみする結果である。また事にあたって決断することが出来なかった結果である。
 人生には常に困難という競争相手が存在する。それにうち克つには、普通の努力では駄目である。困難に対応できるだけの力を、自分の潜在力の中から、引き出さなければならない。
 その様に人生の縮図の中でゴルフをやるということは、ゴルフの困難に直面したときの、その心と体の対処方針を養うことなのだ。
 「こわこわ」、「安全」、「無理をしない」、「いい加減」、この様な言葉で表現されるゴルフを続けるのでなく、以上に述べた思い存分の全人格のゴルフを、目指すべきであると思う。


104 ドライバ-はしっかり、パットはゆっくり

 ドライバ-を握りたがらないゴルファ-を時々見かける。Tショットに於いて、ドライバ-を持たず、例えばスプ-ンを持つ人を見かける。ドライバ-を持つと、どうしてもボ-ルが曲がったり、ちょろをするという。中にはドライバ-を持つと飛び過ぎるとも言う。ドライバ-はゴルフクラブのなかでも、最も飛距離が出るように設計されたクラブである。ショ-トホ-ルを除いて、大抵のホ-ルは、ドライバ-で第一打を打つように、ホ-ル自体が造られている。
ゴルフの1ラウンド中に、各クラブの使用頻度を調べて見ると、グロススコア100の場合、次のようになる。

クラブ名 平均使用回数 飛距離(米) 全飛距離(米)  使用比率 
  W-1   14   200    2800   100%
 W-2 2    180   360 14% 
W-3 10 170 1700     71%   
I-3 5 180   900     36%   
I-4 6 160     960     43%   
 I-5 7 150     750      50%   
I-6 5 140      700    36%   
I-7 5 130      650    36%   
I-8  4 120     480     28%   
I-9 4 110    440      28%   
P-W 12   50     600      86%   
S-W 4 10       40      28%   
PT 22 2       44   157%   
 ドライバ-はゴルフクラブのうちで、最も打ちにくいクラブである。初心者は、ドライバ-が打ちにくいと云って、これを避けていると、いつの間にか、ドライバ-が不得手な、嫌いなクラブになり、その人のゴルフ人生の中で、大きなマイナスとなる。
 ドライバ-の使用率は他のクラブに比べて非常に大きいことが上の表により解る。またこれを全飛距離に直すと2、800米となり、コ-スの全長のほぼ半分になる。このようにドライバ-はゴルファ-にとって、もっとも重要なクラブであり、全ホ-ルの半分を、ドライバ-で決めており、ゴルフとはドライバ-の勝負であるということもできる。従ってドライバ-をマスタ-するまでは、本当の意味でのゴルフは出来ないのである。
 次にドライバ-のショットの仕方であるが、先にも述べたように、ドライバ-は他のクラブに比べて、非常にスイングし難い。それはドライバ-が重たいこと、長いこと、そして最もロフト角の小さいクラブであること等で、その一番の特徴は、このクラブにはコント-ルショットと云って距離をコントロ-ルするために、力を加減してショットするような事はないということである。ドライバ-は最も距離を稼ぐため、常に最大の距離が出るように、自分の最大の力で、ショットしなければならない。これはまた最大の力でスイングした時が、自分のスイングフォ-ムからいって、最も安定するように普段から練習するようにしなければならないということである。
 ドライバ-の具体的技術的スイングの方法については、別に記述するとして、ドライバ-はしっかりと、自分の全身の力を発揮して、スイングしなければならないことを常に念頭におく必要がある。もし練習場にて練習するときは、上の表を参考にして、それぞれのクラブ使用頻度に比例した回数で練習すればよい。
 ゴルフクラブで、パタ-はいつも特殊扱いされる。スイングのタイミングの取り方や、ショットの方向の決め方の原理は、他のクラブと同じであるが、クラブの大きさは最も小さく、その使用方法は非常に簡単である。そして力もそんなに必要としない。しかしパットはグリ-ン上をボ-ルを転がす技術であり、その転がりの距離、その方向が、非常に正確度を要する。従ってパットはプレ-ヤ-が自分の好きなような構え方とスイング方法でショットしてよい。ただ守るべきは、スイングないしないしショットの安定性である。いつでもどこでも、正確に同じようなスイング方法が保証されなければならない。パットで一番良くないのは、パットの度に、スイングやタイミングが変わることである。いわゆる気まぐれのパットをすることである、クラブの使用方法に、余りにも多くの自由度があるために、相当年期の入ったゴルファ-でも、気まぐれ的になり安い。その理由は少しの力しか必要のないところで、ボ-ルを目標に向かって打つという動作自体は、習わなくても、一見誰にでも出来るからである。パットは出来ても、ボ-ルは転がっても、カップに入らなければ、何もならないのである。
 パタ-で重要なことは、以上の安定性であるが、具体的スイングに於いては、パットのスイングはできるだけゆっくりとやることである。特にバックスイングで後進から前進への切り替えの瞬間のタイミングをゆっくりすることである。これは他のクラブの、トップでのタイミングの取り方と全く同じであるが、なにせクラブが小さいだけあって、どうしても早くなり勝ちである。強さと、方向を決めて、できるだけゆっくりとスイングするように心掛けるべきである。
 具体的な方法については、T-式ゴルフ法の各項で述べた通りであるが、ここで特に言いたいことは、パットは非常に心理的影響を受け易いので、それに対する対策を普段から立てておくことである。
 パットをゆっくりする事、とここで書けば、パット全体の動作を意味して、スロ-モションを推賞するようであるが、ゆっくりすると言うのは、バックスイングのところのことである。但し、パットの動作全体は、あわててやっては絶対に駄目である。プレ-の進行にもよるが、余り時間を掛け過ぎると、パ-トナ-や、後続の組の人を待たせて悪いと、気にかけるゴルファ-がいるが、ここのところは考えもので、焦ってパットをしてカップに入らなければ、改めてやり直すことになる。即ち2・パットでゆっくり時間をかけて入れるのと、雑に焦って3・パットで入れるのとでは、時間的には前者の方が短くて済む。
「物事は両端を掴め、その他は全部その中間にある」と言う。ゴルフではドライバ-とパタ-をマスタ-すれば、他のクラブは皆その中間にある。これが物事の全体を把握する時の合理的方法である。


 105 スコア100を切るという事

 ゴルファ-のランクとして、スコア100が一つの目安であり、それが初心者、中級者の分技点であると云われる。スコア100を切るために、個々のプレ-ヤ-は、初心者の段階から、それ相応に練習をし研究をする。
 しかし、ただ単に練習を重ねておれば、自然に100が切れるというものでない。ゴルフ上達曲線に於いて、初心者の段階では、時間と共に上達度は比例して行くと述べたが、その上達する上限(比例限界点)は、個々の人によって異なる。それがスコア70の人もあれば、120の人もある。
 それでは、当面の目標100を切るにはどのようにすればよいか、その現象を見てみよう。
 如何なるものも、何かを行うときには、必ず抵抗というものがある。10Kgのものを動かそうとすれば、10Kgの抵抗があり、50Kgでは50Kgの抵抗がある。100アンペアの電流を流そうとすれば、3000ボルトの電圧では、30オ-ムの抵抗が働く。車を走らせようとすれば、スピ-ドに応じた抵抗が発生する。船でものを運ぼうとすれば、海の波や水の抵抗がある。
 人生においても、大きな仕事をしようとすれば、それだけの努力をして、困難という抵抗に勝たねばならない。
 一般に、仕事とその抵抗の関係は、次頁の図のようである。
ゴルフの場合で説明すると、それぞれの上達度について、その抵抗はある1つの山を持った曲線で示される。この山の頂上をハンプと称するのであるが、今スコア100を切るためには、例えば、毎週1回以上、練習場に行き練習ボ-ルを200個以上打ち、月に1回以上、コ-スに出て調整するのに相当する抵抗 Aがあったとしよう。ゴルファ-はこの A 以上の練習と努力をしない限り、スコア100は永久に切れないのである。また90を切るには、それ相当の抵抗B に打ち勝たなければならない。
 一般にアマチュアゴルファ-の段階を卒業する値として80を切るには、例えば毎日何らかのゴルフの練習を2時間以上し、毎週ゴルフコ-スに出なければならないであろう。この様に、1つの目標値を達成するには、それだけの抵抗に打ち勝つ努力をしなければならない。
 この図の曲線で注意しておきたいことは、A の努力限界に納まっている限り、そのゴルファ-は、何十年ゴルフをやろうとも、100は切れないのである。
 ある時期に集中的に、練習量を増大して D へ持って行かない限り、その人は永久に80の壁を破ることは出来ないのである。
 ただ自然に、気まぐれ的に、漫然とゴルフをやっている限り、そのゴルファ-はその抵抗値に相当するレベルに迄しか到達しないのである。
ゴルファ-の中でも(また世の中でも)、1つの目標を定めたとき、それを達成するためには、乗り越えなければならない抵抗値が、いくらであるか、事前に推定出来ないのである。
 これを一般的な、日常の仕事について観察すると、小さい力で、重いものを動かそうとして、(動くものと誤判断して)いつまでも時間をかけて、同じ事を繰り返していることがよくある。
 具体的に理解され易いように、例をあげよう。
1)柳に飛びつく蛙
  ある一定の高さの柳の枝に、飛び着こうと思えば、蛙に一定の脚力が
  なければ、いくら 跳 躍を繰り返しても駄目である。
2)虎穴に入ずば虎児を得ず
  多少危険な虎の住む穴に入って行く勇気がなくては、虎の子は得ら
れない。
3)どんぐりの背比べ
  普通にしていれば普通以上のものは出て来ない。
4)蟻は必要な数だけ集まって、ものを運ぶ
1匹で足りないときは、幾らでも力を結集する。

 T-式ゴルフ法がスコア100を切る問題で、敢えてこの抵抗の問題を取り上げた理由は、ゴルフでスコア100を切って、一般ゴルファ-のレベルに達しようとすれば、ある時期に集中的にゴルフの練習や研究をし、その100というハンプ(山の瘤)を越さなければならないということを述べたい事。そして、この問題は人生全般についても云える事。即ち不十分な努力では、いくら時間をかけても成功できないことを述べようとしたのである。
 このようにゴルフというものは、人間の生活の中に、色々と関連するものがある。これを正しく理解することは、ゴルフを更に楽しくまた面白くするものである。


 106  アプロ-チするときの工夫

 最近は日本のゴルフ場も、グリ-ンのアンジュレ-ションが大きく、芝生の種類も複雑になって来た。一口で言えば昔と違ってパットが難しくなって来た。それだけゴルフ場側もよく研究し、プレ-側の要求に関係なしに、パ-オン出来易い広いグリ-ンは、グリ-ンの傾斜を大きく取るとか、距離の長いホ-ルはグリ-ンを少し易しくするとかする。また芝生は昔のようにベント、高麗の2種類でなく、冬でも夏でも充分に育つように混合芝にするとか、排水をよくするためのグリ-ンの設計をするとか、その他いろいろの工夫が凝らされるようになって来た。昔は芝生を何粍にカットするとか、グリ-ン場のピンの位置の取り方に変化を持たせるとかする程度であったが、今日のそれは研究がより高度化している。 プロゴルファ-の競技のTV放送でも、やたらにパットの場面が多く、解説者も芝生の目や、グリ-ンの傾斜について非常に詳しく解説するようになった。プレ-ヤ-もグリ-ンに上がると、キャディと共にピンの前方、後方へと、やたらに動き回るシ-ンが多く見られるようになった。
 TVを見ている方は、こんなグリ-ンの場面よりも、T-ショットとかフェアウェイショットとかの方が遥かに参考になるが、TVの方は、NO.15からNO.18ホ-ルのグリ-ン上のプレ-に集中する。これはギャラリ-の集中度にもよるが、プレ-ヤ-の誰が最終的に優勝するかに興味が持たれるのと、カメラの配置具合からその様にされるのであろう。またグリ-ン上の方が、フェアウェイよりもボ-ルの移動がカメラに納め易いのも確かである。
 一般ゴルファ-に取っては、グリ-ン上のプロゴルファ-のすることを、いくら見てもそれを真似ることができるわけでなく、全く参考にならない。即ちプロゴルファ-のパットのフォ-ムを真似たところで、それが自分に適切であるかどうかは判らない。奇跡的にプロゴルファ-が長いパットを沈めた時、その技術力に感心するだけでは、一般ゴルファ-に取っては、観客としての興奮以外には何の効果も期待できない。
 それほどグリ-ン上は千差萬別であって、自分で努力し自分に合った方法を見つけ出す以外に方法はないのである。
 一般にグリ-ン上のパットの成績はグリ-ンへのアプロ-チに大きく関係する。
 以下にT-式ゴルフ法が考えた、一般ゴルファ-向けに推奨したい、パットをよくするための、グリ-ンへのアプロ-チの方法を述べてみたい。
 即ちグリ-ンのパットは個性的であっても、それに至るアプロ-チを工夫すればパットの成績は格段に上がる。

その1 グリ-ンにアプロ-チするとき、
 ピンがグリ-ン全体の中でどの位置にあるかを先ず認識する。ピンの位置がアプロ-チしようとするボ-ルの位置から見える時は問題ないが、登りのホ-ル等では、ピンの上部が見えるだけでグリ-ンの手前の端からどれくらいの距離のところにそれがあるのか、見当がつかないことがある。この様な時は次のように、計算すればよい。

ここでもし y は竿の白赤の色分けの数が2つであると30糎x2=60糎、 EAとDEは目測する。DEはグリ-ン端の目で見えるところの一番高いところと自分の目の高さの差である。次に、自分の居る位置とグリ-ン端までの距離EAを目測する。それぞれの目測値を上記の式に入れて x の値を計算する。何れの値も、目測値がもとになっているので正確ではない。普通 x の値の精度は、メ-トルの単位で、それ以下の少々の誤差のあるのは仕方ない。
 T-式ゴルフ法は、実戦に於いてはゴルフは計算であると言っているが、この様な掛算、割算を一々やっていたのでは時間がかって仕方ない、という意見もあるであろう。しかし人間というものは不思議なもので、このような計算を、その都度何回かやっている内に、勘によって大体旗竿を見ただけで、x の距離を相当良い精度で推測出来るようになる。その推測のよい方法は、アプロ-チの位置に立った時、頭の中でD点以後の見えない部分を、イメ-ジしてみるのが効果的である。
 アマチュアゴルファ-がよくやるように、また時間をセ-ブするために、旗竿を見て考えもせず、イメ-ジもせず、したがって x の距離を毛頭考えに入れないで、ただグリ-ンにオンする事のみを考えて、プレ-しているようでは、何年経ってもピン側にぴったりとボ-ルをつけるアプロ-チは、望むべくもないということになる。
 面倒でも、アプロ-チの度に頭の中にグリ-ンの状態をイメ-ジする訓練を続け、そしてグリ-ン毎に実際にグリ-ンに登った時、自分のイメ-ジしたものと、どのように違っているかを比較して確認されたい。この様に頭の中にイメ-ジする習慣と、経験を高めることによって、更にその精度が上がるようになる。

その2 ピン側へのアプロ-チ、
 グリ-ンから30ヤ-ド以内ぐらいになったときのアプロ-チの仕方で、プロゴルファ-と、アマチュアゴルファ-で大きな差が出て来る。30ヤ-ド以内になると1パット圏内にアプロ-チ出来るのがプロゴルファ-、4~5パットもかかるのがアマチュアゴルファ-である。プロゴルファ-とアマチュアゴルファ-のスコアの差は、この30ヤ-ド以内のアプロ-チの良否で決まると云っても決して過言でない。
 アマチュアゴルファ-の場合は、プロゴルファ-のように時間をかけて、グリ-ンまわりをウロウロするわけには行かないが、このような場合にT-式ゴルフ法が薦める最も効果的な方法は、他のプレ-ヤ-がショットしている時とか、移動している時とかに、何とかして時間を見い出し、ボ-ルの位置からグリ-ンのエッジまで歩測して歩いて行き、グリ-ンのどの位置にボ-ルを落とすか見に行くことである。グリ-ンの手前から30ヤ-ドのボ-ルのところで、ボ-ルの落とす位置を眺めるのでなくて、実際にグリ-ンまで行って、具体的にグリ-ンのどの位置にどの角度で落とせばよいかを、確かめに行くことである。 
 なるほど、そんな面倒なことはいちいちやる必要はない、30ヤ-ドくらいでは、グリ-ンとピンの位置は見えているのだから問題はない、という意見の人がいるかも知れない。しかしT-式ゴルフ法の経験から、ボ-ルからグリ-ンまで歩いて行く間に、特に帰って来る間に、自然のうちに、自分は次のアプロ-チをどのようにショットすべきかの考えが、浮かんで来るのである。(距離、方向、ボ-ルの高さ、そしてグリ-ンに落ちてからのボ-ルの転がる距離)これが“間をとる”という意味である。決してここで焦ってはならない。ピン側に着けたいという一念のみで、手間を出し惜しみ、雑にやると失敗してしまう。

その3 グリ-ンにボ-ルがオンした後のグリ-ン上のボ-ルとピンの関係、
 最近の日本のグリ-ンが難しくなったことはすでに述べた。ここでT-式ゴルフ法は、余り一般ゴルファ-が気付いてない、そして効果的な方法を述べよう。グリ-ンに上るとき、ピンよりボ-ルが手前にある時は、そのままグリ-ンに上るのでなくて、グリ-ンの外側を廻って、ピンに対してボ-ルの反対方向から上るのである。またピンよりボ-ルが遠方にある時は、グリ-ンに近づく方向を、なるべくボ-ル側に廻り、そしてグリ-ンエッジ近くなると、ピン側からグリ-ンに上るようにするのである。
 決して、グリ-ン上を最短距離でグリ-ンを横切るようにして、グリ-ンに上ってはならない。常にボ-ル側からグリ-ンに近づき、ピン側からグリ-ンに上るようにすれば、グリ-ンに近づく間に、アプロ-チショットの結果の確認が出来ると同時に、グリ-ンに上る時にグリ-ンの傾斜や、ボ-ルの止まっている位置とピンとの相対関係がよく観察され、ボ-ルに近づくまでに、パットの方針がイメ-ジアップされるのである。
 勿論、プロゴルファ-のようにグリ-ンに上ってから、360度色々の方向からグリ-ンを観察する充分な時間のとれる時は、必ずしもこの様にしなくてもよいが、アマチュアゴルファ-の場合は、常に次のショットの準備をしながら行動するようにしたい。
 以上の3つの点について心掛け、それを繰り返して行くうちに、スコアはびっくりするくらい改善され、T-式ゴルフ法の真髄が理解されて来ると思う。



1 07  バンカ-ショットの研究 

ゴルフの本を沢山読んで見たが、バンカ-ショットについて述べてあるものは非常に少ない。ボ-ルの手前1インチの砂の所にクラブ打ち込み、エキスプロジョンショットをする方法が一般に述べられている。またその多くはボ-ルがバンカ-に入ると、どうしても脱出するだけで1ストロ-ク失うことになる。それで出来ればTショット、2打ショットの段階で、バンカ-にボ-ルが入らないように避けよと言う。
 T-式ゴルフ法は、別項でボ-ルがバンカ-に入った時の対策として、先ずボ-ルがどのような状態になっているか、砂の状態、砂の材質、バンカ-の形状、グリ-ンとバンカ-の位置関係、などをよく観察することを推奨している。
 本項では、従来からどうしてもバンカ-が苦手であり、バンカ-内で4ストロ-クも、5ストロ-クも叩くと云った失敗の経験者のために、全く新しい観点からバンカ-内のショットを考えてみたい。
 元来、深い穴の砂の中にあるボ-ルを、サンドウエッジで打ち出すことは、非常に難しい操作である。上述のエキスプロジョンショットは確かに有効な方法であり、充分経験すれば、相当確実にバンカ-から脱出できる。ただピン側に付けるようにしたいという自分の欲望の方が先行するために、エクスプロジョンショットの砂のとり方に大小ができ失敗するケ-スが多い。自分の欲望を最小限(兎に角グリ-ンに乗りさえすればよい)にして、ボ-ルをよくみて、ショットさえすれば、そんなに多く失敗することはない。むしろバンカ-に対する恐怖心の方が先に立って、心身が必要以上に緊張して失敗するのである。換言すれば自然体でいつものペ-スを守ってショットする限り、必ず脱出出来るのだという、強い自信を持つことの方がより重要である。
然るにゴルフの歴史の中で、多くのプレ-ヤ-がバンカ-ショットを嫌がり、そして失敗を重ねるのは何故であろうか。
 一般のフェアウェイのショットに比べて、バンカ-ショットは難しい。おそらくゴルフのショットでバンカ-ショットが最も難しいショットの1つであると思う。
 さて、それはゴルフクラブが問題なのである。フェアウェイでのゴルフクラブの型式が、人間の自然体に適さないロフト角、ライ角などを持っており、それがシャフトのグリップの方法と関連して、非常に複雑になっている。特にバンカ-内で使用されるサンドウエッジは読んで字の如く、大きなロフト角と砂をはじく強力なソ-ルを持っている。この特殊なクラブヘッドをうまいこと砂にウエッジして、砂とボ-ルを一緒に打ち出す方法は、人間の他の作業の動作に例があるかと、考えて見るとなかなか見つからない。
 それは低い位置にあるボ-ルを、上方に人間が位置して、ボ-ルの下面から打って上方に上げようとする事自体が、無理な動作を強要するのである。
一般の農作業でも、漁業作業でも、低い位置にあるものを上に上げようとすれば、そのものの横から打つのでなく、叩き上げるのが普通である。川の中や、溝に落ちた品物をとり上げる時はすくい上げる動作が自然である。それにもかかわらず、ゴルフに於いてはクラブをボ-ルの横から打つような機能にクラブを設計している。フェアウェイ上のボ-ルのショットと、バンカ-のボ-ルのショットでは同じ形状のクラブを使用しながら、その使用方法は全く違うのである。これではバンカ-ショットが、前述のように失敗するのは、当たり前のことである。現実のサンドウエッジはこの様な観点からも、人間の動作に非常に無理を強いる構造になっている。
 T-式ゴルフ法の提唱するバンカ-用のゴルフクラブは、以上の考察の結果、 バンカ-内のボ-ルを、叩き上げるという原理にもとづいて設計されている。
低い位置にあるボ-ルを叩き上げるためには、
1)ヘッドとシャフトの関係が下図の如く、ヘッドよりシャフトが飛球線の前方に来ていなければならない。従ってクラブは右手の片方だけでスイングすることになる。鍬の場合のように矢印Aの方向に振り下ろすと同時に、B方向に片手ですばやく叩くという動作が、その時のコツである。
2)それがためにはシャフト(柄)の取り付け方向は少なくともヘッド面に対して、シャフトが前方に来るように取り付け、可能な限りシャフトの長さを短くして、プレ-ヤ-の構える位置を低くする必要がある。
3)ヘッド面は砂とともにボ-ルをB方向に打ち上げるよう、充分の広さが必要である。
4)スイングのフォ-ムは、ボ-ルの前方にががんで立ち、B矢印の方向にすばやく叩くという動作にならなければならない。それがためにはできるだけプレ-ヤ-はボ-ルの前方の飛球線ぎりぎりに近寄り、斜め上方から砂に打ち込むと同時に、手前へ叩き出すというショットになる。
 T-式ゴルフ法の考案したクラブを実際に使って見ると、人間の自然な動作によく適合しており、その打ち出す距離に相当した力で、クラブを軽く振るだけで、今までのように大きな力をかけないで済む。従ってクラブの動きが安定し、叩き出す方向も、シャフトの方向を自由に合わせることにより、いわゆる100発100中でバンカ-ショットが成功する。
 クロスバンカ-でない限り、グリ-ン廻りのバンカ-はピンまでの距離はそんなに遠くなく、ボ-ルを上げるだけでは、そんなに大きな力を必要としない。
いわゆる、バックスイングもフォロ-スイングも小さくてよい。エクスプロジョンショットと呼ばれるような大げさな動作でなく、コンパクトな体の動きで、スム-スに、正確に、砂と共にボ-ルを上げることができる。
 ゴルフクラブも道具の一種であるならば、バンカ-用のクラブもまた、人間の道具の理屈に合った、最も効率よく作業ができる構造でなければならないと思う。

108 人間のやるゴルフにミスはつきもの、されど解釈の違い

 ゴルフでナイスショットばかりが続いて出ると、どんなに愉快か、T-式ゴルフ法はゴルフをやる限り、一球入魂、精一杯やれと各所で述べてきた。しかしそのようにやっても、人間である限りミスすることがあるのは当然である。プロゴルファ-が、重要なト-ナメントの決勝ラウンドで、例えばプレ-オフになったとしょう。最後の一打がすべてを決めるような状況の中で、その揺るぎない技術をもつプロゴルファ-ともあろうものが、全身全霊を込めて、ショットしたものが何故ミスショットとなるような事件が起こるのだろうか。“人間のすることだ”と云ってしまえば、それまでであるが、そこには何にか人間の計り知れないものがあるように思う。
 この様にゴルフには運と呼ばれるよう、何か不思議なものがあるように思う。自分の全てを懸けてやったショットが、ナイスショットになるか、ミスショットになるか、そんなことはわからない。よく“ボ-ルに聞いてみてくれ”という。いわゆる開き直りである。
 このような状況を、もう少し詳細に検討して見よう。スタンスをとり、構えてから、ここ一番のショットをしようとするとき、どんな心理的状況になっているか。
1)最初は開き直りである、むしろここまで調子よく来たので、次も、
ひとつ飛ばしてや
ろ う、という挑戦的で意気が高揚している状況である。
2)次にそのホ-ルをどのように攻めるかの、戦略をたてようとする。
そのときは、まだ意志は積極的であるが、内部障害と、外部障害を確
  認しながら状況判断する。
3)距離と方向を定めて、クラブを選択する。状況判断と現実の差が気
  になりはじめ、前方 のフェアウェイやハザ-ドが目に入り、不安に
  なってくる。
4)この頃になるとスタンス、グリップ、などに力がかかって、緊張す
  る。ワグルなどをやっているうちに、次第に不自然になる。
5)この状態で、時間がたてば経つほど、心理的な作用が出て来て、正
  常心が崩れ消極的になる。
6)このまま、ショットを中止するわけにも行かす、不安定要素を残し
  たままで、運を天に任せてショットを敢行する。
このような経過をたどるときは、概して、ナイスショットは出ない。やはりショットは自信をもって、ある程度心に余裕がないと、ミスショットをするようになる。 人間である以上ミスは仕方ない。しかしそのミスを発生させる原因を、自分の側から作り出して行くのはどうかと思う。
ミスとは普通の状態では起こらないものが、何らかの予期しない原因で、異常が起こることをいうのであって、起こるべくして起こる事故は、ミスということはできない。ショットして思わぬ方向にボ-ルが飛んで行った時、その原因は、必然と、不必然がある。ミスショットした場合の心の持ちようも、この原因如何で当然変わるであろう。ミスショットの原因が、自分の技術の未熟からくるときは、練習によって早く直すことができる。突発的に起こるミスは、その前後の心理的経過を考えてみると、不必然なものが多いことがわかる。
 それでもゴルフは、決断することが大事である。普段の練習による効果を発揮するよう、絶対の自信もって、ショットの決断を行うようにしたいものである。