卒業生より | エスペランサ熊本のブログ

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エスペランサ熊本

クラブ一期生の木村優成です。昨日は、光永監督と宮崎キャンプ見学して来ました。
私が卒業してもう9年目になりますが、今でもエスペランサというクラブで多くの子ども達がプレーしていることを大変嬉しく思います。
私は、大津高校から桃山学院大へ進学し、現在は大学院に行きながら大学生の指導に携わっています。私たちの時から高校進学の手助けをしていただいた光永監督に感謝しています。
昨年から指導者として関わることでプレーヤーでは見えなかった、新たな発見や難しさ、サッカーを仕事にする厳しさを日々痛感しています。
私はこれまでサッカーに携わることにより、技術的な要素以上に人間として重要な事をたくさん学んできました。それは、小学、中学、高校、大学と妥協を許さない環境で自らを律することで得た素晴らしい財産です。
そのきっかけを与えてくれたのがエスペランサ熊本だと思っています。
クラブ創設当初は人数も少なく、試合に行けば大敗する日々でした。大敗するにも関わらず、柏レイソルや岐阜への遠征、九州内への遠征は毎週のようでした。これには多額の出費があったと思います。はたから見ればあんな弱いチームなのに遠征ばかりでお金もかかると仰る方も多かったと思います。そんなまわりの目や声は、プレーしている私よりも保護者である父や母の方が敏感に感じていたと思います。部活動へ移ると辞めていった仲間もたくさんいました。けれども私の両親は一度もただの一言も「辞めろ」などとは言いませんでした。むしろ、「お前は夢に向かってチャレンジしているだ!まわりはまわりだ!」と背中を押してくれたのを覚えています。
今もですが、光永監督の人脈が半端ないことも感じています。小さい頃からの貴重な経験は、私の財産に変わっています。
私が6年の時に天下の「育成のレイソル」に弱小チームが試合をする。関東まで飛行機で行ってバスや電車移動しました。交通の乗り物の選び方も自分たちでやらされました。間違ったら間違ったとわかっていてもみんなで協力して目的地まで行くように指示されていました。これは結果を見れば無謀かもしれません。しかし、子ども達の将来やそこで得られる経験を考えると本当に「ナイスチャレンジ」だったと思います。このきっかけを与えてくれたのがエスペランサというクラブでした。そして、保護者からの要望でした。一番小さい選手は、小学3年が参加していました。上には上がいる事を知り、更に努力しました。
私はその後、大津高・桃山学院大へと進学する訳ですが、この進学も私自身の夢への「ナイスチャレンジ」です。エスペランサで生まれたきっかけが現在の私を支えています。そして、なにより「ナイスチャレンジ」にかかる多額の出費を惜しまず、背中を押して見守ってくれた両親に本当に感謝しています。人として大切な事を光永監督は、教えてくれます。
まだまだ未熟な私がこうしたことを述べるのもおこがましいですが、これからもたくさんの子ども達がエスペランサをきっかけに「ナイスチャレンジ」を繰り返して行って欲しいと思います。
最後になりますが、エスペランサ熊本の益々の発展と子ども達の活躍を祈念しております。里帰りした際は、必ず練習に参加させていただきます。頑張って下さい。僕の後輩達、保護者の方々最後までやり抜くことやりきらせる事が、最大の子供達の成長です。