今日8月6日は63回目の広島原爆の日です。


広島・長崎で被爆された方々の高齢化が進み、


『原爆の日』が風化されてしまうのではないかと懸念されていますが、


決してこの日を忘れてはいけません。


広島・長崎の各原爆資料館でたくさんの資料を見て核兵器の恐ろしさを感じました。


長崎では、バスガイドさんが故永井隆博士の『この子を残して』の一節を読んでくださり、『長崎の鐘』を


歌ったのを聞くと私は涙をこらえるのに必死になりました。



うとうとしていたら、いつの間に遊びから帰ってきたのか、カヤノが冷たいほほを私のほほにくっつけ、

しばらくしてから、

「ああ、・・・・・お父さんのにおい・・・・・」

と言った。

この子を残して この世をやがて私は去らねばならぬのか!

母のにおいを忘れたゆえ、せめて父のにおいなりとも、と恋しがり、

私の眠りを見定めてこっそり近寄るおさな心のいじらしさ。

戦の火に母を奪われ、父の命はようやく取り止めたものの、

それさえ間もなく失わねばばらぬ運命をこの子は知っているのだろうか?



一月でも、一日でも、一時間でも長く生きていて、この子の孤児となる時をさきに延ばさねばならぬ。

一分でも一秒でも死期を遅らしていただいて、この子のさみしがる時間を縮めてやらねばならぬ。

 胸の中に桜島の煙のように時々ぐぐっと噴き上がる愛情をおさえ、私はことさら冷たく子供を遠ざけて

おらねばならぬ。ぐっとおさえると、かえって大きくたぎって噴き上げる、まくらもとの火鉢の湯沸かしの湯気にも似た骨肉の情である。

もう一人の親―母がおりさえすれば、この子も父をあきらめて、その母にとりすがるのであろうに、

その母は亡く、母のにおいの残った遺品もなく、面影をしのぶ写真さえも焼けてしまって一枚もない。

 私がやっぱり眠ったふりをしていると、カヤノは落ち着いて、ほほをくっつけている。

ほほは段々あたたかくなった。

 何か人に知られたくない小さな宝物をこっそり楽しむように、カヤノは小声で、

「お父さん」

と言った。

 それは私を呼んでいるのではなく、この子の小さな胸におしこめられていた思いがかすかに漏れたのであった。

                         永井隆著『この子を残して』より



永井博士は白血病の影響で脾臓が肥大し、圧迫による内出血の恐れがあるので、


子供たちを近づけることができませんでした。


この『原爆の日』が存在しなければ、被爆された方々は皆さんいろんな人生を歩まれたことでしょう。


被爆して今も苦しんでいる方々、志半ばで生涯を閉じなければならなかった方々の無念さや


ご遺族の決して消えることのない悲しみを考えると、


心痛の念でいっぱいになります。


ニュースで今も世界中で起こっている争いや人の命を殺める悲しい出来事をよく見聞きします。


いま一度、『平和』や『命の尊さ』についてよく考えていかなければいけません。


お亡くなりになられた被爆者の方々のご冥福をお祈り致します。



【記事】破壊前の原爆ドーム、川面に復元(時事通信社) http://www.jiji.com/jc/zc?k=200808/2008080500820&rel=y&g=soc