聖書は、私たちの目的が天国に行く事ではないという事を明確に教えています。
死後に何が起こるかについての最も一般的な教えのいくつかは聖書から来たものではありません。
神は私達の想像をはるかに超えたエキサイティングで震えるほどの素晴らしい人類に対する目的を持っておられます。
この真理を知る事で、私たちの生きる目的、生まれてきた本当の理由が分かります。
ぜひご自身で聖書を確認しながら最後まで読んでくださいね。
いきなりですが、イエスキリストが「誰も天国に行っていない」と明確に述べていることはご存じでしょうか?
ヨハネの福音書をご確認下さい。
「天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。」(ヨハネ3:13)
キリストは、天から降りてきた神の子であるキリストご自身だけが天に行ったことがあると言いました。(ヨハネ1:14、1コリント15:47、ピリピ2:7)
イエス・キリストは、人間の究極的な運命についての会話の中でこの発言をされました。(ヨハネ3:5,15-16節)
そして、天に戻られたのです。(使徒1:9)
使徒行伝1章には、復活の40日後に天に昇られたことが記されています。天に到着したイエス様は「天の高い所におられる大いなる方の右の座にお着きになりました。」と書かれています。(へブル1:3)
イエス・キリストは、復活の後に天に昇られ、現在も天におられるという事は理解してもらえたかと思いますが、それを頭に入れたうえで以下の聖句に注目して下さい。
イエス様は十字架につけられる直前に弟子たちにこのように言いました。
「子たちよ、わたしはまだしばらく、あなたがたと一緒にいる。あなたがたはわたしを捜すだろうが、すでにユダヤ人たちに言ったとおり、今あなたがたにも言う、『あなたがたはわたしの行く所に来ることはできない』。」(ヨハネ13:33)
キリストが言われたこの言葉の意味を理解している人はほとんどいません。
天に昇る事が出来るのはキリストだけであり、他の誰も昇る事は出来ないのです。
この事については、使徒たちも明確に教えています。
ペンテコステの日の有名な説教の中で、ペテロは天国について述べています。ペテロはイエスの復活(使徒2:24)の文脈で、ダビデ王は「死んで葬られ」(29節)、「天に昇らなかった」(34節)と具体的に述べているのです。
聖書はダビデが「(神の)心にかなう人であり、(神の)すべての御心を行う人」(使徒13:22)であったと具体的に言っています。
もし誰かが天国に行くのにふさわしいとしたら、それはダビデだったでしょう。
しかしそのダビデは天国に行かなかったと、私たちは教えられているのです。
これは本当に重要な部分です。
またパウロの二つの著作は死について直接的に扱っていますが、彼の著作のどこにも、人間が死後天国に昇るとは書いてありません。
パウロが「この世を去ってキリストと共にいたい」(ピリピ1:23)と言った時でさえ、彼は自分が死んだ時に天に昇るとは言っていないのです。
彼は、「主ご自身が天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに、合図の声で、天から下ってこられる」(1テサロニケ4:15-16)時に、自分がよみがえる(復活する)、或いは変えられる事を知っていたのです。
へブル人への手紙には、天国が私たちの目的地ではない事のさらなる証拠が記されています。
「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。」(へブル11:13)
この人たちは皆、死んで約束を待ち望んでいるのです。
そして39節、40節を見て下さい。
「ところで、この人たちはすべて、その信仰のゆえに神に認められながらも、約束されたものを手に入れませんでした。神は、わたしたちのために、更にまさったものを計画してくださったので、わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しなかったのです。」(39-40節)
「わたしたちを除いては、彼らは完全な状態に達しない」とはどういう意味か分かりますか?
聖書の真理は、すべての時代の信仰者が「共に栄光を受ける」、つまり同時に報酬を与えられるという事なのです。(ローマ8:17、1テサロニケ4:15)
さて、聖書は死んだ人に何が起こると書いてあるのでしょうか?死後どうなるかという問題に対する答えは、へブル人への手紙6章2節をまずは確認してみて下さい。これは聖書の基礎教義の一つとして挙げられているほど重要なものです。
死者は文字通り死んで、墓の中で眠っているので、歴史の中で死んだ何十億もの人々にとっての唯一の希望は、創造主が彼らを生き返らせること、つまり復活です。
聖書は、
「あなたの死者は生き、彼らのなきがらは起きる。」(イザヤ26:19)
と、未来の時を明らかにしています。
預言者ダニエルは
「また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。」(ダニエル12:2)
という言葉で、同じ将来の希望を書き記しました。
これは人が持つことの出来る最大の希望です。
これまで、イエスキリストが死者は天国に行かないと直接述べた事を見てきましたが、死者が将来の時に生き返ることも明らかにされました。
「このことを驚くには及ばない。墓の中にいる者たちがみな神の子の声を聞き、善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。」(ヨハネ5:28-29)
パウロはまた
「死人は朽ちない者によみがえらされ、わたしたちは変えられるのである。」(1コリント15:52)
と書いています。
これらの聖句は、死者の復活が将来の出来事であるという真理を明らかにする数多くの聖句のうちのほんの一部にすぎません。
復活については「復活について①」「復活について②」をご覧ください。
では、ここから更に重要な真理を書いていきます。
これまで、人は天国には行かないという事を見てきましたが、救われた者が天国に行かないのであれば、どうなるのでしょうか?
神は、私たちに対して驚くべき目的と計画を持っておられます。この聖書が教えている真理を把握している人はほとんどいません。
そして救われた者が復活した後どのようになり、何をするかという真理は我々の想像をはるかに超えたものです。
まず、この時代に本当に改心したクリスチャンとは、神の聖霊が宿っている者であることを理解する事が重要です。(ローマ8:9)
その聖霊は神の神聖な力であり、バプテスマと按手の後に人の中に入ってきます。(使徒2:38;8:17)
聖書は、聖霊がクリスチャンを改心させる神の力であり、彼らの生活の中で神のご性質を発展させるのを助けるものであることを明確にしています。(2コリント3:18、ガラテヤ5:22-23、2テモテ1:6-7)
しかし聖霊にはもう一つ重要な働きがあることも教えています。
「もし、イエスを死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。」(ローマ8:11)
聖霊は、永遠の命の保証金、つまり頭金です。(2コリント1:22;5:5、エペソ1:13-14)
神は将来、人々に永遠の命を与えると約束されています。私たちの肉体は、私たちが一時的に存在するために神によって素晴らしくデザインされましたが、永遠に生きるようにデザインされているわけではありません。
永遠の命を得るためには、霊で構成された存在に変えられる事が必要です。今、聖霊をわずかに受けていることは、後に来るより大きな贈り物の約束なのです。
聖霊を受け、イエスに忠実であった人々は、イエスの再臨の時に死者の中からよみがえります。(第一の復活)
そのとき、「死は命に飲み込まれる」(2コリント5:4)のです。
これは肉体的な人間としての不滅の命ではありません。もちろん、イエス様も肉体的な人間として復活したのではありません。
聖書は「肉と血(肉体的存在)は、神の国を受け継ぐことができない」(1コリント15:50)とはっきりと言っています。
イエスキリストの再臨の時に、クリスチャンは「霊的な体」(44節)をもって、不滅の霊からなる存在としてよみがえるのです。
神の人間に対する目的は、あまりにも驚くべきことなので、ほとんどの人はそれを読み流すか、その深さを理解することができない。
あなたの人生に対する神の目的は、あなたが永遠の存在となり、神の家族の一員として生まれる事です。
今、私たちは肉体を持ち、「土に属している人の姿」を帯びていますが、神の目的は私たちがいずれ「天に属している人の姿を帯びる」ことなのです。(1コリント15:49)
次の聖句に注目して下さい。
「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。」(ローマ8:29)
「わたしたちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じかたちに変えて下さるであろう。」(ピリピ3:21)
聖書は、「御子を多くの兄弟の中で長子とならせる」(ローマ8:29)と書いていますが、これは他の人々が後に神の家族として生まれるからです。
神は「多くの子らを栄光に導く」(へブル2:10)目的とご計画を持っておられるのです。これがあなたの希望であり、人生の目的なのです。そしてあなたは今、肉体を持った人間なのです。
しかしあなたに対する神の目的はこのような状態に留まることではありません。
神の目的は、あなたが神の家族の一員となり、完全に不死であり霊で構成される事ですが、その後は一体何をするのでしょうか?
聖書が何を伝えているのか見てみましょう。
イエスキリストが再臨された後、何をされるかに注目して下さい。
「彼は、鉄のつえをもって諸国民を治め、」(黙示録19:15)とあります。
キリストはこの地を支配するために戻ってこられるのです。しかし一人ではありません。キリストの再臨の時に復活する人々について、次のように述べられている事に注目して下さい。
「この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。」(黙示録19:16)
クリスチャン生活の目的は、単に永遠の命を受ける事ではありません。あなたの真の目的は、永遠の命を受け、神の王国の一部となる事です。
それは、キリストが再臨した後に地上を支配し統治する神の家族の事です。その王国では、イエスキリストが王の王となられます。(黙示録19:16)
そしてキリスト再臨の時に神の家族に生まれた人々によって補佐されるのです。
黙示録で神のしもべ達の将来について述べられていることに注目して下さい。
「わたしたちの神のために、彼らを御国の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」(黙示録5:10)
キリスト教の目的は、天国で天使の羽を授かり、雲の上でハープを弾きながら永遠を過ごすなんていう事ではありません。それは聖書の教えではありません。
ですから、当然のことながら携挙というものなどありません。
わたしたちの本当の目的は、地上において神の家族となり、神の政府の一部になる事なのです。このような目的があるからこそ、初めに私たち人間は神に似せて(創世記1:26)創られたのです。
イエスが弟子たちのために父の家に場所を用意すると言われた時(ヨハネ14:2-3)、イエスは地上を中心としたこれらの家族の責任について言及されたのです。
このことは、黙示録2:26でさらに説明されています。
「勝利を得る者、わたしのわざを最後まで持ち続ける者には、諸国民を支配する権威を授ける。」
そしてミナの譬えでイエスは、忠実さを証明した者が都市を治める権威を与えられることを示されました。(ルカ19:12-19)
イエスキリストと共に地上の国々を治め、仕え、神の生き方を教える機会は、救われた者の報酬の一部なのです。
神の計画は私たちの想像をはるかに超えています。(1コリント2:9)
聖書の真理以上にエキサイティングなことがあるでしょうか?
神の家族の一員として永遠の命を受け、キリストと共に地上を支配し、奉仕するという報酬を受ける為にあなたは生まれてきたのです。
この将来の希望こそが、今日、「聖なる行いと敬虔さをもって」(2ペテロ3:11)生活する動機付けとなる筈です。
この世界がどのような状況になったとしても、この希望を見失うことなく、力強く生きていきましょう。